意味のない結婚

亜逸

意味のない結婚

「この結婚には何の意味もない」


 結婚式の当日、夫となるはずの男――スタークが吐いた言葉に、マリエルは眉をひそめる。


 マリエルのエスペラン家と、スタークのケルディン家の爵位はともに伯爵で、親しいというほどではないが両家の当主はそこそこに交流がある間柄だった。

 その繋がりを強固にするためか、はたまた政治的な思惑があってのことかはわからないが、両家の当主はマリエルとスタークの婚約を勝手に結び、トントン拍子で結婚まで話を進めた。


 マリエルとて貴族の娘。

 事ここに至った以上、何度顔を合わせても好きになれる要素が一つも見当たらない男であって、どうにか愛してみせようと覚悟を決めて結婚式に臨んだというのに、肝心の夫から出てきた言葉が「この結婚には何の意味もない」である。


 しかも、ウェディングドレスに着替え、その姿を初めて見たスタークの口から出てきた最初の言葉がだったものだから、マリエルからしたら鼻白むどころの騒ぎではなかった。


 そんなマリエルの心中を知って知らずか、スタークは話を続ける。


「この結婚は父が勝手にすすめたもの。二〇代半ばを過ぎても伴侶を見つけられない俺にも非があることは認めるが、だからといってお前のような何もかもが凡な女を伴侶としてあてがわれるなど侮辱もいいところだ」


 散々な言い草に、マリエルは怒鳴り返したい衝動をかろうじてこらえながらも、されど堪えきれなかった怒りを〝棘〟という形で言葉に交えながら、笑顔でスタークに返す。


「だからといって『何の意味もない』と言い切るのは、さすがに如何なものかと思いますが。伯爵家の長男が、二〇代半ばを過ぎてもフラフラしているのは世間体がよろしくありませんし」

「逆に言えば、世間体以外は何の意味もないということになるな」


 ああ言えばこう言うスタークに、笑顔のマリエルのこめかみにピシリと青筋が浮かぶ。


 はっきりと言わせてもらえば、マリエルもスタークとの結婚は全くノリ気ではなかった。

 ご覧の通りのスタークの性格は言わずもがな。

 年齢からして、マリエルが一七歳に対し、スタークには二七歳。年齢差は二桁の大台に乗っている。


 貴族の娘である以上、家のためならば望まぬ結婚をさせられることは覚悟していたし、望まぬ相手であろうとも愛してみせようという覚悟もしていたが、さすがに今目の前にいる男はと思わずにはいられなかった。

 いられなかったから、つい反撃の言葉が口をついて出てしまう。


「そんな話を結婚式の当日にわざわざ新婦わたくしに告げるのは、それこそ意味がないことだと思いますが」

「やはり貴様は凡だな。何の意味もない誓いの口づけなど、ただの拷問にしかならないことがなぜわからない? いいか。式で誓いの口づけをやらされた際は、周りにはバレないよう口づけをしているフリをしろ。その色気の欠片もない唇で、俺の唇には決して触れるなよ。わかったな」


