回帰と乖離
@qunino
第1話 前夜
無重力の通路の手すりを握っては手放して押し進む竹上。案内をする発電区画の主任・荒沢と共に通路内をふわと漂っていた。世代交代船の回転軸にある無重力の第一船体は、3つの部分に分かれていた。前方部に宇宙観測区画、乗員本会議棟や物資倉庫、シャトル発着ポートなどがある中央区画、後方部に発電区画があった。
通路の隔壁扉が横滑りに開くと、竹上を思わず身を引き、手にしていたヘルメットを落としそうになっていた。
「竹上さん、大丈夫ですよ。それでも一応決まりなんで、ヘルメットは被ってください」
荒沢は、区画内の酸素レベルと侵入宇宙線の数値を船内IDスマホで何度も確認していた。
「しかしあれを見ると…」
竹上は宙に浮いたまま、口を半開きにしていた。発電区画の中心部に鎮座する核融合炉につながるパイプが吹き飛び、残存部が黒こげになっている部分に目が釘付けになっていた。
「この3号炉は緊急停止していますし、応急処置の気密性バブルで覆っていますから問題ありません」
「いゃぁ、ここまで派手に破壊されていたとは驚きです」
竹上は破損個所から目を戻していた。
「恒星間の宇宙では、よほど運が悪くない限り微小隕石の衝突はあり得ないのですが…ご覧の通り予想外でした」
荒沢は手元のスマホの画面に破損個所の拡大写真などを表示させていた。
「まぁ、たまたま運が悪かったのでしょう。しかし対策を早急に講じないと電力需給がひっ迫します」
「そうなんですが…」
荒沢はうつむき気味に言葉を濁していた。
「復旧にはどれくらいかかりそうですか」
「このパイプの予備がないので、どこかの小惑星でも見つけて、できればレアメタルですけど…なければ鉄などを採掘してパイプを作らないとダメです」
「採掘ですか。現在の恒星間航行中では、無理に等しいですよ。これは議会を招集して、今後の電力供給をどうするか議論する必要があります」
竹上は話し声が聞こえてくる方を見ながら言っていた。
「あぁ、いらしたのですか、竹上さん」
ヘルメットを浅く被った春川が別の係員を伴って発電区画の柱の陰から出てきた。
「春川さん、いつもながら早いじゃないですか」
「私はせっかちな性格なもので、決してあなたが遅いわけではないですから、気にしないでください」
春川は謙虚な感じで、ちょっと申し訳なそうにも見える言い方であった。
「私の方が一足早かったようです。それでは荒沢主任、破損個所以外も視察したいので、案内をお願いします」
春川はソフトな声で言いながら、自分のIDスマホのカメラを起動させていた。
1時間程、発電区画を視察した竹上と春川は、乗員本会議棟の談話室で休憩してた。
「あれだと、電力の配分を根本から考え直さないとダメじゃないですか」
竹上はアイスコーヒーが入った紙コップを静かにテーブルに置いていた。
「確かに、私もそう思います。ただこれは一筋縄には行かないような気がします。我々は地球を発ってから今年で160年になります。この間に第二船体の住人と第三船体住人はかなり考え方に隔たりが出て来ていますから」
春川は紙コップの野菜サプリ・ジュースをごくりと飲み込んでいた。
「まぁ、生活様式や身体的にもそう言えますか」
竹上は角刈りにスカートをはいている春川を何気なく見ていた。
「今回の視察議員も両方から一人ずつという取り決めでしたし、全てにおいて平等でないと何かと問題になりますから」
春川は大股開きのスカートの裾のシワを伸ばしていた。
「ただ今、今日は視察で発電区画に行ったけど、あれは酷かった。いつもクールな春川議員も顔色を変えていたよ」
竹上は玄関からダイニングキッチンに入って来た。
「お帰りなさい。それじゃ、夕食の前に、まずこれを食べて」
妻の香澄は、お玉を鍋のふちにかけてから、戸棚から皿を出していた。
「ママ、このクッキーはなんだい」
竹上は星形のクッキーをつまんでいた。
「学校から帰って来た桃香と一緒にお菓子をを作ったのよ」
「そうか。ん、結構、うまいじゃないか。それで桃香は」
「諒太と21世紀のレトロゲームをやっているわ」
「ママは子育てが終わったら専業主婦をやめて、パティシェでもやるつもりか」
「専業主婦の優遇手当はなくなるけど、そのつもりよ」
「手当がなくなるのは、ちょっと痛いけど、ママの人生だから、仕方ないよ。どうぞご自由に」
「あたしの人生ね。このまま亭主に働かせて、自分は悠々自適の有閑マダムという道もあるけどね」
「それこそ好きにしてくれ」
「ねぇ、春川議員の第三船体だと、女性も男性と平等に競い合って働かないといけないのでしょう」
「…最近は女性はほとんどいなくなったらしい。身体的に不利だからな。去勢するか遺伝子操作で中性になる人が多数派だよ」
「今まであっちの船体の詳細に関心がなかったけど、それじゃ男性はどうなの」
「性を意識させない社会の構築のために、あえて中性なるらしいぞ」
「そうなの。見た目だけ中性と言うわけではないのね」
翌朝、竹上はいつものように自分の事務所に出勤したが、道路が混んでいたため、時間通りに出勤できないことが日常化していた。
「竹上先生、応接室に陳情の住民が来てますけど、どうしますか」
竹上がデスクに座るとすぐに秘書の伊藤が入ってきた。
「どんなものだ」
「第二船体住民の第三船体への移住についてなのですが」
「またそけれか。元々約4万人ずつだったのに、今や増える一方の第二船体は6万人で減る一方の第三船体は2万人だからな」
「電力供給にも影響がありますし、放っておけないですよね」
「とにかく、今日は忙しいから帰ってもらってくれ。あぁ、それと陳情は確かに承ったと言っておいてくれ」
「わかりました」
「我々も第三船体議会に申し入れはしているのだが、なかなか快い返事が得られないでいるから。三日後の乗員本会議では一波乱ありそうだぞ」
竹上が言い終えても、伊藤はすぐに応接室に行こうとしなかった。
「あっ、伊藤さん、ゴメンゴメン。お見合いの件だね。ちょっとイケメンではないけど、誠実な男を見つけておいたよ」
「先生、別に急がなくても良いんですよ」
「いや、君も適齢期じゃないか、そろそろ良い旦那を見つけて専業主婦になれば、外で働かなくても充分食っていけるぞ。お局の顔色をうかがうこともないからな」
竹上は子育て後に復帰したもう一人秘書が、まだ出勤していないのを確認しながら言っていた。
「お局って、根上さんは、良くしてくれますけど」
「これがお相手の資料だ。君のIDスマホに転送しておくよ。もし嫌だったら別の男を探すから言ってくれ」
竹上は手早く、スマホの画面をタップしていた。伊藤は嬉しそうにして歩き始めた。
「適齢期か…これは21世紀ならタブー語の一つだと歴史の授業で習ったな」
竹上はつぶやきながら、執務室を出ていく伊藤の後姿をぼんやりと眺めていた。
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