第14話 依頼人 内間の証言
笑われるかもしれないけど、都心で暮らすのが夢だったんです。
映画にデパート、ライブにイベント、足に困らないから夜遅くまで飲み歩ける——そういうキラキラしたイメージが強くって……。
自分の給料じゃ、こんな大きな街になんて住めないって思ってました。だけど、偶然あの物件を見つけてしまったんです。駅からも近いのに、家賃がびっくりするくらい安かったんですよ。
事故物件だったかどうか、ですか?
不動産屋が言うには、事故物件じゃないらしいんですよ。念のため事故物件の紹介サイトとかも調べたんですけど、何も載ってなかったんです。それに、大家さんも同じ物件に住んでるので、嘘じゃないと思います。
不安はあったんですが、結局誘惑に負けて住んでみることにしました。もしかしたら出るのかもって不安はあるにはあったんですが、もし何かあったら引っ越せばいいやって思ってました……。
最初の一か月は何事も無く過ごせました。でも、あるとき何かの拍子に天井を見上げて、おかしなものを見つけました——天井が一部、黒っぽくなっていたんです。
他に気になったこと?
えっと、それ以外は何もなくて、気付いたら半年過ぎてました。都心の暮らしを満喫しちゃって、あの部屋はほとんど寝るときにしか使ってませんでしたから……あはは。
いつ、どうして怪異に気付いたか、ですね。
私は寝つきがよくて、寝たら滅多なことじゃ起きないんですよ。だからその日まで気づかなかったんです。あれは、深夜にだけ現れていたので。
あの日は、なぜかわからないんですけど、深夜に目が覚めました。
二度寝しようと思ったけど、パタパタって何かを叩く音が聞こえたんです。気になって目を凝らしたら、真っ暗な部屋の中で何かが動くのが見えました。
それは着物を着た女性でした。ありえないほど背が高くて、窓の方に反り返るようにして天井に手を当てて、パタパタ叩いていたんです。
その後、気付いたらコンビニに駆け込んでました。それから朝まで適当に時間を潰して、日が完全に昇ってからおそるおそる家に帰ったんです。そしたらそいつ、消えてたんですよ。
幽霊か何かわからないけど、それが叩いてたところ、ちょうどあの天井の黒い部分だったんです。今になって思うと、あの黒いシミのようなの、最初に見つけた時より大きくなってました。たぶん、私が半年近くもあの化け物に気付かないで生活していたせいです……。
今の部屋に引っ越したとき、これでもうあいつは出てこないんだって、安心していたんです。
でも、今思うと前の部屋にいた方がよかったのかなって思っちゃう。今の部屋ね、都心からちょっと外れたボロアパートなんですよ。しかも駅から遠いのに、前の部屋と同じくらいの値段するし。
アパートの周りは何の事件もなくて、隣の人に聞いたら、前にその部屋に住んでいた人も怪しい人じゃなかったっていうんです。それに昨日までは、何も起こらなかったんですよ。
だからね、もう訳がわからないんですよ。どうして、引っ越した部屋に——あの部屋にいた化物がいるでしょう。
昨日、ガリガリガリガリって窓を引っ掻いていたんです。さらに私の方を見て、何かを囁いてたんですよ。きっと呪いの言葉です、だってあんなに目が血走ってたんだから……。
前の時は顔を見てないけど、同じ着物を着ていたから、あいつで間違いないと思います。あいつが、私を追いかけて来たんです!