 言いたいことだけ言うと、スタークはきびすを返してマリエルの前から立ち去っていった。


 ウェディングドレスの着付けを手伝ってくれたエスペラン家の使用人たちが、今の会話を聞いてオロオロする中、マリエルは怒りに震えながらボソリと独りごちる。


「そうですか……そこまで意味がないと仰るなら、わたくしにも考えがあります」




 ◇ ◇ ◇




 新郎の控え室に戻ったスタークは、椅子に深々と腰を下ろして嘆息する。


「まったく……なぜ俺があのような凡な女と結婚しなければならんのだ」


 このスターク・ケルディンは、ケルディン家を継ぎ、その才覚をもって将来的には家の爵位を伯爵から公爵へと押し上げる俊英。

 それほどの傑物につり合う女は、絶世の美女でなおかつ王族くらいのもの。

 妥協しても、公爵の令嬢が限界だ。


 そんなこともわからない愚鈍な父は、俺につり合う女を見つけることさえできずに、知人の娘だからといって、あろうことか伯爵位の凡な女をあてがう始末。

 今はまだ父がケルディン家の当主である以上、その命令には従う他ない。が、このスタークが当主になった暁には、あの愚鈍の父には相応の報いを受けさせてやると心に決める


 兎にも角にも、まずは当主の座に就いてからだな――そう思いながら、今はまだこんな茶番に付き合わなければならないおのが境遇に嘆いていると、


「た、大変です! スタークさま!」


 ケルディン家の使用人が素っ頓狂な声を上げながら、ノックもせずに部屋に入ってくる。


「無礼だぞ。それでもケルディン家の使用人か?」

「ももも申し訳ございません! で、ですが、一刻も早くスターク様にお伝えしなければなら話がございまして!」


 慌てて頭を下げながら言い訳する使用人に、スタークは三度目の嘆息を吐いてから居丈高いたけだかに応じる。


「今回だけは大目に見てやる。で、話というのは?」

「そ、それが……マリエル様が式場から抜け出して、どこかに姿をくらませたとのことで……」


 思わず「は?」と、間の抜けた声を漏らしてしまう。


 確かに俺はあの女に「この結婚には何の意味もない」と言った。

 だが、俺もあの女も貴族である以上、どれほど意に沿わないことであっても、当主の命令には絶対に従わなければならない。

 ましてや、当主の顔に泥を塗るような真似をするなどもっての外だ。


 だというのに、あの女は式を目前にして姿をくらませた。

 自分の父親の顔に泥を塗ってまで、式をすっぽかした。


「……あの女のことは、良いところが一つも見つからない凡な女だと思っていたが、それすらも過大評価だったようだな。まさか、貴族の責務すら果たすこともできないほどに愚かだったとは」



「そう言う貴様は、新郎としての責務も果たせぬ愚か者だがな」



 威厳を感じさせる壮年の男の声が耳朶じだに触れ、スタークの背筋に氷塊が伝う。

 ほどなくして姿を現したのは、スタークの父――ケルディン伯爵だった。


「話はエスペラン家の使用人から聞かせてもらった。よりにもよって貴様は、式当日にマリエル嬢にこう言ったそうだな。『この結婚には何の意味もない』と」


 スタークは思わず口ごもってしまう。


(新郎と新婦のやり取りを告げ口したのか!? あの女のみならず使用人まで愚かだったとは!)


 と、心の中で思っていると、


「新婦が式場が抜け出して姿をくらませたのだ。その理由となり得る出来事を両家の当主に伝えることは、使用人としては当然の話だろう」


 まるでこちらの心を読んだような言葉に、スタークは再び口ごもってしまう。


「貴様は昔からそうだった。口先だけの分際で驕り高ぶり、相手を見下す。己は有能な人間だとうそぶいている割りには、行動という形では一つも示さない。現に『何の意味もない』と言い切るほどにまで意に沿わぬ縁談だというのに、今日こんにちに至るまで貴様は私に反対の言葉一つぶつけてこなかった」

「そ、それは貴族として当主の言葉に従うのは当然の話であって……」

「確かに、この国においてはそういう風潮が強いことは認めよう。だが、万事において当主の言葉に唯々諾々いいだくだくと従うだけの輩が、いざ己が当主の座についた時に一体何ができるというのだ?」

「お、俺の才覚ならば、父上ができなかったもでき――」

「その才覚とやら、貴様が生きてきた二七年の中で、一度でもこの私に披露したことがあったか?」


 口先ゆえに才覚など一度も披露したことがなかったスタークは、三度みたび口ごもってしまう。

 自然、ケルディン伯爵の口からため息が零れる。


「伴侶を得れば、貴様のどうしようもない性根も少しはマシになるかもしれんと思って無理にでも縁談を進めたが、まさかここまで愚かだったとはな。まだ子供だが、次男のエリックに家督を継がせることも視野に入れておいた方がいいかもしれんな」


