第4話 不審者、ではなかった

 サナの部屋の前。アルベルクは、彼女との結婚式以来、最大級の緊張を感じていた。扉をノックしようと汗ばんだ手を握る。


「旦那様?」


 侍女に呼ばれ、すぐさま手を引っ込めた。変なことをしようとしていたわけではないと説明するために、侍女のほうを見遣る。

 ブラウンベージュの髪をぴしりとまとめ上げた、いかにも真面目そうな女性。執事長のハルクと同じ、ミントグリーンの瞳が特徴的だ。

 彼女の名は、エリルナ・リットナー。22歳という若さでエルヴァンクロー公爵家の侍女長を務めており、ハルクの愛娘でもある。


「こんなところで何をなさっているのですか? もしや……奥様に用が?」

「あ、あぁ」

「一足遅かったですね……。もう既に夢の中へ旅立たれてしまいました」


 頬を押さえながら残念そうに嘆くエリルナ。

 先程目を覚ましたばかりだというのに、また眠ってしまったのか。アルベルクは肩を落とした。そのわずかな仕草を見逃さなかったエリルナは、キランと目を光らせる。


「よろしければお顔だけでも見ていかれては? 起こさなければ問題ないでしょうから」


 主人に対しても一切容赦ようしゃがないことで知られるエリルナは、サナの部屋の扉に手を添える。


「長居は禁物です。念のため私はここにいますので、何かありましたらお声がけください」


 あれよこれよという間に、サナの部屋に閉じ込められてしまったアルベルク。サナの香りが充満する部屋から逃れたい気持ちになるが、尻込みしてはいけないと自分をりっする。ここで引き下がれば、彼女と面と向かって言葉を交わすことなど、永遠に不可能になってしまう。

 物音を立てないよう、慎重に歩を進めた。幸いなことに、ベッドカーテンは閉められていない。サナの安らかな寝顔を見るだけでも、と思い、ベッドに近づいた。その瞬間、背後からただならぬ殺気を感じて振り返る。眼前に迫る椅子を受け止めた。


「い、いやぁぁぁ〜!!! 誰かっ! 誰かっ助けて!!! ここに不審者が!!!」

「……サナ?」

「ふしんしゃが、………………アルベルク様?」


 椅子を振りかざして発狂したのは、なんとサナであった。




 十分前。サナのもとにエリルナがやって来た。異臭いしゅうを放った薬を持って……。リーユニアではよく効く薬として知られており、二回ほど飲んだことがあるサナも薬の効果は絶大だと感じていた。しかし薬を飲んだあとは、必ず気絶してしまうのだ。あまりの異臭と味の不味さによって。目覚めた時の爽快感そうかいかんに適うものはないが、さすがにあの異臭と不味まずさを体感するのは辛い。どうしても薬を飲みたくないサナは即座そくざに寝たフリを決め込み、エリルナの襲来しゅうらいを回避したのであった。

 しかし数分前、何者かの話し声が聞こえてきた。再度寝たフリを決め込もうとしたが、男の声が聞こえたため、警戒けいかいしたサナはベッドから下り、凶器になる椅子を持ち上げた。ササッと棚に隠れ、奇襲きしゅうを仕掛けようと考える。


(大丈夫、大丈夫よ、サナ。私はやればできる子だもの)


 サナは覚悟を決める。緩慢かんまんに開かれる扉。何者かが部屋へと入ってくる。扉が閉められた。不審者の男とふたりきりの状況に、サナは今にも卒倒そっとうしそうだった。

 ベッドに近づく不審者の男の背後からゆっくりと近づく。そして手に持った椅子を大きく振りかぶった。気配に気づいたのか不審者の男は振り返り、椅子を難なく受け止める。奇襲失敗だ。焦ったサナは腹の底から声を出した。


「い、いやぁぁぁ〜!!! 誰かっ! 誰かっ助けて!!! ここに不審者が!!!」

「……サナ?」

「ふしんしゃが、………………アルベルク様?」


 聞き覚えのある声。この城には、サナを名で呼べる者はたったひとりしかいない。そう、夫のアルベルクだ。


「奥様っ!?」


 扉が大きく開かれる。エリルナだ。

 椅子を振りかぶった公爵夫人と、それを受け止める公爵というなんとも滑稽こっけいなふたりの姿を見たエリルナの額には、青筋が浮かび上がった。


「夫婦喧嘩には付き合っていられませんので、これで失礼いたします」


 エリルナは頭を下げたあと、扉を思いっきり閉めた。またも不審者と……アルベルクとふたりきりになったサナは、どうしたらいいか分からず狼狽うろたえる。まさか部屋に入ってきたのが彼だったとは。とりあえず謝罪したほうが良いと判断して、彼と向き直った。


「あの、アルベルク様……」

「もう大丈夫なのか?」

「え?」

「体調は問題ないか?」


 アルベルクは椅子を丁寧に置きながら、問いかける。結婚してから六ヶ月間、まったくサナという人間に興味のなかった彼が、体調を気遣ってくれるなんて。夢でも見ているのだろうか、とサナは呆然ぼうぜんとした。


「サナ?」

「えっ!? あっ、は、はい。もう大丈夫です。ご心配をおかけしてごめんなさい……」


 サナは頭を下げる。寝間着の胸元が開いているとも知らずに。彼女の胸元に気がついたアルベルクは、急いで目を逸らした。


「無理はしないようにしてくれ。……驚かしてすまなかった」


 それだけ言うとアルベルクは背を向ける。今にも去ってしまいそうだ。脳内のハルクが親指をビシッと立てて合図を出す。サナは瞬発的にアルベルクのそでを掴んでしまった。


(こ、こんなベタな引き止め方、三流映画みたいじゃない!? でも、言わなきゃ……)


 羞恥心しゅうちしんおそわれる。部屋が暗いことだけが救いだった。


「い、いきなり襲ってしまってごめんなさい……。心配してくれて、ありがとうござい、ました……」


 なんとか謝罪とお礼を告げる。その状態のまま三十秒。アルベルクは短く「あぁ」とだけ返事すると、そのまま背を向けて部屋を出ていってしまった。


「何よ……」


 虚しくなったサナは、ベッドにもぐり込んで毛布にくるまる。

 暗闇の中でも分かる、アルベルクの美貌。正直、男主人公のレオンよりもずっとタイプだ。前世の自分も、そしてサナ自身も――。やはり安易あんいに離婚なんて考えないほうが良いかもしれない。

 アルベルクが部屋の外でもだえているとはつゆ知らず、サナは彼を思いながら気味の悪い笑みを浮かべ続けたのであった。

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