第9話 旦那様かっこいいが過ぎます

 リリアンナとレオンに、エルヴァンクロー公爵家城内を案内する。リーバー伯爵家の邸宅より遥かに広い敷地を有する公爵城に興味津々きょうみしんしんなリリアンナに振り回されること数時間。彼女が満足する頃には、日も落ちかけていた。


「はぁはぁ……体力おばけ……」


 サナは壁に手をつき、肩で息をする。レオンはソファーで項垂うなだれている。ふたりを振り回したリリアンナは、客間から見える街並みと茜色に染まる広大な海を見つめて感嘆かんたんの息をこぼしていた。そんな彼女をサナは〝体力おばけ〟と命名したのであった。一体あの細い体のどこに、底なしの体力が隠れているのだろうか。ブラックホールなのかもしれない。


「……本日はお泊まりになられるでしょうから、客室にご案内いたします」

「ありがとうございます、サナ様」


 さっさと客室に押し込んでしまおうというサナの思惑おもわくに、リリアンナは気づくことなく笑みを浮かべた。彼女はソファーの上で項垂れているレオンを叩き起こし、サナのあとを追う。サナは、可愛い顔をして旦那を尻に敷く彼女に恐怖を抱いたのであった。

 リリアンナとレオンを最高級の客室に案内する。隅々すみずみまでピカピカにみがき上げられた部屋に、ふたりは目を輝かせる。


「美しい部屋でしょう? 伯爵家では決して味わえぬ贅沢かと思いますが」

「……なんだと?」

「あら、口が滑りました。良い機会ですからごゆっくりお過ごしくださいと言いたかったのです」


 レオンににらまれるが、まったく怯まない。


「困ったことがありましたら、使用人にお申しつけください。では、私はこれで」


 エリルナが扉を開ける。客室から出ようとした時、目の前に大きな影がかかる。見上げると、そこにはアルベルクが立っていた。


「アルベルク様……」

「ハルクからサナに客人が来ていると聞いてな。俺も挨拶をと思って」

「あ、あああアルベルク様がわざわざご挨拶するほどの方々ではございませんっ!!!」


 失礼なことをサラッと言ってのけるサナに、アルベルクは瞬きを繰り返す。サナは両手を広げ彼の前に立ちはだかった。なんとしてでも客室の中に入らせてはいけない。しかしそんな決意こそ、すぐに裏切られるというもの。


「さっきから何してるんだ」


 サナの背後から現れたのは、レオンだった。


「………………」

「………………」


 レオンとアルベルクを互いを見つめる。アルベルクに関しては、瞳に軽蔑けいべつの色を浮かべているが。


「え、エルヴァンクロー公爵」

「リーバー伯爵」

「お、お久しぶりです。お邪魔しております……」


 サナの前での高圧的な態度はどこへやら。レオンは借りてきた猫の如く、アルベルクにおびえていた。久しぶりと言っている辺り、ふたりは面識があるのだろう。だが、ふたりがそこまで険悪けんあくな仲にあるとは。基本他人に興味なさそうなアルベルクがここまで嫌悪をあらわにするとは、サナにとっては驚くべきことだった。


「突然訪ねてしまって申し訳ありません。妻とエルヴァンクロー公爵夫人が会う約束をしていたみたいで……その……」

「本当か? サナ」

「え?」

「リーバー伯爵の今の話は本当かと聞いている」


 サナは顎に人差し指を当て、記憶の引き出しを漁る。

 アルベルクとの結婚が決まった時、サナはリリアンナに謝罪した。その際に、会う約束をして、いつでも訪ねてきていいと言った記憶がよみがえって……。


「本当なんだな?」


 口に出していないのに表情から「本当」だと読み取ったらしい。サナは、遅れて頷きを見せた。


「滞在は許しましょう」

「あ、ありがとうございます」


 レオンは深々と頭を下げた。


「サナ」


 アルベルクに名を呼ばれ、スッと手を差し出された。サナは彼の顔とその手を交互に見遣る。掴むか掴まないか、迷いあぐねた結果、そっと彼の手を握ると、優しく手を引かれる。背後で扉が閉まる音がした。


「アルベルク様?」

「お前が少し困っているように見えて連れ出したんだが、余計な世話だったらすまない」


 不安げな面持ちのアルベルクを前にして、サナは激しく首を左右に振った。


「ナイスタイミングでした!」

「そうか。よかった。夕食はまだだろう? 一緒にどうだ」


 アルベルクの顔面の良さに見事に悩殺のうさつされたサナは、虚脱状態きょだつじょうたいで頷いた。アルベルクは微笑みを美貌にたたえ、彼女の手を引いて歩き出す。手袋越しだがしっかりと繋がれた手を見て、サナは言い表しがたい喜悦きえつを覚えた。すれ違う侍女や執事は皆、ふたりの姿を見るなり、ニヤリと気味が悪い笑い方をしていく。彼らに対して、サナも同じようにニヤリと笑い返したのであった。

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