第10話 エコーに響け!
体が揺れている。
俺の意思とは関係なく。
フラフラと前に進む様に。
眼を開けると、眼前にある物は芝生だろうか。
詰まりここは草原、少し顔を上げてみる。
地平線の彼方に夕日が沈んでいる。時刻は夕刻だ。
今度は横を向いてみる。
そこにはアルカディアの横顔が、
「起きた様だな。担ぐのは疲れたから、自分で歩いてくれ」
そうか、アルカディアに肩を支えて貰って歩いていたのか。
「あれ、どうなったんだっけ?」
記憶が曖昧だ。死に掛けた記憶はあるが、その後どうなったんだ。
俺はアルカディアの肩から離れ、足をふらつかせながらも歩き出す。
「あぁ、イツキの奮闘の後、私がキッチリとマンドラゴラを討伐して、お前の命はエコーと言う『クレリック』が救ってくれたんだ」
その言葉の後、アルカディアは事の顛末を知らせてくれる。
「そっか、感謝しなくっちゃな」
スゲェ人だな。
俺みたいな無力な人間とは違う、何かに突出した実力を持つ者達。
それを得るには地べたを這いずり、血の滲んだ泥水を啜る様な努力か。
この世に生まれ落ちた時点で燦然と輝き、天より授かった才か。
ただひたすらに夢を思い描き、それに進み続ける天賦の馬鹿か。
その全てが、俺には無い。
努力が才能よりも偉いとかじゃない。
才覚が凡人よりも偉いとかじゃない。
馬鹿と天才は紙一重って訳でも無い。
生きとし生ける全ての存在が持つ能力の全てに優劣は存在せず、そこには評価を下す人間の意思が介在し、無慈悲に裁きを下される。
まぁ、無能は死ぬだけ。分かっているよ。
ただ、事実があるだけだ。
その人がどんな人生の軌跡を辿って来たかに関わらず、強い奴は強い、弱い奴は弱い。
悔しい。
悔しいなぁ。
「弱いなぁ」
バレンタインに闇夜の暗闇が満ちる時刻、誘われる様な漆黒に煌々とした月が空に描かれている。
そんな中、俺達はギルドに戻り、クエストの報酬金を受け取りにカウンターまで足を運んでいた。
天井に吊るされた変な照明が仄かにギルドの内部を照らし、夜の闇が入り込む窓辺はいっその事幻想的だ。
「受付嬢さん、クエスト完了しました」
「はーい、報酬の一万ゴールドです」
俺の堂々とした完了宣言、それを聞いた受付嬢は報酬金を差し出して来る。
カウンターに置かれた一万ゴールド分の通貨、燦然たる輝きを放つ様にすら見えるそれは、神々しさすら感じる。
これが異世界生活の濫觴、俺の礎となる最初の一歩。
「これが異世界で“働く”って事か……ようやく理解したぜ」
その報酬金を財布の中に入れ、忙しなくカウンターを離れる。
「でさぁ、吞んじゃう? 初給料だし、パーッと! 明日もクエストに行けば、一万とは行かなくても相応の額が手に入る。宿屋の一日の料金が平均で千ゴールド程だから、寝床には困らない筈! きっと!」
初給料の高揚感で金を無駄遣いしたい欲求に駆られる。
仕方ないよね、人間だもの。
「フム、良いだろう。だが、その前に」
そう言って、アルカディアは俺の目と鼻の先まで来る。
え、何? 何なの?
今から俺、殴り殺されるの?
それとも、いやらしい行為!?
