第37話 お前の太陽になりたい

 アルベルクは、マリアンヌとトリンプラ侯爵を見送るサナの後ろ姿を眺めていた。悲痛に染まる面持ちで……。


「さぁ、トリンプラ侯爵と令嬢も去りましたし……サナ様、庭園で朝食を取りませんか?」


 余韻よいんの残る空気を一新させたのは、リリアンナだった。彼女の誘いを受けたサナは、弾けるような笑顔で首を縦に振った。その笑顔を見たアルベルクの胸が激しく高鳴った。


「エルヴァンクロー公爵もご一緒にいかがですか?」

「……いや、俺は遠慮えんりょしておこう」


 アルベルクはリリアンナの誘いを断り、リリアンナとサナに背を向ける。サナがどんな表情をしているかも知らずに、その場から颯爽さっそうと立ち去った。




 執務室に戻る道のり。最も近い道ではなく、あえて遠回りになる道を選んだのにはわけがあった。

 周囲に人の気配がないことを確認し、立ち止まる。アルベルクは大きな溜息をついた。そして先程、サナがリリアンナにかけた言葉を思い出す。

 

『かつての私も今のあなたと同じ、人生で最大の失恋を経験し、傷心中の最中にアルベルク様との結婚が決まりました』


 アルベルクは罪悪感を覚えていた。

 固い絆で結ばれたレオンとリリアンナ。ふたりの仲を引き裂こうとするサナの噂は、この南部の地、リーユニアまで届いていた。サナは恋人の仲を引き裂こうとするほど、リーバー伯爵であるレオンに恋していた。そんなレオンとの恋が実らない現実、失恋している最中にも拘わらずほかの男に嫁がされる現実は、彼女にとって受け入れがたいものだっただろう。

 サナに歩み寄り、彼女と日常を過ごすうちに薄れてきていた罪悪感が、またも芽生えるのを感じる。


(俺が無理に、お前を娶ったから……)


 アルベルクは痛む頭を押さえる。

 当時、サナの父親のバルテル伯爵がサナの結婚相手を探しているという話を偶然耳にした。リーバー伯爵に想いを寄せる悪女と結婚したがる若い貴族男性は当然おらず、爵位を金で買ったという大商人の年老いた男性が名乗りを上げていたらしい。家門の貴族から結婚を急かされていたアルベルクはすぐさまバルテル伯爵に手紙を送った。サナ・バルテルを公爵夫人として迎えたい、と。バルテル伯爵は快く了承してくれた。結果、婚約期間を挟まずして、サナを妻に迎え入れたのだ。

 大商人の老人のもとに嫁がせるくらいなら、自分のもとに来たほうがいいと時期尚早しょうそうに決断してしまったが、その時点でサナと面と向かって、彼女の意見をはっきり伺うべきだった。


(ただでさえ、顔も合わせたことのない男に嫁ぐなんて嫌だっただろうに……。辛いはずだとお前のためを思って初夜も我慢したし、結婚当初も距離を取っていたが、それすら愚策だったかもしれない)


 結婚するだけしてサナはまだ辛いだろうからと中途半端に距離を取ってしまったが、あまりにも無責任だった。

 自身を娶った忌々いまいましいアルベルクとできるだけ顔を合わせない新婚生活を送らせることで、サナの心もやがて穏やかになるものとばかり思っていた。しかしそれは、アルベルクがただ、彼女を無理に娶ってしまったという罪悪感から逃げたかっただけなのではないか。サナのことを思うならば結婚相手としてとことん向き合い、サナの意見を聞き、彼女を尊重するべきだっただろう。


「初手を間違えてしまったな……」


 アルベルクは大息をつく。


『あなた自身を愛して、幸せにしてあげる努力をしてみてください。そうすれば自ずと、夜明けを告げる太陽に気がつき、そしてその人を愛することができるでしょうから』


 サナにとって、夜明けを告げる太陽という存在は現れたのだろうか。それとも未だ、現れていないのだろうか。それは当事者である彼女にしか分からないが、許されるのであれば、自分こそが、彼女に夜明けを促す太陽になりたい。そう、思った。

 なぜそう思うのか。簡単だ。



(俺が、サナを、愛しているから)



 まだ、口で伝えることは叶わない想いを、心の中で吐き出す。

 サナがレオンに恋している時も、アルベルクは彼女を想っていた。

 アルベルクがサナに婚姻を申し込む約一年前。皇城にて開催された大々的なパーティーに、アルベルクは皇帝直々に招待された。嫌々ながらに皇城に足を運び、パーティーの大半を人目の少ないバルコニーで過ごしていた時、ひとり夜の風と匂いに酔いしれるサナを見かけたのだ。憂いを帯びた表情、全身から溢れ出る色気とオーラ、そして何より、ルビーの宝石よりも美しい目が印象的だった。

 直後、泣いている彼女に、レオンが声をかける。密かに会話を聞くと、レオンの口から出る言葉は全て、リリアンナを庇うものであり、サナを侮辱するものだったが、サナはレオンに溢れんばかりの想いを伝えた。結局その想いは鼻で笑われてしまった。再びひとりにされた彼女を物陰から眺めたアルベルクは、透明な涙を流す彼女に目も心も奪われた。アルベルクは基本運命を信じていないがその時ばかりは、人々が言う運命とやらを信じたくなってしまった。

 それは間違いなく、恋だった――。

 あとになって、サナが悪女と名高いバルテル伯爵家の令嬢であることを知ったが、本気の恋をしてしまったアルベルクにとってそんなことはどうでもよかった。そして一年後、サナを娶るチャンスを迷わず自分のものにしたのである。


(リーバー伯爵でも大商人の老人でもない、ましてやほかの男でもない、俺がお前を幸せにしたい……)


 アルベルクは昨日のサナとのキスを思い浮かべながら、そう誓ったのであった。

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