Helloばいばい

ワニとカエル社

おためし1話

……夢だと思った。間違いない。リアルな夢だと。

いつものように登校していて、見慣れた橋を通りかかった。

日常のひとかけらの景色。

それが…一変する。

私の歩く先で、黒いかすみのような何かが、地から噴き出す。

日常からやや離れた瞬間だけれども、私はそれをマンホールから汚水でも噴き出したのかと思った。

…しかし、その黒い靄からうなり声が上がる。確実にその靄は、目の前の私を威嚇していた。黒い靄から虫のような脚が生え、声を上げながら迫ってくる。

もう、日常のそれではない。なんだか分からないけれど、危険なのは分かった。

分かるが、何をするのか分からない。怖くて逃げることもできず、立ちすくむ。

何より異常だったのは、通学時間のこの瞬間に…車も人の姿も辺りに無いことだと、今更ながらに気付く。

違和感と恐怖心が、皮膚を走り抜けていくように、鳥肌が立つ。悲鳴も上げられない。シンプルにこのまま死ぬな、と思った。

……が、その前に私は空に浮く。誰かに抱き抱えられている。

景色が変わっている。私の体は、遥か頭上にあったはずの、電灯の上に乗っていた。

男の人だった。

彼は私を片手で持ちながら、面積の少ない場所に平然と立っている。

おそろしいバランス感覚。

眼下には一つどころか無数に黒いものが次々と噴き出し、うごめいていた。

「つかまっていろ!」

男の声だった。彼は普段見慣れない…弓を左手に持っていた。

飛び降りながら、胸ぐらに私を押しつける。私はもう掴まるしかない。

落ちる恐怖に思わず目を閉じる。着地するまで、いくつも風を切る矢の音がした。

ようやく地に足が着き、目を開ける。

……が、私は景色を疑った。

さっきまで私が歩いていた橋は跡形もなく破壊され、瓦礫の山と化し、放たれた矢はいくつもコンクリに刺さっていた。

私の前に立つ男は無言で矢を放っている。

次々と私の目の前にいた靄たちを射抜くその手つき。

そこに迷いはない。後悔も贖罪も罪悪も、あるのは精確な死。

暮れゆく川辺に響き渡る、水音と悲鳴と肉を射抜く音。

靄は矢で打たれると割れて霧散する。

足場が悪いと判断したのか、私は再び彼に掴まれ、今度は流れる川に着水。

ずぶ濡れになり、顔を上げる頃には靄は一つも無くなっていた。

「ずっとずっとずっと探したぞ」

長い弓を持ち、川に立つ彼は人語を話す。

人には思えず、獣か何かにしか見えない。

さっきまでの、瞳孔まで開いているような異常な目ではなく、普通の人の目をしている。

私は彼に見覚えなんかない。

…一つに束ねられた赤く長い髪、平凡なジーパンにシャツ、浮かぶ彼の天衣無縫な笑顔、拙い言葉。

高校へ上がったばかりの私よりも確実に年上…少なくとも三つは上だろう。背も高く、程よく筋肉が付いている。

全てが初めて出会う姿だ。知らない…知らない人だ。

「アヲイだから分かる。やっと出会えた」

ばしゃ、ばしゃ、と迫る水音。

目をそらせず、私の足も凍り付いたように動けない。

恐怖?……いや、違う。

「九千九百九十九と一万回目、の輪廻回り…長かったぞ」

動けない私の手首を、信じられないくらい優しく掴む。

人間の手だと思えなかった。

先ほどまでの振る舞い…戦いの中の目が、夢のよう。

「会いたかった…御前様ごぜんさま

大きな身体で強く抱き締められた。私を包むその腕に、私への愛情を感じる。

それは、子供のような真っすぐさを帯びていた。

夕暮れに染まりゆく川辺。

アヲイと名乗った男と私は出会う。

まるでようやく再会したかのように。


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