シーン7
3.赤い糸はひとつじゃない
それからしばらく、僕はブルホラの活躍を見守った。このポジションで彼らを見られたことは貴重で、とても良い経験になった。
ただヒカルとは、リアルで会えない日が続いていた。このまま終わっちゃうのかなと思い始めた2月頃、雷神カフェのマスターから連絡が入った。
『播磨くんのお墓が完成したので連絡しました。思ってたより早かったよ。私は来月の祥月命日にお参りしようと思っていますが、茜原くんは忙しい時期だと思うから、都合のいい日にでも声をかけてください。いつでも同行します』
祥月命日というその日は都合が悪くて、4月の大型連休あたりに伺いますと返信した。透夜にも連絡して、スマホを閉じる。
こたつに潜り込んで音楽を聴く。
こんな気分の時は無理やり上げずに、ちょっとアンニュイな洋楽がいい。ジャンルでいえば何だろ。クラシックでもジャズでもない。ああ、R&Bとかいいかも。不意に透夜の歌を思い出す。面白かったから、録画すれば良かった。
スマホが振動する。透夜から了解のスタンプ。忙しいのに連絡くれて有難い。ヒカルなんて、最近は既読スルーばっかりだよ。
あーあ。マジで終わるかもな。
次の日大学で授業を受けた後、アキトと大学近くのカフェに入った。
「ブルホラ、最近どうなん」
「来月に解散ライブがあるよ。オンライン限定でチケット販売中」
「へえ。買おうかな。一緒に観る?」
「あ、僕は直接、舞台を関係者席で見るから」
「なんだ。あいつと終わりそうって言ってたくせに」
「それはホントにそう。もう全然、連絡ないし」
サラダを食べてふと顔を上げると、アキトは真面目な顔で、
「ならさ。行くなよ。俺の方が大切に出来ると思うんだけど」
「え? いやいや、アキトは無いでしょ」
「何だよ、無いって」
「おまえ、誰にでも口説くじゃん。そういうのはダメ。逆に面倒くさい」
本命にしか口説かないと、アキトが続けるのを無視して、僕は水のおかわりを店員に頼む。
久しぶりにバーにでも行ってやろうかな。ヒカルのせいで、かなり欲求不満なのだ。ハタチの性欲なめんなよ。
夜になって、僕は少しオシャレして出かける用意をしていた。別に新しい出会いは期待してない。ただ気晴らしがしたかった。
帽子を選んで家を出るタイミングで、電話がかかってきた。ヒカルかと思いきや透夜で、うちに来ないかと誘われた。
「いいけど。疲れてるんじゃないの?」
『大丈夫。今日は早く終わったから』
なんだと。それならヒカルから連絡あってもいい筈なのに。
ムッとしたので、じゃあ酒持って行くと告げて電話を切る。酒屋でおすすめされた白ワインを買って行くと、茜今日めっちゃ可愛いじゃんと褒められた。
「たまたまね。出かけようと思ってる時に、透夜から誘われたの」
今日の透夜は蚊の人で、いつものように何のオーラも無い。チーズとサラダ、白身魚のマリネをテーブルに並べて、ワイングラスで乾杯する。
「ライブ、もうすぐだね」
「うん。1時間半ぐらいなんだけど、やること多いんだ。半分が歌で、あとはソロとコントにMC。コントが大変で、立ち位置とか間の取り方とか、段取りがたくさんあって。コントを入れようって考えた奴を恨みたくなる」
「あはは。でも透夜なら、上手く出来そう」
「まあ、僕よりもヒカルの方が手こずってるよ。毎日遅くまで自主練してる」
「ヒカルなんてどうでもいいよ」
あれ。ちょっと酔ったかな。舌が回りづらい。
「絶賛、放置中で飢えてんだよ、こっちは。気晴らしに男と喋りに行こうと思って、オシャレしたのにさ。今何故か、透夜んちって」
楽しくなってきて笑ったら、
「そうなのか。じゃあ、ちょうど良かった」
ワイングラスを空にして、透夜が僕の肩を持つ。
「茜が浮気する前に止められたね」
「何言ってんの」
透夜の口を指で軽く触れる。
「チャンスとか思わないんだ。僕のこと、好きとか言ってるくせに」
チュッと、わざと音を立て、首筋にキスしてやった。
「知ってるよ。透夜は磯山が好きだったってこと。だから僕に興味持ったんだろ」
「ち、違うよ」
あーくそ、噛んだと言って透夜は僕の両肩をつかんだ。
「僕は茜が気になるんだ。この気持ちは恋だとしか思えない」
「違う違う。僕じゃない」
スウェットの上から軽く触ると、驚いたのかビクッと肩を上げた。
「ほら。勃ってないし」
「ダメだって」
僕の手を払って、透夜は顔を伏せた。赤い耳を触るとやめてと小声になる。
「そういうのはダメだ。ヒカルに悪い」
「ヒカルと別れたら、してくれるの?」
「そういう冗談には乗れないし、磯山くんのことも普通に友達だから。変な誤解はしないでほしい」
「ふうん」
案外、お堅い奴だ。こんな童貞、相手する気はないけど。
「でもさ、透夜からの好意は友達の範囲内だよ。好かれる時は分かるもん。もっとオスっぽいっていうか、生々しい感じがあるんだけど、透夜にはそれが無いっていうか」
「性的な気持ちだけが、恋愛じゃないだろ」
透夜は少しムキになって、
「茜が悲しそうな時は心が痛くなる。磯山くんの家で、辛そうな顔を見た時は僕も辛くなった。こんな気持ち、家族以外に持ったことがない。だから茜は特別なんだ。これが恋愛じゃないなら、何なのか教えてくれよ」
「……親友、じゃないかな」
えっと驚いた透夜の顔を見て、僕は何故か力が抜けた。
