カッタトス国編

第4話 かの伝説は語りけり

 炎は揺らぐ。祖父と集落の重鎮たちの面々が、薄暗で不規則に照らされる。

 炎と影の強い明暗は、彼らの表情をよりいっそう厳しく見せた。壁に映る連なる影は、大きく不気味な生き物のように見えた。しかしそれは、自分の今の心情を写しているからかもしれなかった。

 ここを発て。祖父の言葉は唐突すぎる。

「なぜ?」

 思わずカロンは問いかけてしまった。でもそれは、至極真っ当な質問だ。

 部屋の上座、椅子に深く腰をかけるパオドゥフが答える。

「カロンや、河の向こうの街が蹂躙されたのは知っておるな」

「それは……はい。もちろん」

 自分の祖父と言えど、こういう場では『族長』の彼に対しての口の利き方に気を付けなければならない。言葉を選びながら答えると、視線を下げたパオドゥフは、傍らに置いてあった細長い筒に手をかけた。深い赤色に染められた革に、黄金の曲線が走る見事な矢筒だ。

 美しい意匠の矢筒だが、埃と血に汚れているうえ、底が潰れて壊れてしまっていた。

 だが一際目を引くのは鮮烈な赤でも傷でもなく、その矢筒に刻まれた紋章だ。

 鷲が堂々と翼を広げる文様に、二本の剣が交差して、盾の形をした縁取りの中に納まっている。

「これは、南の大国、ハオンデルタ王国の王家の紋章じゃ」

 えっ、と声を出して顔をあげる。この大陸に住んでいて、その大国の名を知らぬものはいない。呼び名の通り、大陸の南側に領土を広げ、かつては破竹の勢いで周辺にあった小国のほとんどを飲み込み、陸の覇者とまで呼ばしめた王国だ。様々な民族を傘下に加え、繁栄を遂げた一大国家である。

 それも、祠で語られた『王の中の王を決める戦い』の時代の話だが。

「この紋章をあしらった武具や旗が、そこかしこに散乱していたそうじゃ。つまり、あの晩、街を襲ったのはちっぽけな野盗や賊ではなく、事もあろうに王国の正規軍ということになる。あの、何もない無害な街にな」

 強い軍事力が集まっている拠点でもなく、ただ人が日々安寧を守りながら暮らしていた街を、訓練された兵士たちが襲った。

 圧倒的な戦力差。成すすべもなく、目の前で破壊の限りを尽くされ――

 事の残酷さに、思わず身が震える。そしてますます、話がどこへ行くのか分からなくなる不安もあった。

「……なんで、そんな事をしたんでしょうか」

「あの街を襲う理由があるとすれば、思いつく限り、ひとつだけある」

「それは?」

「あの街が、北の大国、ルトシェスタ王国の領土にあるということじゃ。」

 街の背後に聳える険しい山脈を越えれば、ルトシェスタの王都へたどり着く。しかし、吹雪吹き荒れ、皮膚が寒さでただれるなか、軍勢を率いての山越えは危険であった。凍死して兵力も落ちてしまう。

「そこで、手前の街を攻撃すれば、最小限の労力でルトシェスタへ攻撃の意を示すことができる」

 何を言われているか、分からないわけでは無い。ただ、解釈が合っているかどうかは別の話だ。ましてや、この厳粛な場で発言するには、躊躇われる内容だった。

 時間を置いて深呼吸をすると、火にくべられていた香木の皮の匂いが鼻といわず口内にまで染み渡る。

「……南の大国が北の大国へ、わざわざ攻撃をしたってことですか?」

「さよう。南のハオンデルタから北のルトシェスタへ、宣戦布告をしたのじゃ」

 宣戦布告――それは耳慣れない言葉だったが、同時に、あの空飛ぶ獣の言葉を思い起こさせた。「戦が起きる」。確かに、そうは言っていなかったか。そして、そのあとに続いた言葉は、たしか――

「剣を、探せ……」

 思わず口をついて出た呟きに、大人たちの方が驚いた。あ、と思う間もなく、落ち着いた様子のパオドゥフが頷く。

「察しが良いようじゃのう、カロン。その通りじゃ、お前には、剣を探す旅に出てもらう」

 長いあごひげを撫でて続けるには。

「ようやくお前の最初の疑問に答えることができる。発つ理由は、伝説の『覇王の剣』が眠る場所を目指すため。ご先祖様の隠した剣を見つけ出し、そこで宣言をする。戦を起こさぬために、お前が声を上げるのじゃ」