 そう言い捨てると、ケルディン伯爵はきびすを返し、「エスペラン伯爵には詫びを入れねばならんな」と独りごちながらスタークの前から立ち去っていった。


 スタークは、次期当主の座すら危うくなったというのに、ついぞ父にろくな反論も言えず、ただただ顔を青くすることしかできなかった。




 ◇ ◇ ◇




「やってしまいましたわね……」


 式場から離れたところにある川のほとりで黄昏れていたマリエルは、ちょっとだけ後悔が滲んだ言葉を口にする。


 貴族の娘でありながら、結婚式をすっぽかすという、エスペラン家の当主である父に顔に泥を塗るような真似をやらかしてしまった。

 頭が冷えてきたからこそその事実に頭を抱えそうになるも、スタークの顔を思い出した途端に「やっぱりあの男だけは」という思いと、上から目線で好き放題言われた怒りが沸々と湧いてきて、後悔も反省も彼方へと消し飛んでしまう。


 スタークとは絶対に結婚しないししたくない。

 それだけは絶対に譲れない一線と決めて、これからどうしたものかとマリエルが思案していると、



「マ、マリエルさん! やっと見つけた!」



 背後から少年の声が聞こえてきて、マリエルは目を見開きながらも振り返る。

 声をかけてきたのは、スタークの一七歳年下の弟であり、ケルディン家の次男であるエリックだった。


「エリック!? どうしてここに!?」


 驚きを露わにしながら、マリエルは相好そうごうを崩す。


 もありなん。

 エリックは一〇歳という年齢でありながらスタークよりも利発で、人格においてもスタークと同じ血が流れているとは思えないほどによくできた子供だった。


 正直マリエルは、スタークよりもエリックの方がケルディン家の当主にふさわしいと本気で思っている。

 長男スタークがいるにもかかわらず、次男エリックが生まれるまでケルディン伯爵が子作りをやめなかったのも、スタークが当主の器ではなかったせいにあるのではないかとも思っている。


 とはいえ、単純にケルディン伯爵がお盛んだという可能性も否定できないことはさておき。


 自分に懐いてくれているという理由もあってか、マリエルがケルディン家の館に赴いた際はスタークの相手よりもエリックの相手をしている方が多く、マリエルとしてもエリックの相手をしている時の方が余程楽しかった。

 だからこそマリエルは、エリックが自分を見つけたくれたことに、驚き以上に嬉しさを覚えていた。


「『どうして』はこちらの台詞ですよ、マリエルさん。どうして式が始まる直前に式場から抜け出して姿をくらませたのですか!?」


 根が真面目だからか、結婚式のドタキャンというマリエルの非常識な行動に、エリックが非難するような目を向けてくる。

 その事実に、マリエルはスタークに言いたい放題言われた時以上のダメージを心に負いながらも、スタークに「この結婚には何の意味もない」と言われたことについてエリックに話した。


 今度はスタークに対して怒りを覚えたのか、エリックは拳を握り締めて震えながら呟く。


「兄上がそんなことを……!」

「わたくしとて、自分がどれほど非常識なことをやらかしたかは理解していますわ。ですが……貴方の兄を悪し様に言うのは気が引けますが、あんな男の伴侶になるくらいなら、正直言って舌を噛んで死んだ方がよっぽどマシですわ」


