とっておきの絶景を、見に行きませんか?

翠雨

第1話 旅行の下見中に人助け

 道の両脇から空に向かって延びる大木が、待ちわびていた春を全身で喜ぶかのように枝葉を広げる。新緑のトンネルからは、心地よい木漏れ日が降り注ぎ、光と影のコントラストを作り上げる。地面から盛り上がる生命力みなぎる根っこを、軽い身のこなしで乗り越え、狭い道を下っていく。


「馬車は無理。馬なら……、いや~、厳しいか……」


 麓に近い道は、三人ほどが横にならんで歩ける広さがあった。山頂に近づくにつれ、だんだんと狭くなり、さらにデコボコ道になっていた。


「やっぱり、大変かな~? 絶景だと思うんだけどな~」


 ここは、王都から馬車で一日の場所にある、バーミン村の近く。ツアーコンダクターとして働いているミュズは、旅行の下見を終えて、山を下っていた。


 ミュズは14才。これくらいの年齢だと、職人に弟子入りしていたり、簡単な仕事をしていたり、少しずつ働き始める年齢だ。しかし、ミュズの様に、本格的に働いているというのは珍しい。

 ツアーコンダクターとして働けているのは、おにいのお陰だと思っている。去年、おにいがミュズを置いていなくなってしまうまでは、一緒に国中を巡っていた。


「人は弱いからな。こんな山道、我なら、何てことないぞ」


 自慢げな声は、前方、少し下から聞こえる。大きめの耳をピンと立て、鼻先をツンと上げて、後ろを振り返った。フサフサの尻尾がユサユサと振られて、ミュズに当たっている。


「そりゃあね~。ビオラは、賢獣だから」


 弾むような足取りで、ミュズを先導するように歩いているのは、大きな白い犬だ。


 人の言葉を話せて理性的な獣を、賢獣と呼んでいる。賢獣は魔力を持ち、魔法を使うことができる。

 それに比べて、狂暴な獣を魔獣と呼ぶ。魔獣も、魔法を使えるが、人を見つければ相手の力量も確かめずに襲いかかってくる。

 賢獣は数も少なく山奥で暮らしているので、目にすることはほとんどないが、魔獣はどこの森にでもいる。いま歩いている、新緑が美しい山にも、たくさんいるはずだ。いつ遭遇しても不思議ではない。ミュズも、背中に剣を背負っていた。


「ミュズが登れるのだから、大丈夫であろう」

 気軽な調子のビオラを抜かして、ピョンと跳ねながら後ろを向くと、ポニーテールにまとめたブロンズピンクの髪が揺れた。

「お客様が歩けなければ、意味がないのよ」


 今回の依頼主は、フォード元伯爵夫妻。伯爵位と領地経営の仕事を息子に譲り、時間ができたので旅行に行きたいということだった。


 コツコツと小さな仕事を積み重ねて、最近、やっと、貴族の旅行案内ができるようになった。

 仕事を始めたばかりは、王都の案内や、隣町までの案内など、小さな仕事しかできなかった。その次は、旅行先の相談相手をしていたのだが、少しずつ名前が売れてきて、裕福な方々の旅行を案内できるようになってきた。


 それでも元伯爵という身分のお客様は始めてだ。3日間という短い旅行だが、ミュズは少し張り切っていた。


 この山の頂上は、ミュズのとっておきの場所。休みながら登っても、2時間以内には登頂できる。当日の天気が良ければ、絶景が見られるはずだ。

 ミュズは、山登りをプランの一つに加えた。



 道が広くなってきたので、ミュズはビオラの隣に並んで歩き始めた。

 気軽に登れる程度の山だが登る人はいないらしく、誰ともすれ違わない。


 しばらく下ったところで、突然、ビオラが足を止めた。それに続いて、ミュズも立ち止まる。

 体勢を低くして耳をピンと立てたビオラは、なにかを警戒しているようだ。

「どうしたの?」


 森の方向を見る顔が険しい。

「ミュズよ。魔獣が来るぞ」


「逃げちゃ……、ダメだね」


 だいぶ下ってきている。村まで、走れば10分ほどだろうか。どんなに一生懸命走っても、魔獣を引き離すまえに、村に着いてしまう。村まで魔獣を連れていってしまうことにもなりかねない。村人に被害が出てしまう。


