後編-1-

「昨夜はよく眠れましたか?」

「いえ……」

「あはは、ちょっと興奮しちゃいましたかね? けど、受賞式のあとって皆さんそんな感じですよ」


 気さくに笑いかけてくれる担当者に対して、俺も笑顔を作って返すが上手く出来ず明らかな苦笑いになった。

 結局、目的の人物からはダイレクトメールもSNSへのコメントもどちらもこなかった。それを常に興奮状態で警戒していた俺はなかなか寝付けず、今の体調は最悪だ。三十分ほどの浅い睡眠を繰り返しては、スマホをチェック。関係ないコメントや通知を見るたびに安堵と不安を感じて、怒りで誤魔化す。


「アイは――実は何の関係もなかった?」


 そんな楽観的な考えも時間が進むにつれて浮かぶようになり、それを否定する考えが自分の中で半々になったあたりで強い眠気を感じるようになってきた。そのときには窓の外は明るくなってきていたけど。

 襲ってくる睡魔に甘えようとも考えたが昼からは担当者との打ち合わせがあり、今寝たら寝過ごしそうな気がしたので無理矢理起きていた。食欲はなく、気付け薬代わりに流し込んだコーヒーは胃を見事に荒らしてくれてバッドコンディションを整えてくれたようだ。

 結局、昼食を食べる気にもなれず今に至る。


「では、打ち合わせをしていきましょうか」

「は、はい」

「えっと、ですね。今回の作品ですが――」


 俺は緊張しながら担当者の話を聞いていた。その緊張は今の体調の悪化に拍車をかけたことは確かだろう。

 相手の担当者は俺より年下で、社会人のキャリアも浅い。それでも俺の憧れていた世界で働いていた、ということに関しては先輩だった。そういう点では俺の方が年上だとか、社会人のキャリアは上だ、とかなんの役にもたたない自分の優位性を探すことなく話を聞けたと思う。

 事実、担当者の話をしっかり聞くにつれて、俺は自分の体調を忘れるぐらい夢中になった。

 担当者が言うには、俺の作品は『書籍化検討』となっているが、これは建前ではなく本当に検討……出来ることなら出版したい、と思い社内で動いていること。出版に関するあれこれについては、俺に出来ることはないのでその間は今回の作品のクオリティを上げていく方針になった。

 担当者は審査員の方々から改善点をヒアリングしており、それを分かりやすく丁寧にまとめて教えてくれた。俺も立食パーティーで色々聞いて、感動したはずなのに既に頭の中からはその記憶は薄まっており、上手く思い出せない。俺にとってはあのときがピークで、その先のことは小説家としてスタートするんだろう、と曖昧で漠然とした考えでしかなかったが彼女は違った。しっかり、俺の作品のことを考え、向き合って、世に出す為に尽力してくれていたのだ。

 その思いが伝わり、感動したからこそ俺は担当者の話を真剣に聞き、自分の考えも伝えた。打ち合わせは充実したものになり、その時間こそが俺の中にある不安を溶かしてくれたようだった。打ち合わせが終わる頃には体調不良も寝不足も忘れていた。


「――ここまでにしましょう」

「あ、ありがとうございました」

「良い感じで方向性も決まりましたね。絶対に書籍化させましょうね」


 そう言って、担当者は両拳を握って笑顔を見せてくれた。若くて、小柄にも関わらず彼女に頼もしさを感じる。


「はい。頑張ります」

「では、次回ですが先程決めた通り来週の――あ、すみません」


 会話の途中でスマホが震えたのだろう、彼女はポケットからそれを取り出し、耳に当てて通話を始める。


「うん、うん。こっちも今終わったから。じゃあ、ロビーで待ってて」


 短い会話を終えるとスマホを再びポケットに戻す。そして、申し訳なさそうな笑顔をこちらにむけて、


「すみません、先生。このあともう少し時間大丈夫ですか?」


 そう言われたので、


「えぇ、大丈夫ですけど」


 実際にこのあとは予定がなく、時間には余裕があるので嘘偽りなく答えた。


「あぁ、良かった。実は、私が冒頭に伝え忘れていたんですが、昨日の受賞式を見て先生に会ってみたい、と言っている別の出版社の知人がいまして。まぁ、実は私の大学時代の友人なんですけど」

「はぁ……」

「彼も作家の担当をしていまして。別の出版社ではありますが、色んな出版社や関係者と出会い、人脈を広げることは先生にとってプラスになるかと思いますので、会って頂きたいんです」


 個人的には意外なことだった。てっきり、このような業界は小説家を取り合い、囲うようなことが一般的なのだろうと思っていたからだ。

 確かに小説家としては書ける場所や機会は多ければ多いほど良い。その為に人脈を広げる、というのも納得だ。しかもそれを自分の担当者が勧めてくれるのだから、これ以上、ありがたいことはない。もちろん、別の考えを持っている出版関係の人間はいるだろう。ネットでは小説家を消費物のように使えるだけ使ってポイッ、と捨ててしまうような話も見たことがある。その点では、俺はこのような担当者に出会えたのは幸運であり、小説家人生の幸先は良好なのだろう。


「こっちとしても、ありがたい提案です。それで、何処の出版社の方ですか?」


 俺は素直に担当者の提案を受け入れ、尋ねた。そして、彼女は笑顔で教えてくれた。


「エスポワール書房という出版社です」

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