「寝る。歯磨きしてくる」
のろのろと立ち上がり、洗面所に向かう。とりあえず今日はもう寝よう。
朝、目を覚ますと透夜はいなくて、鍵とメッセージがテーブルに残されていた。
椅子に座ってスマホの電源を入れる。ヒカルからの着信履歴が数件あって、これは無視していいよなとまた電源を落とす。
あーあ。つまんね。
昨夜の透夜を思い出してイライラした。そして、イライラしてる自分に少し驚いた。
自分でも気づいてなかったけど、透夜に期待してたらしい。もっと迫ってほしかった。ヒカルより好きだ、ぐらい言ってくれたら、あいつの言葉を信じられたのに。
一度家に帰ってから大学へ行く。アキトや他の友達と講義を受けた後、相良を見つけたので二人で帰ることにした。
播磨さんのお墓の話をすると、急にしんみりして、
「磯山くんってさ。私はあんまり関わりなかったけど、カッコいい子だったよね。チャラいんだけど、なんか大人っぽいっていうか」
「そうだね。あの当時の僕には、良いところしか見えてなかったけど。冷静に見てもきっと、カッコいい人だと思うよ」
磯山は普段、怖い雰囲気を出してるくせに、笑う時はふわって柔らかくなって。そのギャップが本当に好きだった。
「芸能人と付き合ってる茜が、カッコいいって言うんだからそうなんでしょ。ところで、播磨さんって人のことは知ってるの?」
「全然知らない。雷神カフェの2号店の店長ってことぐらい」
「それは私でも知ってるよ」
「だろ? でもさ、行ってみたいんだ。ただ単純にお墓参りしたいって気持ちと、雷神カフェの本店の店長にまた会いたいなって。普通のおじさんなんだけど、いい人なんだよ。奥さんもいい人で。その二人と、播磨さんの死を一緒に悼むことができたらいいなって思ってて」
急に相良が、よしよしと頭を撫でた。
「いいじゃん、お墓参り。実家にも帰って、親孝行もしておいで」
お土産は◯◯のパイでいいからと言うので、その後は地元の名産品の話で盛り上がった。相良はいい奴だ。こんな面倒くさい僕をいつも心配してくれる。
バイトを終えて、家に帰るとヒカルがいた。
いつものように僕のベッドに座って、黙ってこっちを見つめてる。
「忙しいんじゃないの?」
「なんで電話に出なかった?」
「寝てたんだよ」
キッチンから水を持ってきて、彼に渡す。いらないと手を振って、
「寝てたって、透夜と?」
「そういう意味じゃなくて。普通に横になって寝てたの」
「透夜んちにいたのは確かだろ?」
「知ってるなら聞くなよ」
ヒカルとこんな言い合いは初めてだ。緊張がバレないように床に座り、ペットボトルの水を飲んでから、
「ねえ、なんでそんな言い方するの? 責めたいのはむしろ、僕の方なんだけど。連絡してもスルーされて、全然会えなくて。忙しいって分かってるけど、少しは構ってくれてもよくない?」
「それは……。悪かったよ」
うなだれたヒカルは疲れた様子だった。でもここで甘やかしてしまったら、自分がしんどい。
「あのさ。ひとつ提案があるんだけど」
キッチンから椅子を持ってきて座る。僕の目の位置が高いので、ヒカルは渋々顔を上げた。よし。
「解散ライブが終わるまで別れよ。そんで、まだ好きだって気持ちが残ってたら復活しようよ」
「……嫌だ」
「でも、この状態が続くとお互いしんどい訳じゃん? あと一ヶ月、ヒカルは仕事に全力投球して、僕は普通に生活を送る。ブルホラのことは変わらず応援っていうか、見守ってるから」
「……でも、その間に浮気するんだろ」
「そりゃ、しないとは言い切れないけど」
「それなら無理。別れるなんて絶対嫌だ」
ヒカルは泣き出した。困ったな。
とりあえずお風呂に誘って、ベッドでもセックスしてヒカルを寝かしつけた。
寒いけど頭をスッキリさせたくてベランダに出る。そしたら何故か、磯山のことを思い出した。
付き合いだしてまだ日が浅かった夏の日、格闘の末にようやく繋がることが出来て、僕は嬉しくて泣いてしまった。
「泣くなよ、茜。俺はおまえに泣かれると、胸が痛くなる」
「なんで? 僕のことを好きじゃないのに」
「好きだよ。好きじゃなきゃ、こんなに頑張ってまで抱こうと思わない」
「でも2番目なんだよね」
「2番目っていうか。……印象があまりに強くて、忘れられないだけだよ。いつかは思い出になるから、もう少し待ってて」
結局、磯山はそいつを忘れられなくて、僕は嫉妬で苦しくなる一方で。無理矢理、終わらせた恋だった。子供だったなと思うけど、あんなに夢中になる恋愛は、もう二度と出来ない気がする。
あ、なんかわかった。
今の自分と、あの時の磯山は少し似ている。
ヒカルとは最初からブレーキをかけている。だから、もっと辛くなる前に別れようなんて提案ができた。もう傷つかないように、僕の愛は本当はもっと重いから――。
今のこの気持ちが、僕と付き合ってる時の磯山と似てるなら、あの頃の僕に勝ち目は全く無かったのだと思い知る。
磯山もブレーキをかけていた。
そして心中相手には、それを外して、本気でそれこそ死ぬほど好きになったのだとしたら。
それは、ある意味幸せと呼べるのかもしれないな。
そうならいい。辛く苦しい痛みを持ったとしても、愛を知らないまま逝ってしまうよりもずっと。
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