第17話 隠された魔法陣

「内間さんが言ってた天井の黒いのって、あれのことですかね」


 天井には黒っぽいシミができていた。でもあれ、どこかで見たような気がする。


「何もないはずの場所に異変が起これば、意味を見つけようとするのが人間だ。特に怪奇現象が起きたなら、異変を怪異と結び付けようとするものだ」


 万屋さんはシミを見上げた後、窓や壁、設備に視線を滑らせた。


「築百年以上の家に住む私が言うのも何だが、ここは随分古いな。特にこの部屋の窓は北側にあり、日当たりが悪く、湿気が籠りやすい。シミがあるのはそこだけじゃなさそうだ」


「まさか、あれって——」

「黒カビだ」


 彼に言われて部屋をもう一度見回した。窓の近くの壁に天井と似たような黒っぽいシミができている。そういえば、外に面した壁は結露ができやすくて、カビが生えやすいんだっけ。


「うわぁ……こんなに広がるまで、よく放置しましたね……。ということは、七尋幽霊と黒いシミは無関係ってことですか」


「偶然にも七尋幽霊が現れた事で、内間さんは怪異と成長したカビを結び付けて考えてしまったんだろう。カビの成長については、内間さんの性格が災いしてしまったようだ」


 そう言われて、僕は内間さんが探偵局に来た時の事を思い出した。ドアを開けっぱなしにしたり、靴を脱ぎ散らかしたりしていたから、僕と違って細かい事には頓着しないのかな、と感じていた。

 証言から、彼女は七尋幽霊に気付く前から、天井のシミには気付いていたようだ。でも、原因は調べず、そのままにしていたのか……。


「あれ、日当たりが悪くて古いマンション? もしかして、この部屋が安かったのって、これのせい——」

 外から聞こえてきた電車の騒音と、部屋を揺らす程の振動に妨害された。嘘だろ、一階ならともかく、ここ三階だぞ……。


「最上階だったらもうちょっと静かなんですかね?」

「変わらないと思うよー」

「線路沿いというだけでなく、耐震性まで怪しいとはね」


「ヴィンテージマンションっていうのもありますけど、ああいうのは維持管理を徹底したから得られる称号ですね……。このマンションはなんて言うか、その……内間さん、よくこの部屋借りようって思いましたね」


「しかし、都心にあって駅の近くにある安い物件ではある。彼女がここを選ぶには、十分な理由だったんだろう。帰って寝るだけにこの部屋を利用していたらしいし、我慢できる範囲だったようだ」


 話している間にも電車が二本ほど走って行った。騒音と振動にげんなりしてしまうけど、日中部屋にいないなら気にしようもないか。それに、一週間怪異が出ても住み続けたくらいだから、これくらい内間さんにとっては些細なことだったのかもしれない。


「事故物件じゃないのに安い理由がよーくわかりました」


「いや、破格の理由はまだある。さっきからずっと、視界を邪魔されて鬱陶しかったんだ」

 突然、万屋さんは壁に杖を突き立てて、何を思ったのか壁紙を剥がし始めた。


「もう不法侵入どころの騒ぎじゃない!」


「セージ、両手で顔を覆ってないで、これを見たまえ」

「え、これって——魔法陣? 何で壁の裏側に……」


「これを書いた奴は、この部屋に住む人間に目くらましの魔法をかけていたようだ。魔法の効果を反転させて、何を隠していたのか暴いてやろう」


 万屋さんが魔法陣に記号を書き加えると、部屋の景色が一変した。

 壁や床は、脈打つように動く赤い管状の物で覆われており、天井の四隅には監視カメラが取り付けられていた。さっきの視線は押し入れじゃなく、そこから感じたようだ。

 さらに、魔法で隠されていたのは景色だけじゃなかった。下水の匂いだと思っていたのは生き物の腐臭で、この部屋を覆う管状の何かから臭ってくる。


 あまりの変わり様に、僕は危うくコーヒーを吐き戻すところだった。


「酷い出来の魔法陣だが、効果はそれなりだな」


 万屋さんは妙に落ち着いて魔法陣を眺めているけど、一刻も早く逃げた方がいいんじゃないかな!?


「落ち着けセージ。私の肩を揺するのはやめてくれたまえ。それよりこの魔法陣、妙だと思わないか? こんな下手な描き方なのに、内容はかなり高度なものだ。例えるなら、文字を覚えたての子供がシェイクスピアのソネットを書き写した紙だ」


「魔法陣なんて全部妙ですよ! 何て書いてあるかわからないし」


「だろうな、特にこれに使われているのは悪魔の文字だ。魔法使いでもこれを使って魔法を組み立てられるのは、ほんの一握りしかいない」


「つまり何ですか? 魔法陣を描いた人と魔法陣の内容を考えた人は別人ってことですか!?」


「その通り、人に取り憑いた悪魔がこの魔法陣を描かせたんだ。悪魔は契約者の願いを叶える代わりに、マンション中に触手を這わせて、気付かれないように少しずつ住人の生気を吸っていたんだろう」


「どうする探偵、出直すー? 俺は大丈夫そうだけど、セージ君は食われちゃうかもよ」

 天井裏からサガリさんの声が聞こえてきた。


 マジか、悪魔って人食べるのか。そりゃそうか、悪魔なんて邪悪の代名詞だもんな。


「これを放置して帰るのはマズイですよ! それに自分の身は自分で……あ、悪魔に空手って効きますかね!?」


「素晴らしい勇気だが、試すのはお勧めしない。もし悪魔が現れたら、君はサガリと一緒に私の後ろへ避難するように」


 そう言って、万屋さんは天井に視線を向けた。やっぱり、天井裏に何かあるのか?


「サガリ、報告を頼む」


「はいよー」

 天井からサガリさんの上半身が生えた。

「埃っぽさとカビ臭さが俺好みだなー。ここに住んじゃおうかな」

 そう言ってサガリさんがケラケラ笑うので、万屋さんはやれやれと首を振った。


「天井裏には箱があったそうじゃないか。それが悪魔を招く何かだったなら、その痕跡があるはずだ」


「なーんもないよ。でも、気になると言えばさ、ここ最上階の部屋じゃないじゃんね。だからここの屋根裏って人間が楽に移動できるような高さじゃないんだよ。配線もいっぱいあるし、動きずらいったらないと思うよ。どうやって誰にも気付かれないように箱置いたんだろ」


「悪魔に運ばせたんじゃないですか? でも、だとしたらどうして、この部屋の天井裏に置いたんでしょうか」


「あの依頼人はさ、業者の人が天井裏に隠されていた箱を見つけてくれたって言ってたよね。でも、それがそもそもおかしくてさ。天井裏を人が通った痕跡、何もないんだよねー」


「人が通った痕跡がない? じゃあ、業者さんはどうやって天井裏の箱を持って来れたんだろう」


 僕とサガリさんが唸っていると、万屋さんは「天井裏には何もない、か。なるほど」と、納得したように呟いた。

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