アルカディアの赤く、柔らかい唇が紡いだ言葉は、
「風呂行って来い」
チクショウ。
バレンタインの冒険者ギルドの地下には大浴場があると言う。
冒険者ならば入浴無料。
そのノリで宿屋みたいなのも付けて欲しかった。
湯気が満ちる浴場に踏み入り、茹だる様な熱気を受けながら、
――熱湯じゃぱぁぁぁ。
風呂から上がり、冒険者達が多く居るエントランスに戻って来た。
沢山の机や椅子が立ち並び、飲食や依頼の受注、魔物の素材売却などが行える。
まぁ、平たく言えばいつもの場所だ。
その椅子の一つに座るアルカディアに手を振り、向かいの席に座る。
ギシギシと軋む木造の椅子、年季が入っていると感じる。
机に腕を乗せ、アルカディアに言葉を掛ける。
「でよぉ、酒飲もうぜぇー」
「そうだな、私は酒が飲めないから、酒は飲まん」
「『そうだな』、って何だよ! 『そうだな』は肯定語だろ! 言葉が矛盾してる感じだぞ!」
涼しい顔で下戸を宣言するアルカディアに、俺は心底残念そうにそう返す。
「飲もうぜー」
「飲まん」
「飲もうぜー」
「飲まん」
何回かの応答の後、俺は諦めて手を振りながら、
「まぁ、飲めないんなら仕方ない。これってアルハラになるかな? え、裁判で負ける奴じゃん。オワタ」
「あるはら?」
俺の耳慣れない言葉に疑問を覚え、不思議そうに小首を傾げるアルカディアを横目に、机に備え付けられたメニュー表を手に取る。
「『マーダーラビット』のステーキ、『デスバグ』の素揚げ、『オーク』のローストビーフ……『オーク』のローストビーフ!? どこに牛要素が!? まぁ、蒸し焼きって事だろうな」
他にも多種多様な食事の種類があるが、気になるのは、
「この『デスバグ』って何だ?」
「あぁ、虫の魔物だ。素揚げにした物に塩を掛けると何故か旨い。魂が拒絶するが、それでも美味しい。さぁ、怖いのは最初だけだぞ、“
そう言って、俺を沼に引き摺り込もうとするアルカディア、それに首をぶんぶん振って拒絶する。
「嫌だ! 虫の魔物はちょっとキチィっす!」
そんなやり取りをしている最中、俺達の座るテーブルに何者かが寄って来る。
白い雪の様に思えるその人物は、俺達の居るテーブルに手を勢い良く着けて、
「ちょっとー! 言いたい事があるんですけどー!」
「おや、エコーではないか。どうしたんだ? そんなに怒って?」
顔を紅潮させ、膨らました頬で不服を表現しているのは件の冒険者、
「え、貴女がエコーさんか? いやぁ、ありがとう。俺を救ってくれて。日比谷五稀だ、よろしく」
純粋に感謝を伝える俺の眼前の人物、その名はエコー。
「グッ、また感謝された。だけど! 許してあげないからー!」
俺の感謝の言葉に、エコーは深く帽子を被り直しながら答える。
「で、何かあったのか?」
アルカディアの小首を傾げた疑問に、エコーは憤慨しながら、
「いや、薬草の群生地が燃えていたんですよー! その所為で、私はクエスト失敗です! 薬草採取には貴方達も来てましたよね! 絶対燃やしましたよね! お金が無くて今日のご飯が食べられなくて辛いんです……!」
あぁ、俺が燃やしたわ。
俺の魔法の練習で薬草畑を燃やした結果が、そんな事になっていたとは。
終わる。終わってしまう。俺の人生詰んだか。
いや、未だに残っている。起死回生の一手、勝機の策が。
「スミマセン、俺が全部燃やしました、許してくださいお願いします。金輪際エコー様には不利益を被らせないと誓う所存でございます」
椅子から立ち上がり、エコーの前で日本人の伝統芸、土下座を披露する。
そんな俺の態度に、エコーは怒りの熱も冷めてきた様で、
「ま、まぁ? 私もそこまでは怒ってません。ただ、少しで良いので食事を恵んで頂けないかなと」
よし。何か許してくれそうだぞ。
ちょろい、ちょろいぞ!
俺の転生特典は最強の土下座だったのか。
流石に冗談。
土下座を解除し、意気揚々と立ち上がる。
「そんな事で許して貰えるなら、幾らでも食べて構わないぞ! 奢りだ!」
俺の快活に放った言葉に、エコーはピクッっと反応して、
「その言葉、二言はありませんね?」
「――? あぁ、幾らでも食べていいぜ!」
その言葉を聞いた直後、エコーは笑顔でパーッと顔を華やかにして、
「ありがとうございます! お腹ペコペコで困ってたんですよー!」
そう心底嬉しそうに言葉を紡ぐ。
アルカディアの隣の椅子に座り、足をユラユラと嬉しそうに動かしている。
そのまま、笑顔でウェイターを呼んで、
「ウェイターさん、取り敢えずこれを十人前ください!」
「え?」
驚天動地、俺は冷や汗を流しながら、“奢り”と言う言葉を発した事を後悔した。
「いやぁ、まだまだ食べられるー。だけど、いつもより少なくしなきゃなー。奢ってくれてるんだし」
そう言って、また一つの皿を平らげるエコー。
最初の十人前はあっさりと胃の中に送られ、エコーは山の様な皿を積み上げている状態である。
これ、一万ゴールドで足りるか?
俺とアルカディアが食べた量を遥かに上回っている。
くそぉ、何故大食いキャラだと言う事に気付けなかった。
気付ける訳ねぇだろ!
「エコーさん! ストップ! 尽きちゃう! 俺達の資金が尽きちゃうから!」
切羽詰まった様に言葉を発し、エコーを止めようとするが、平然と、
「“奢る”、その言葉の重さを理解出来なかった、イツキ君の失策だよ。一人のリーダーとしての判断力、思考力、決断力、リーダーになるにはそれが必要なんだよ」
「この平和な食事の席でよくシリアスに出来るな!? と言うか、エコーさんランク1だって言ってたよな! ランク3のクエストはランク1が受けちゃいけない、って話じゃなかったか!?」
「変な契約書みたいなのにサインすれば受けられるんだよー。たしか、ギルドは一切の責任を負わないみたいなヤツ。それで私は危険地帯の採取系を受けて、バリアで魔物を退かしながら頑張るって訳」
戦闘力がなくとも、そう言う方法で金を稼いでやがるのか。
羨ましい!
