第15話 学科講習はうわの空


「講習、いよいよ明日からですわね」

 明日からか。

 準備万端整えたから良いけど、時期がね。

「どうして明日からなんですか、もうすぐ大晦日だし元旦だし」

「休日はしっかりありますよ。行ったらその日から年末休暇で、元旦からは正月休暇です。異世界博物館が日本に繋がっている事から、日本の風習にしたがっておりますの」

 博物館。絶対に日本にないですよね。

 あれって所在地不明ですよね。

「だったら休暇明けに行けばいいのでは」

「研修期間は、休暇中もお給金が出ますの」

「行く、行きます」

「それでは、行く前に教科書の確認をしましょうか。忘れたらいけませんからね」

 クローゼットに入っている物なら忘れようがないですよ。


「何ですかー、この山は」

 隣の部屋に積まれた本の山。

 一千冊以上はあるよ。

「これ全部教科書ですか」

「はい、学科講習がだいたい70日程度ですので、一日20冊ほど読破・暗記していただく事になると、しずちゃんが言ってました」

「百科事典みたいに分厚いのを、1日20冊ですか。」

「なんの事はありません。慣れですよ」

 絶対に慣れないと思う。

「お休みまではまだ時間がありますから、今日のうちに武具の点検と防具の寸法合わせもしちゃいましょうね」

「武具、防具。聞いてませんけど」

「ええ、今初めて言いました。実技訓練も70日程度で、学科と実技の間に一ヶ月の休暇があります」

 いかん、このままでは殺されてしまう。


 夜中にクローゼットを抜け出し、夜逃げしようとしたら、既に結界が張られ外に出られなくなっていた。

「あーあー、とうとう地獄の一丁目に入っちゃったなー」

 異世界博物館に着いて、外の景色は見えるものの外出不可。

 一緒に居るのはエポナさんだけ。

 時折、教官のしずちゃんが、家に買い置きしてある正月用高級酒目当てにやってくる。

 半月の休暇期間中、何もする事がないまま過ごさなければならないのかと思うと、いささか憂鬱だ。

 正月気分になれない。

「あっはっはっはー」

「なんじゃこりゃー」

 エポナさんとしずちゃんが、隣の部屋で福笑いをやって笑い転げている。

 こっちの世界には娯楽というものがないのか。

 それとも、彼女達の感性には若干の問題があるのか。

 博物館を取り巻く大通り市場は、今日も活気に満ちあふれている。

 それに比べて私はどうだ、休んでいるのに給料が出ているのはありがたいが、どんよりした気分はまったく晴れない。

 これはひょっとしたら、新手の拷問に耐える訓練ではないだろうか。

 ならば、十分納得のいく仕打ち。


 嵐の前の静けさとは言い難いものの、長閑だったのだろう正月休みが終わると、ようやく学科講習が始まった。

 私はクローゼットに作られた宮殿の二階に閉じ込められ、自習の毎日を強いられている。

 しずちゃんは学科講習の授業をまったくやる気なく、相変わらずエポナさんとグズデレしている。

「週休二日・祝祭日休み・一日八時間。七十日で、ここにある教科書を全部読んで暗記してね。試験あるから、手抜きはだめよ」

 初日にしずちゃんはこう言ったきり、教壇に立つ事はなくなった。

 宇宙史・自然史・魔法史・奇跡史・世界史・昆虫史・精霊界史・魔界史・神界史・人間界史・自然死・事故死・病死・諸々、歴史だけでも二百冊はくだらない。

 これらの全部が全部、厚さ二十cm以上の分厚いものばかり。

 この他にも魔法学・社会学・経済学・帝王学・医学・科学・雑学・植物学・生物学・夜学・見学・停学・退学・等々。

 どれもこれも司書の仕事とはかけ離れた学科ばかり。

 私は基礎知識が乏しいから、読んでいても何が何だかまったく理解できない。


 朝の九時に始まって、午後の五時には終わる。

 ひたすら我慢していれば解放されるけど、試験があるってのが気に入らない。

 曲がりなりにも、講師だか教官として当家に滞在している筈のしずちゃん。

 教育者らしく「ここ、試験に出ますから」とか言いながら黒板をチョークでツンツンくらいはやってほしい。

「あー、お腹減ったー。ラーメン食べたい」

 一時間後。

「すんごくお腹減ったー。蟹玉と回鍋肉と干焼蝦仁と青椒肉絲食べたい」

 一時間後。

「お腹減りすぎて死にそう。ピザとガーリックステーキとカルボナーラ食べたい。ランブルスコも一緒にー」

 眠い。眠た。

「五時ですわよ。奈都姫様、今日の分は終わりましたか」

「終わるわけないでしょ。こんな分厚い本を毎日二十冊なんて読めません。まして暗記なんて絶対に無理」

 学科講習が始まってから三十五日目。

 ようやく折り返し地点にきたところで、エポナさんから一つ提案があった。

「しずちゃんは忙しいので、明日から私が代理講師として教壇に立たせていただきますわ」

 嬉しい申し出だが、しずちゃんが忙しいとは思えない。

 なにかが裏で動いているような気がする。

 いささか不安だ。

 翌日から、エポナさんが一冊一冊の内容を簡略化して分かりやすく説明してくれるようになった。

 実際に内容を読んではいないし、細部まで暗記もしていないけど、試験には対応しているとの事だ。


「宇宙は完全なる無から始まりました。実態のないエネルギーという概念と、やはり位置だけで実態のない物質という概念がぶつかり合い、無の空間に揺らぎが生じたのです。この揺らぎから宇宙で最初の生物、黄麒麟様の核が発生しました。数十億年かけて、この核は周囲に発生した別の核を吸収し成長。ついには現在の黄麒麟様になったのです」

「先生ー、質問。宇宙史って事ですけど、それって歴史ですか。神話みたいですけど」

「れっきとした史実ですよ。これは宇宙を創造した黄麒麟様本人が書いた本ですから」

 エポナさんが本の最後のページにある著者を見せてくれる。

「続けますね。黄麒麟様は自分の鱗を四枚剥がして、青・赤・白・黒。四体の麒麟の核としました。こうして誕生した四体はやがて、魔界・精霊界・神界・人間界を創りました。そして黄麒麟様は、今まさに私たちが住んでいる異世界博物館を創造したのです。やがて四界に生命が発生すると、四麒麟は黄麒麟様の命により、宇宙を放浪していた四界を、この異世界博物館の大地に定着させたのです」

 どうしても神話にしか聞こえないのですよ。

「はい、これで宇宙史は終わり。この程度の話ならついて来られますよね」

 信憑性云々の話を抜きにすれば可能だ。

「はい、だいじょうぶです」

 そんなこんないい加減いい塩梅の講義で順調に勉強ははかどり、一日百冊のハイペースで歴史部門を僅か二日で終了した。


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