 少々悪く言い過ぎたかもしれないと思ったが、エリックが兄を弁護する言葉を見つけられないでいるところを見るに、悪し様に言ってなお妥当な評価だったようだ。


 だからこそというべきか、しばし二人の間に気まずい沈黙が横たわる。

 ここは年上である自分が何か気の利いたことを言うべきだとマリエルは思うも、思うだけで気の利いた言葉が一つも浮かんでこなかった。


 やがて――


「……僕じゃ、駄目ですか?」


 沈黙を破ったエリックが、こんなことを訊ねてくる。

 言葉の意味がわからず、マリエルが小首を傾げていると、エリックは顔を紅潮させながらも、よりわかりやすい言葉で再び訊ねた。


「あ、兄上に代わって、ぼ、ぼ、僕と結婚するのは、駄目……でしょうか?」


 まさかの告白に、マリエルも頬を紅潮させる。


「な、何を言っているのですかエリック!? あ、貴方はまだ子供ですし、それにわたくしとは七歳も年が離れているのですよ!?」

「マリエルさんと兄上よりは離れていませんっ!」


 勇気を振り絞るように、エリックは声を大にして反論する。


 今回の結婚、マリエルが一七歳であるのに対し、スタークは二七歳。

 エリックの言うとおり、年の差はマリエルとスタークの方が確実に離れている。

 ゆえに、マリエルは口をつぐむばかりだった。


「そ、それに今回の件でケルディン家とエスペラン家に決定的な溝ができてしまったら、これから先、マリエルさんと会うことすら許されなくなるかもしれない。僕は……そんなのは、絶対に耐えられない」


 まさかエリックが、自分のことをここまで想ってくれていたとは思わなかったマリエルは、知らずときめいてしまう。

 スタークを前にした時は一度も高鳴らなかった胸が、今は賑やかすぎてうるさいくらいだった。


「僕はまだ子供です。ですがあと七年……いや、五年以内に一人前になって、父上たちに僕たちの結婚を認めさせてみせます! ですから! ぼ、僕と結婚してください!」


 頭を下げて、右手を差し伸べてくる。

 スタークにはない一途さに、ますます胸が高鳴っていく。


「……エリック。貴方の気持ちはわかりましたわ」


 マリエルはこれが答えだと言わんばかりに、差し出されたエリックの手を優しく握り締める。

 エリックが感極まったように顔を上げる。


「いきなり結婚は無理ですが、婚約くらいなら今すぐにでもお父様たちに認めさせることができるかもしれませんわ。ですから、まずは二人で式場に戻って、わたくしたちのことをお父様たちに報告してみましょ」

「は、はい!」


 マリエルが歩き出すと、エリックが嬉しそうな顔をしながらついてくる。

 

 長男スタークとの結婚を取りやめにして、次男エリックと婚約を結ぶ。

 そんなことが許されると思えるほど、マリエルは幼くないけれど。

 今はただ、この胸の高鳴りに浸りたかったので、後ろ向きな未来は頭の外へと追いやり、前向きな未来をエリックと一緒に夢想した。

 その夢想どおりに、エリックの熱意にほだされた父たちが、本当に婚約を認めてくれる未来が待っているとも知らずに。


 そして五年後に、エリックは宣言どおりにマリエルとの結婚を実現させた。


 結婚式当日。

 神父の前で誓いの口づけを交わしたマリエルは、エリックにしか聞こえない小さな声音で囁く。


「この結婚は間違いなく、わたくしの人生の中で最も意味のあるものだと断言できますわ」

「それは、僕の台詞ですよ」


 そう言って互いに頬を綻ばせると、二人はもう一度口づけを交わした。



 余談だが。

 スタークは「この結婚には何の意味もない」騒動のわずか半年後に、社交パーティの最中、酔った勢いで侯爵家の令息を殴って怪我をさせたことで、いよいよケルディン伯爵の堪忍袋の緒が切れてしまい、勘当された。


 以降、酒場で「俺は貴族なんだぞ」とか「お前らより偉いんだぞ」とかのたまって相手に絡んでは、ボコボコに返り討ちにされる憐れな男を町々で見かけるようになったが、そんなくだらない話がマリエルとエリックの耳に届くことはついぞなかった。



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最後までお付き合いいただきありがとうございマース。


ラノベでヤンキーものやってみましたな「放課後はケンカ最強のギャルに連れこまれる生活」の第3巻が先日発売されましたので、そちらの方もよろしくしていただけると幸いデース。

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