「どこにあるのか、分からないのに?」

「そうじゃ」

「いつ見つけられるかも、分からないのに?」

「さよう」

 パオドゥフに動じる様子はない。ただ淡々と、当然のことのように返すだけだ。これには、先にカロンが参ってしまった。

 覇王の剣については、語り部から聞いて良く知っている。良く知っているからこそ、言い渡されたことがいかに途方もなく、あてのない話なのかが分かるのだ。

 深い霧の中に見えた幻を、集落へ連れて帰るようなものだった。水たまりに移った星影を、掬い上げるようでもあった。

 どれほど遠くにあって、あるかどうかも分からないものを掴むなど、できるはずがない。それをやれと言われて、戸惑わないはずがなかったのだ。

 困り果てたカロンは、先ほどから一言も発さない師のクーダスへ助けを求めた。視線を注ぐと、彼も気づいて、しかし首を振りながら言った。

「残念ながら、今回は俺にもどうすることもできない」

 驚いた声を出そうと開いた口が空振った。言葉を失うとはこのことなのだろう。あれほど面倒見がよく、構い過ぎとすら言われたクーダスが断った。すぐにパオドゥフが引き受ける。

「そう、今回の旅の出立はお前ひとりでなければならない」

「ここから、ひとりで?」

「覇王の剣は持ち主を選び育てる。様々な試練を与える。そのため、最初はひとりきりのまっさらな状態でないとならん。誰かと共に旅立つことは許されんのだよ」

 カロンは、頭から、顔から、肩から、徐々に冷たくなり力が抜けていくのを感じた。

 ただ座っているのも視界がゆれる気がする。でも、なにか、なにか言わなければ。

 この状況を覆すを起こさなければ。

「……森の中で、大きな翼をもつ獣に会いました」

 ぽつり、ぽつりと語りだしたカロンの言葉を、誰もが黙って聞いている。

「多分、怪我をしていました。その獣が、空からこう言ったんです。『戦が起きる。やがて世界をも飲み込むだろう。地下の国が動く』――」

 だが思い出しているうちに、胸が詰まってしまった。

 言葉が出てこなくなって、唇を噛みしめたまま俯き、息を止める。そうでもしないと、すぐに涙が止めどなく溢れてしまう。

 気づいてしまった。逃げるどころか、いま、この瞬間に逃げようのない宿命が降り注ぎ、自分を飲み込んだことに。


 ――剣を探せ。


 大切な人が、神秘の存在が、みんなが。自分に剣を探すよう言ってくる。

「……カロンや」

 俯くカロンに声をかけたのは、語り部だった。深みのある声が、ゆっくりと語り掛ける。

「祠で語った詩の、最後の一節を、お前は覚えているかい?」


 忘れるな

 彼の英雄の赤き瞳を

 なにゆえ赤いか

 忘れるな


 震える声でそらんじたカロンに、語り部は続ける。

「そう、英雄の赤き瞳の理由。それは、この一族特有の暁の色をした瞳のせいだけではない。泣いたのじゃよ、かの英雄は」

 自分の先祖でありながら、自分とは似ても似つかぬ英雄であったルクソードが、泣いた。謳われる偉大な存在が、泣いて目を赤くはらしたという。

「親を、友を、子を亡くし、荒れ果てた地を見て、涙を流したのじゃ。精霊戦争の英雄が誕生する直前の話よ。カロン、多くの者がこの英雄と同じ理由で涙を流すことになるじゃろう。絶望から立ち上がる強き者は少ない。されど、人々を絶望から救うため立ち上がる者は、もっと少ない。霊剣使いとして生まれ、宣告を受けた今、立ち上がっておくれ、カロン」

 からからに乾いた口は相変わらずだった。けれど、頭の中で何かが“止まった”。

「……はい」

 口が動く。これ以外、もうないじゃないか。

 旅立つのは怖くていやだ。でも期待を裏切ってしまうのもいやだ。

 “いやだ”と“いやだ”を天秤にかけた。その結果、もっと大きな“いやだ”を見つけた。

 ――みんなが死ぬのは、ここがなくなってしまうのは。どうしても、何があっても、いやだ。

 

 パン、と乾いた音が室内に響く。パオドゥフが、右の手の平に左のこぶしを合わせ、手の甲を額へ近付けた音だ。すぐに皆がそれに習う。

 カロンは反対の手でそれに応えた。

「無茶を言っているのは、儂らも承知じゃ。だが天は、このパオドゥフでも、父ケルトゼでも、師クーダスでもなく、お前を選んだ。霊剣使いカロン。かの剣の試練は辛く険しいものになるだろう。だが行け。そして再びこの地を踏む時、平和を知らせる風と共に舞い込み、智者であり、勇気ある仁者であれ」

 厳かに告げられた餞の言葉は、敬虔な祈りで締められた。

「霊剣の導きを」

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