「イツキ、これはヤバい。このままじゃ、私達の金が食い潰される羽目になるぞ」
そう小声で告げて来るアルカディア。その額には汗が滲んでおり、パーティーの行く末を案じている様だ。
そうだな、これはマズイ。
「ウェイターさん、これと同じ物を十人前――」
「待ってくれ! これ以上は、これ以上はご勘弁を!」
そう言って、俺は地面に手を着き、姿勢を低くする。
詰まる所、土下座である。
「俺は駆け出し冒険者、この一万は初給料の大事なお金だ! 命を救って頂き、更には俺の所為でクエストを失敗させてしまった手前、大きな事は言えないと自覚している! だが、頼む! どうかご容赦を!」
魂からの咆哮、誠心誠意を込めた願いの言葉を、
「……じゃあ、もう一皿注文したら終わりにするよー」
絶望の一言で捻じ伏せた。
「ふぅー、軽食って所かな」
「グフ、死んでしまいます……」
「金が、私のポーションが……」
エコーの食事が一通り終了し、夜も深まった時刻に狂気の饗宴が幕を閉じる。
精神的に死に掛けている俺達は、ウェイターを呼び出し、会計をする。
「ウェイターさん、会計をお願いします」
ここが肝心だ。
果たして、現在持っている金を超過したのか否か。
ウェイターが金額を合算し、その唇から紡がれた言葉は、
「えー、9860ゴールドですね」
その言葉通りに金額を支払い、俺は安堵した。
耐えたぁー。
無事に支払いが出来ない、何て言う状況は避けられたぁー。
危機を脱した安心感に頬を緩ませ、溜息と共に汗を拭う。
「フゥ、借金で
「フム、エコーはこんなにも大食いなのだな。また一つ知見を得た感じだな」
アルカディアと互いに安堵の吐息を吐き、胸を撫で下ろしているのを見届けたエコーは、
「今日はありがとう。いつか、また会おうね」
エコーはそう言って微笑むと、そそくさとギルドから離れようと歩き出す。
その背中はどこか不安げで、自信が無い様な感じだ。
何かに怯えている? 直感でそう判断した。
それとは別で、俺はエコーの去り行く背中に声を掛ける。
「待ってくれ。エコー、お前は誰のパーティーにも属してないんだよな」
その言葉を聞いたエコーはその足をピタッと止め、目深に帽子を被り直しながら、
「そうだけど、どうしたのかなー」
真剣さを宿した瞳で振り返り、静謐さを帯びた口調で応答する。
「ならさ、俺のパーティーに入らねぇか! こっちには治療し甲斐がある俺とか、スタミナ回復が必須な馬鹿も居る。やりがいは十分だし、『クレリック』としてパーティーに所属する事はランクアップにも繋がる。どうだ!?」
俺の勧誘の捲し立てに、エコーは顔を紅潮させ、目を白黒させて取り乱しながら、
「私は貴方が思っている程に立派な存在じゃないから! 私を仲間にしたって、失望するだけだから! じゃあね!」
そう言って、疾風の如き速度でギルドから居なくなってしまう。
エコーが勧誘を断って姿を消した。
俺は啞然としながらその場に立ち尽くして、ポカーンと目を見開く。
上手くいかなかった事に対する口惜しい気持ちを吐息と共に吐き出し、席に座り直す。
「流石に俺じゃ勧誘出来ないかー。だけど、『クレリック』は欲しい。これで問題の八割は解決する。フリーの『クレリック』は今の所はエコー一人、どうにか勧誘してぇが、アルカディアが説得してくれよぉ」
俺にはカリスマ性が無かっただけ、これは必定であり、アルカディアならワンチャンスあるかもしれない。
向かいに座り直すアルカディアは、難しそうな顔をして、
「そうだな、エコーは拒絶した訳で、これ以上は私達が首を突っ込んではいけない領域なのではないか? 頑なにパーティーに入らないのは事情がある筈だ。これに部外者がずけずけと踏み入るのは失礼と言う物だ」
確かにな。
俺だって部外者に傷を無遠慮に触れられるのは勘弁だ。
だけどな、何故だか良く分からないけど、身内に触れられるのは傷の表層だ。そして、身内に傷を触れられると、何故だか反発してしまう。
部外者だからこそ傷を深く抉り、そこで根を張る絶望の芽を摘める。
そう信じている。
だって、俺がそうだったから。
「部外者だから助けちゃいけねぇ、何て有り得ねぇ。全ての人間は、全ての他者と関わり合う平等な権利がある筈だ。俺は前世みたいに他者と関わるのを諦めねぇぞ」
「イツキ、お前……」
「どうした?」
俺の言葉を受け、アルカディアは神妙な顔をして、
「マトモな事を話せたんだな」
「シバくぞ」
因みに、エコーの食費代の所為で、今日も公園のベンチで寝る羽目になった。
背中痛い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます