後編-4-

 タイピング音を響かせながら、俺はモニターに映る原稿用紙に文字を埋めていく。頭の中にある物語を、それを彩る表現を次々とアウトプットしていく。俺は目指すべきゴールへと確実に進んでいく度に、自身がモニターに吸い込まれ、原稿用紙に溶け込んで、ぐちゃぐちゃでドロドロになっていく一体感を覚えた。それが世界を創る感覚なのだろう。疲労感の中にある高揚感に酔いしれていた。このまま、何も食べずに、何も飲まずに生きていけそうだ――と、そんな勘違いを自覚させてくれたのはスマホの着信音だった。普段はあまり鳴らないが故に、それは異音となって先程までの世界を壊して俺を現実へと引き戻す。


「もしもし」


 俺はスマホの画面を見て、会社の電話番号が表示されていることを確認したあとで、通話ボタンをタップする。


「もしもし。休みのところすみません。あの、ちょっと以前作成した資料について聞きたいことがありまして――」


 電話の相手は後輩で、どうやら以前、俺が作成した資料について質問があるようだった。頭の中を自称小説家からサラリーマンにスイッチを切り替えて、その資料のことを思い出し答える。


「ありがとうございました」


 後輩のお礼を聞き終えると、俺は通話を切ってそのまま画面に表示されている時間を見る。時刻は十四時過ぎ、と確認したと同時に少し立ちくらみがした。


「少し休むか……」


 そう呟くと、先程まで作成した物語を保存してキッチンへとふらふら歩く。足取りがおぼつかないことで、自身の疲労を自覚した。そういった意味では先程の後輩の電話に感謝したくなる。とりあえず、冷蔵庫から水を取り出してコップに注ぐと一気飲みした。体内に冷たさが染み渡っていくと、身体がそれを求めていたんだとわかる。飲み終えると、俺はリビングの椅子に座って大きく一息ついた。

 二週間前――ラストチャレンジ、と銘打ってから俺は本気で小説に取り組んでいた。環境を変える為に、防音性の高い部屋に引っ越した。部屋の構成は2LDKで一つは寝室、もう一つはこれまでと同様に趣味部屋、と名付けて執筆をする部屋を設けた。そして、三ヶ月後にある新人賞に向けて作品を完成させる為に執筆に勤しんでいた。推敲は残しているものの、まずは物語を書き終えようと考えていた。あと少しで書き終える……そんなところまで出来たので、木曜日から二日間の有給休暇を取得し、土日と合わせて四連休にして、その期間で書き終えてしまう算段だ。今日はその二日目で金曜日。平日なので周囲は働いており、先程の電話が鳴ったわけだ。だけど、昨日から徹夜で書き続けてきたこともあり、進捗は順調。このままいけば、土曜日の夜には書き終えて一段落、となりそうだった。


「よし、今度こそは絶対に……」


 俺は今回の作品については、過去最大級の自信があった。それは物語の構成もそうだが、表現や描写についてもこれまで以上に上手く書けているからだ。


「それもこれもあの夢のおかげだな」


 本当にあの夢は天恵だったんじゃないか、と思い笑ってしまう。人を殺したことなんてないけれど、あの夢での生々しい感覚を今回の作品に落とし込んだ。それにより、作品が息を吹き込まれたように生き生きとし、躍動に溢れ、書き進める度に俺と物語が踊っているように感覚に酔いしれてしまう。


「楽しいとはいえ、少し無茶をしすぎたな。休憩、休憩」


 仮眠も考えたが、執筆が捗っていたせいか少々興奮状態で眠くない。身体を椅子の背もたれに預けてだらりとしながら、スマホをいじる。この四連休に入ってから今まで先程のような着信が鳴ることもなかったので、一度も確認していない。通知を確認していき、不要なニュースやメールマガジンなどの情報はスワイプして消していく。

 特に気になることは、ないか――と思ったときだ。一つに通知で指が止まる。SNSのダイレクトメールが届いていたからだ。夢カタルかな、と思いタップするが相手は違う。『アイ』という創作仲間だ。


「久しぶりだな」


 彼女は夢カタルと同時期に仲良くなった女性の創作仲間だ。主に恋愛系の小説を執筆しており、別ジャンルを書くので作品の競合や言い争いもなく仲良くしていた。彼女もネットに作品を掲載はしているがプロ、というわけではない。確か、夢カタルとも仲良く、三人とも交流があった。とはいえ、ダイレクトメールを送ってくるのは本当に久しぶりだ。

 俺はその内容を確認した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る