悪霊なんでしょうか? でも、あの悪霊に恨まれる覚えなんて何もないんです。
たすけてください。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「怖いですね……」
ゾッとした僕は万屋さんの顔色を窺った。彼は優雅にコーヒーカップを傾けている。全く動じていないようだ。
「以前の部屋に現れた怪異が、今の部屋でも現れたということか。確認するが、本当にその怪異に恨まれるような覚えはないんだね?」
「ありません!」
内間さんの返答を聞いた万屋さんが僕に目配せした。人の嘘が分かる異能持ちの彼は、内間さんが嘘を吐いていないと確信したようだ。
僕は手帳にメモを取った。
確定事項: 内間さん(依頼人)は部屋に現れた怪異の正体を知らないし、恨まれることをした覚えもない。
「となると、怨恨の線は薄いか?」
万屋さんは、視線を内間さんから少し逸れた場所に向けた。
「どうかしましたか?」
内間さんの呼びかけにも答えず、しばらくその一点を見つめていた彼は、やがて何かを思いついたのか視線を彼女に戻した。
「前の部屋について、もう少し詳しく教えてくれたまえ。たとえば、マンションの管理人に怪異のことを相談したかどうか」
「大家さんに相談したら、専門業者の人を呼んでくれました。そしたら天井裏に、錆びた箱が置かれていたって言うんです。いつ誰が何の為に置いたかわからなくて、大家さんは難しい顔をしてました」
「中には何が?」
「箱は開けずに然るべきお寺にお願いしてきました。だって、怖かったんですよ~」
中身は気になるけど、僕も同じ立場だったら、開けられる自信はない……。
「その時は今夜からまたぐっすり眠れるって喜んだんですよ。でも、そうじゃなかったんです。
そいつ、その夜も出てきたんですよ。天井を叩く音も前よりうるさくなっちゃって。もうこれ以上は耐え切れない、考えるのも面倒臭いって思って、引っ越しました」
——ん?
「あの、天井を叩く音が前よりうるさくなって耐え切れなくなったって、もしかして、怪異に気付いた後も、しばらくは引っ越さなかったんですか?」
気になって聞いてみると、内間さんはえへへと恥ずかしそうに笑った。
「友達に相談したら、引っ越しを勧められました。でも、その部屋の立地が凄く良くて、深夜に天井を叩く以外は何もしないから、もうちょっと様子をみようかと思って……一週間くらいそこに」
「一週間も!? 勇気ありますね」
「天井を調べてみたら? って提案してくれたのもその友達です」
「良い友人をお持ちのようだ」
僕だけじゃなくて、万屋さんも少し苦笑いしていた。
「その友達がね、また引っ越しなよって言うんです」
内間さんはコーヒーをぐびぐびっと飲むと、困ったように溜息を吐いた。豪快な仕草に見えたけれど、カップをソーサーに戻す指が震えている事に気付く。
「でも、もう引っ越すお金ないんです。友達はうちに来ても良いよって言ってくれたけど、私が行ったら、友達の家でも化物が出るんじゃないかと思って……。
あいつ、私に何を囁いていたんでしょうか。本当に呪いの言葉だったらどうしよう……。私、あいつに殺されてしまうんでしょうか?」
俯いた内間さんはボロボロと涙を零した。
慌てる僕と違って、万屋さんはハンカチを内間さんに渡すと、安心させるように微笑んだ。
「これ以上恐ろしいことは起こさせない。怪異探偵の肩書に懸けて誓おう」
——き、キザすぎる。イケメン怖い。
ぼんやりとそんなことが頭に浮かんだ時だった。
カタ。
素早く視線を音の方へ向ける。余っていたはずの、四つめのコーヒーカップが微かに揺れたような気がした。
——今、誰かがカップをそこに置き直したような……。気のせいか?
「いくつか確認したいことがある」
万屋さんの声に、僕は意識をカップからそっちへ集中させた。
「一つ目は、その箱を納めた寺の名前と住所。
二つ目は、今住んでいる物件と以前住んでいた物件の名前と住所。
最後に、あなたに箱を渡したのは誰だったか」
内間さんは涙を拭うと、鞄からスマホを取り出してホームページをいくつか表示した。僕は彼女と連絡先を交換すると、ホームページのURLを送ってもらい、お寺と物件の名前と住所のメモを取った。魔法で移動する時に必要な情報らしい。
「えっと、最後は箱を渡してくれた人でしたっけ? たしか、あの箱を持ってきてくれたのは……大家さんだったと思います。仕事で立ち会えなかったので、業者の人には会えませんでした」
「留守中に天井裏を見てもらったんですか?」
「大家さんは気さくでいい人だし、本人も良いよって言ってくれたので甘えちゃいました」
確定事項: 天井裏の箱を内間さんに渡したのは大家さん。
気になる事: 内間さんの防犯意識の低さ。
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