 ミュズは、背中に背負っていた細めの剣を抜き放った。

「ミュズが倒さなくとも、誰かが倒すのではないか?」


 面倒そうな声が聞こえた。森の方向に顔を向けたまま、鼻にシワを寄せ犬歯を剥き出しにしている。


「おにいだったら、絶対戦うでしょ!!」

「まったく……、ミュズは、とは違うのだから……」


 『赤いの』とは、ミュズが『おにい』と呼ぶ人物のことだ。鮮やかな赤毛が印象的だったのだろう。ビオラが名前で呼ぶのを聞いたことがない。


 ガサガサ、ガサガサ


 音が聞こえてきた。


 生い茂る木々を掻き分けるようにして、何者かが近づいてくる。


「ひ、人がいる……。助け……!」


 息も絶え絶えによろめきながら、一人の男が逃げていた。紫色の服装が目に入ったものの、今はそんな場合ではない。


 その男を追っているのは、ネズミの魔獣。6匹くらいが、前歯を剥き出して向かってきていた。

 体長は40センチくらいの小型の魔獣で、驚異になるような魔法は使わない。しかし、噛む力が強く、指など簡単に噛み切られてしまう。何ヵ所も噛みつかれて、出血多量で死んでしまうこともある。この小さな魔獣でも、十分、驚異だ。


「ビオラ! 助けなきゃ!」

「人のオスなど、ろくなものじゃない。放っておいても、よかろう」

 そういいながらも、ミュズの前に走り出してきた。ビオラにとっても、追われている男は他人事ではないはずだ。自分も昔、ミュズに助けてもらったのだから。


「よかった……」

 男は助かった安心感からか、意識を失って倒れこんだ。

 まだ、魔獣を倒したわけではないのに。


 ビオラは、男に駆け寄り跨いで立ち止まり、犬歯を剥き出しにした。

「ガルルルル!!」

 唸り声に驚いた魔獣は、ビオラを避けるように二手に分かれて、ミュズに向かってくる。


「ミュズを狙うとは、所詮、小物よのぅ~」

 フンと偉そうにしているが、ビオラの方が5倍くらい大きいではないか。そう思ったものの、せっかくやる気になってくれているのだから、水を注すようなことは言わない方がいい。


 ミュズの前には魔獣が一匹迫っていた。


 絶対に向かってくるとわかっていれば、対処法はある。ミュズはおにいほど強くないが、そこはビオラが補ってくれている。

 大きな口を開けて飛びかかってきたところを、迎え撃つように剣を付き出した。魔獣は身をひねって避けたが、それで逃げられるわけがない。ミュズとて、魔獣ハンターをしているおにいの戦う姿を見てきたのだ。

 捻った方向に剣を向けて、さらに一歩踏み出して勢いよく剣を突き出した。


 ミュズの剣はしっかりと魔獣の頭を捉えていた。剣を振り下ろして、魔獣から引き抜くと、次に備える。


 その間にビオラが、魔法で拳大の氷を作り出し、次々と魔獣の後頭部にぶつけていく。頭蓋骨に当たる嫌な音がして、1匹、2匹、3匹と、動かなくなる。それを横目に、残りの魔獣にうしろから追い付くと、首に噛みついた。既に絶命しているだろうに、口にくわえた魔獣を振り回している。


 ミュズは最後の一匹と対峙していた。人間には無条件に向かってくるくせに、賢獣のビオラのことは怖いらしい。後方を不安そうに確認するのを見逃さなかった。


 両手で握った剣を右上に振り上げ、素早い動きで斜めに切り込んだ。寸前で魔獣が向きを変えたので、渾身の一撃は、鼻先を掠めただけで空振りに終わる。

 ミュズの方へ向きを変えた魔獣が、長い前歯をつき出すように大口を開け、飛びかかってきた。振り抜いた剣を返すように横薙ぎにする。


 ガツッ!!


 前歯で受け止められ、固い音が響く。


 今度こそと、体勢を立て直すと、ズサッ!! という音が響いて、魔獣が急に仰け反った。そのまま地面に落ちて動かなくなる。

 魔獣の首には、氷柱つららのようなものが刺さっていた。


「ビオラ~!! 私の獲物~」

「ミュズが、ノロノロしているからなぁ~」


 わかりやすく唇を尖らせるミュズに、ビオラは話題を変えた。


「ところで、このオス、どうするのだ?」


「ちょっと、待って。その前に……」

 ミュズは倒れた魔獣のところに向かった。

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