冷たい月 ー双子の幼なじみと消えない夜の傷あとー

ねじまきねずみ

ep1 幼なじみ

四月の終わりの放課後。

「ここはこの公式を使えば簡単」

「あ、そっか。さすが志月しづき、わかりやすい」

私、渡加陽波とがひなみ・高校二年は、幼なじみと勉強。

ローテーブルに向かい合って数学のテキストとノートを広げる。

「志月に教えてもらわなかったらテストの点が全教科平均10点は下がりそう」

「そんなことないって。陽波は理解が早いよ」

そう言って笑いかけてくれるのは、一之瀬いちのせ志月・同じく高二。ダークブラウンの髪がつややかな、爽やかで優しい笑顔のイケメンくん。

ちなみに私はストレートの黒い髪を長く伸ばしている。

高校に入学してからは放課後、だいたいこうして志月と勉強をしている。私にとっては塾に行くよりわかりやすいし、志月は塾なんか行かなくても学年トップの学力で、私に教えながら復習しているらしい。この春からは生徒会の副会長なんかもしてて、彼はいわゆる秀才ってやつ。

志月に勉強を見てもらうのはすごくありがたいんだけど、一つだけ悩ましいことがある。

「……ぁんっ……」

二人の会話のはざまに、壁の向こうから若い女の子のただならぬ声が小さく漏れ聞こえてくる。

気まずくて思わず無言になってしまう。

「はぁっ」

志月はあきれたようにため息をつくと、立ち上がって部屋を出る。そして……

〝ドカッ〟っと隣の部屋のドアを蹴る音が聞こえる。

架月かづき、うるせーよ。いつもいつも、いい加減にしろよ」

志月はべつにおとなしい真面目少年ってわけでもなくて、背の高い身体でこういう荒っぽい行動もする……んだけど、ドアを蹴るくらいちっとも荒っぽいなんて感じないくらいヤバい男がこの家にいる。

