第14話


 タッくんのところに行くときは、まず、カレンさんに行ってもいいか確認する。「待ってるね」というメッセージが来るときは必ず、「アイちゃんと一緒だとタツキが喜びます」と、続けて届いた。だから、私はカバンに缶を入れて、調子がいい時に食べてもらえそうな、賞味期限にゆとりがあるちょっとしたお菓子を買ってから、病院へ向かった。

 ユウくんと一緒に行ったのは、缶とアイちゃんのクマを見せに行った時と、手続きの方法とかを教えて欲しくて同行を頼んだ二回だけ。

 ――都合がつくときは一緒に行こうよ。

 と、メッセージをもらったことがある。カレンさんからも、

 ――二人で一緒にくればいいのにぃ

 って。だけど、私はなんだか、ユウくんと二人でそこへ行くことに抵抗があった。私の中で、邪心が膨らむんだ。待ち合わせてどこかへ行くなんて、まるでデートみたい、とかそんな想いが湧いて、後ろめたくなる。キャッキャと勝手な甘さを振り撒きながら行く場所じゃない。あそこは、静かな戦場だ。命を守ることができるか否かを争う、戦いの場だ。邪心は失礼極まりない。そして、私は成熟した大人ではないから、それを制御することができない。だから、二人では行かない。

 コンコンコン、とノックをして、扉を開ける。

 今日は、カレンさんは居ない。ここへ来てもいいかと確認した時に、居ないことを知らされていた。だから、居ないからと不安になることはない。ただ、不思議な心地になるだけだ。

 普通に生きていたら。過去、カバンの中にある缶とクマをもらうことがなければ。貰ったとして、それを例えば運気を上げるために捨てていたとしたら。この出会いは、たぶんなかった。

 出会いは突然で、偶然で。

 たぶん――必然でもある。

「まーたひとりで来た。ユウにぃと一緒にくればいいのにぃ」

「お互い社会人ですから。忙しいんですぅ」

「ふーん」

「はい、これ。先生とかお父さんお母さんに、許可もらってから食べるんだよ?」

「わかってるよ〜ん。いつもありがとね、サキねぇ」

「どういたしまして」

 タッくんはお菓子のパッケージを、珍しい虫でも見つけたみたいに、じっくりじっくり観察し始めた。彼にとっては、私にとって当たり前だったり、もう見飽きてしまったものでも新鮮に映るらしい。病院の売店にこれがあるのか確認して来なかったけれど、こんななんの変哲もないお菓子、普通にありそうな感じがするんだけどな。本当に、見たことないのだろうか。

 そもそも、病院の売店に行ったことがあるのか、聞いていいことなのかわからないから、なんども話す機会はあるけれど、どうにも尋ねられない。

 いいや、そもそもこんなお菓子、ユウくんが持ってきそうな気もするけれど。

「ねぇ。ユウくん、最近来てる?」

 売店のことを訊くよりも、ユウくんのことの方が気楽に訊けた。ユウくんが来たか。そのあと、ユウくんからこれをもらったか。その答えによって、なんでそんなにじっくり見るのかを尋ねてみよう。

 私の頭の中では、質問と回答がどんどんと枝分かれしていった。パターンがいくつあるのか、自分でもわからなくなるほどに、それは大木に育つ。

「なんでそんなこと訊くの?」

 その返しは、想定外だった。

「ええ? ええっとね」

「彼女なんじゃないの?」

「……えっ!?」

 絶対に、病室で出しちゃいけない声が出た。周りの人にギリギリ聞こえて、だけどお騒がせしないくらいのボリュームはどのくらいだろうって考える。それが正しいのか間違っているのか、検証している時間なんてないから、直感を信じた声の大きさで、

「すみません、お騒がせしました」

 囁き、ぺこりぺこりと頭を下げた。

「くく、くくく」

「なによ」

「サキねぇ、顔真っ赤」

 ほっぺたに手を当てる。熱いかどうかはよくわからない。ただ、言われた通りに真っ赤だろうことは想像できた。

 だって今、猛烈に恥ずかしいから。

「サキねぇ、アイちゃんとオレ、連れてきてくれた?」

「え? ああ、うん」

 ようやく、なんてことないひとときがやって来てくれたような気がして、ホッとする。カバンに入れる時にはわずかに指が震えていたけれど、缶に触れたらぴたりと止まった。ギュッと掴んで、取り出す。

 幾度も開けているから、これと再会した頃と比べると、とてもスムーズに開けられるようになったと思う。でも、やっぱりちょっと引っかかる。錆が「開けてやーらない」って抵抗する。だから私は、心の中で「開けーゴマ!」って言う。そうすると、錆が抵抗を諦める。いや、もしかしたら、タッくんのロボットが、ピピピピピって何かを操作してくれているのかもしれない。

「久しぶり〜、オレ。お前、アイちゃんとなに話してきたんだ? 教えろよぅ」

 にっこり笑いながら、ロボットと戯れる。病気じゃなかったら、ロボットじゃなくてボールとかと戯れていたのかな、なんて、無用な想像をしてしまう。

「ねぇ、タッくん」

「んー?」

「この缶、ここに置いておこうか」

「なんでー?」

「だって、タッくんと一緒にいられた方が、ロボットくんが嬉しいかなって思うし、アイちゃんだって、お友だちと一緒にいられて良いかな? って」

「うーん……」

 タッくんは、ロボットの腕を動かして、ピピピピピって何かの信号を発したフリをして、バキューンって腕を放った音を声にして、それからぼーっと、掛け布団の下、パタパタと動かしている足先の動きを見ていた。

「オレは、今のままがいい。アイちゃんに会いたいけど、長い間病院にいて欲しくないから。もっと、普通の世界にいて欲しいから。サキねぇと一緒だったら、見られなかったものを見られそうっていうか、感じられなかったものを感じられそうっていうか」

 ギュッと手を握りしめた。手のひらに爪がぐいと食い込む。痛いって気づいてる。だけど私は、手に力を込めることをやめられない。

 病気は、子どもを大人にしてしまうんだろうか。

 それとも、私の子ども時代が、あまりにも子どもすぎただけなのだろうか。

 この子に羽を生やしたい。

 世界を自由に飛び回ることができる羽を。

 天へと昇るほどに高くは飛べない羽を。



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