第22話 山頂の景色

 エルヴァンクロー公爵城から少し離れた土地にやって来た。山の中にだいぶ入っていっている気がするが、大丈夫だろうか。


「もうすぐ山頂だ」


 緩やかな上り坂の先を見つめる。アルベルクの言葉通り、山頂が見えてきた。馬に乗り続けたからか少し疲れてしまったサナは、俯き気味になりながらアルベルクの胸元に頭を預けた。自然な流れで肩を抱かれる。


「サナ、顔を上げてみろ」


 耳元でアルベルクの美声が響き、サナは勢いよく顔いを上げた。


「あっ……」


 サナの目の前に広がる圧巻の景色。リーユニアの美しい街と、巨大なエルヴァンクロー公爵城、その奥には一面に広がる美しい海。エルヴァンクロー公爵城から見る光景と良い勝負を繰り広げるであろうその景色は、サナの疲労した心身を癒したのであった。ベルガー帝国はもちろん、世界でもトップ10には入るほどの絶景だろう。


「美景ですわね……」

「あぁ、本当だ……」


 遅れて到着したマリアンヌとトリンプラ侯爵も、圧巻の光景に息を呑む。


「この山と森はエルヴァンクロー公爵家の私有地だ」

「えっ……」

「普段は、動物や、俺が派遣した調査員を除き、誰ひとりとして立ち入ることはできない場所だが……観光業に役立てたいと思っている」


 アルベルクの説明を受けて、サナはなるほどと頷く。

 ここの山、森一帯は、エルヴァンクロー公爵家の財産のひとつ。普段、人があまり踏み入らないとあって、珍しい動植物で溢れている。アルベルクと共にこの山頂に向かう道中でも、様々な野生動物や美しい植物、景色と出会った。特に、途中の渓谷けいこくに存在していたエメラルドグリーンの巨大な湖は、壮観そうかんな美しさだった。アルベルクは私有地である自然を生かした観光業を展開すべく、視察としてここに訪れたというわけだ。

 アルベルクは馬から降りる。そしてサナの腕を引き、軽々と抱き抱えながら彼女を地上へ降ろした。


「あ、ありがとうございます……」


 あまりにも様になったエスコートに対して、礼を言うだけで精一杯だった。


「それにしても、本当に美しい場所ですわね」


 ふたりの時間に水を差したのは、マリアンヌだった。彼女は馬から華麗に降りる。


「まさかリーユニアにこのような場所があるとは思ってもいませんでしたわ。私とエルヴァンクロー公爵の仲なのですから、教えてくださればよかったのに」


 マリアンヌはアルベルクの腕にそっと触れて、拗ねた表情をして見せた。その辺の貴族子息であれば、あざとい彼女にコロッと落ちてしまうだろうが、アルベルクは違う。マリアンヌの腕から逃れ、彼女をまっすぐ見据える。


「昔の馴染みといえど、ここはエルヴァンクロー公爵家の財産だ。分家の人間に易々と教えるわけがない」

「……それもそうですわね。出すぎたことを申しました」


 マリアンヌは大人しく引き下がる。さすがはマリアンヌ。長年、伊達だてにアルベルクの幼馴染をやっているわけではないみたいだ。だが、サナのほうをチラリと見て敵対心を向けてくる辺り、まだまだ大人ではないらしい。


「森の女王のようだな」


 アルベルクの突然の言葉に、サナは首を傾げた。彼はこちらを見つめている。

 深緑色のマーメイドラインのドレスに身を包み、美貌をしげなく晒すサナは、アルベルクの言う通りまさしく〝森の女王〟、まぼろし妖精ようせいのようであった。


「……口説いていらっしゃるんですか?」


 サナは頬に手をあてながら意味いみ深長しんちょうに笑むと、アルベルクはハッと我に返る。無意識のうちに口に出していたことに気がつき、サナから急いで目線を逸らす。その横顔は、心做こころなしか赤く染まっている。アルベルクに褒められたサナは、ニヤケそうになるのをなんとか堪えたのであった。


「公爵夫人。山や森へ来られるにはあまりにも不相応な格好ですので、どうか怪我をなさらないでくださいね」


 マリアンヌは眉尻を下げて心配そうな面持ちを浮かべる。煽られているが、サナは余裕の笑みを湛えた。


「ありがとうございます。万が一怪我をしそうになった際には、夫に助けていただくのでご心配なさらず」


 マリアンヌの表情に、ピキリとヒビが入った。アルベルクに〝森の女王〟と褒められたサナに敵なしである。


「さ、さぁ! この美しい山や森をどう生かすか、考えませんか!?」


 ギスギスとする空気をなんとかすべく、トリンプラ侯爵がそう言った。


「……お父様の言う通りですわね。おひとつ、私からご提案がございます」


 マリアンヌは美景に目を移し、澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込む。


「この美しい場所を、貴族女性のお茶会用の場所として貸し出したら素敵すてきですわ」


 マリアンヌは両手を合わせ、自信満々に提案する。トリンプラ侯爵は愛娘の提案に、何度か頷いた。

 マリアンヌは、ドレス姿のサナに対して、山や森に来る格好ではないと罵っていたのにも拘わらず、この場所を貴族女性たちに茶会用として貸し出してはどうかと提案したのだ。

 確かに、誰しもこの景色を美しいと感じるだろう。圧巻の眺望と澄んだ空気に癒されながら、美味しい紅茶や菓子を楽しめるとあらば、貴族女性からも人気が出る。しかしサナは、それは得策ではないと思っていた。前世から知恵を借りようと考えた彼女が口を開く。


「列車を走らせてみてはいかがでしょうか?」

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