「……いつもいつもってどういうこと!?……」

「……そのまんまだけど?……」

壁の向こうから、今度は痴話喧嘩みたいな声。

これが始まったら……

〝バチンッ〟

やっぱり。ビンタらしき音。

それから……

「……最っ低……」

〝ガチャッ〟ってドアの開く音がして、志月にぶつかりそうになりながら、乱れた服装の女の子が走って出ていく。

私がこの家に来ると、三回に一回くらい見る光景。違うのは女の子の顔くらい。

「お前さぁ、なんなんだよ。家に女の子連れ込むなって言ってるだろ?」

志月は隣の部屋の主にお説教。

「あーはいはい、さすが優等生の志月くん」

そう言って部屋から出てきた彼と目が合う。

志月と同じ顔だけど、漆黒みたいな真っ黒で長めの髪と鋭くて冷たい目つきのすさんだ表情。

志月の双子の兄、架月。

「自分だって連れ込んでるくせにな」

「おい、陽波はそんなんじゃないだろ? 謝れよ」

「変わんねーよ、女なんて誰だって」

架月が吐き捨てるように言う言葉に、胸がチクッと痛む。

「おい」

志月の声が怒りを帯びる。

「いいよ志月。気にしてない」

うつむいて言う私なんか気にせず、架月はどこかへ行ってしまった。

「ったく、本当にしょうがないな架月は。ごめんな」

「大丈夫」

「前はあんなんじゃなかったのにな」

二人は双子だから、当然架月も私の幼なじみ。昔はよく三人仲良く遊んでた。


——『ヒナのこと、待ってるから』

昔の記憶が頭をよぎる。胸がギュッてなって、息が苦しくなる。


十八時半。

「そろそろ帰ろうかな」

ノートを閉じて、ブルーのリュックを肩にかける。

「送るよ」

志月も立ち上がる。

「今日も置いてくの?」

志月の質問に、小さくうなずいた。

架月の部屋のドアの前に、この数日で勉強した分のノートを置く。

「いらねーって何回も言ってんだろ」

少し離れたところから不機嫌そうな声が近づいてくる。コンビニにでも行っていたのか、小さなビニール袋を持っている。

「でも架月、全然授業出てないから」

「べつにテキトーにやってれば卒業できんだから、放っとけよ」

隣に立った大きな身体に、また吐き捨てるように言われてしまう。

「そんな言い方するなよ架月。陽波は心配してくれてるんだから」

見かねた志月が間に入ってくれる。

「それに、父さんだっていつまで甘い顔してるかわからないだろ? 出席日数ギリギリでもテストだけはちゃんと受けろよ」

そう言って志月が床のノートを持って架月に押し付けると、架月は「チッ」って面倒そうな舌打ちをして部屋に入っていった。

「いつもありがとう、陽波」

架月の代わりに、志月が優しく笑いかけて頭をなでてくれる。


「架月……出席日数大丈夫かな?」

家への短い帰り道、幼なじみを心配して質問する。

私の家と二人のマンションは徒歩五分と離れていない。

「出席日数はまだ大丈夫。あんなだけどテストも受ければそこそこ点数取れてるし、心配しなくて大丈夫だよ」

「さすが、志月と双子なだけあるね。なんかムカつくけど」

志月の言葉にホッとして、思わず「ふぅ」と息を漏らす。

「陽波って、今でも架月のことが好き?」

「……え」

志月の突然の質問に、首を横に振る。

「そんなんじゃないよ。幼なじみだから心配なだけ」

「そっか、良かった」

「え?」

思わず志月の顔を見上げる。

「俺、陽波のこと好きだから」

「え!?」

「そんな驚く? わかりやすかったと思うけど」

「だ、だってそんな、志月って学校のみんなの憧れの人じゃない。私なんて……」

「みんなの憧れなんかじゃないけど、俺にとっては陽波が一番かわいいよ」

志月はいつも通りの穏やかな声と目で微笑みかけてくる。

「え、えっと……」

戸惑ってしどろもどろになる私に、志月が「クスッ」と笑みをこぼす。

「べつに今すぐ付き合いたいとか、返事が欲しいってわけじゃない」

「……」

「少しは意識して欲しいって思っただけだから」

同い年とは思えない、余裕のある優しい顔。

ドキドキしてる間に家についてしまった。

「……送ってくれてありがとう。じゃあ、また明日。おやす——」

言いかけたところで、身体がフワッと何かに包まれる感覚。

「さっき言ったこと」

気づいたら、志月に抱きしめられてた。

「本気だから。陽波、再会してから昔より大人っぽくなってたけど、中身はかわいいまんまでうれしかった」

心臓がドキドキしてる……。なんて言ったらいいのかわからない。

言葉を発せないでいる私に、志月が見つめて笑いかける。

「本当かわいいな、陽波」

「し、志月……急にそんな」

慌てる私にまた笑いかける。

「顔が赤いみたいだな。少しは意識してくれたんだ? うれしいな。でもね、陽波——」

志月が耳元でささやく。

「急なんかじゃないよ。俺は昔から陽波のこと、好きなんだよ」

優しい低音ボイスでそう言うと、彼は私を解放した。

「じゃあ、おやすみ」

「……お、おやすみ」

左耳が熱い気がして、つい手で押さえてしまった。顔だってきっと志月の言う通り真っ赤だ。


志月が〝再会〟って言った通り、私と志月……それから架月には会っていない時期があった。

私たちが中学一年の秋、二人の両親が離婚した。

そして、志月はお母さんに、架月はお父さんに引き取られた。

志月はお母さんと隣の市に引っ越してしまったから会えなくなった。架月は今と同じ家に住んでいたけど……しばらくしたら全然会わなくなった。

だけど志月がうちの高校に通いたいからって、またこの街に戻ってきた。

二人のお父さんは会社をいくつも経営している社長でお金持ち。忙しい分、子どものことまで手が回らないみたいで放任主義。

志月と架月は離婚前にお母さんと暮らしていたマンションで、今は二人だけで暮らしてる。

『いいじゃん、昔みたいに気軽に遊びにくれば』

志月がそう言ってくれたから、二年ぶりに二人の家に行った。

だけど架月はあんな調子で、もう昔とは違うんだって思い知った。


——『陽波って、今でも架月のことが好き?』

志月の言葉を思い出して、誰もいないのに思わず首を横に振ってしまった。


——『変わんねーよ、女なんて誰だって』


もう、あの頃の架月はいないから……。

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