The Fist Of Steel

葛嶋心秋

第1話 歩き出した二人

 ウルメスはただ呆然と立ち尽くしていた。父親のゲルシュが仕事で事故死したのだ。まだ小さいウルメスはそのショックにどう対応していいか分からなかった。

 つい先ほどゲルシュの仕事仲間が、火球の事ゆえと仕事を抜け出して伝えに来てくれた。

 隣には母もいる。母レネイは押し寄せる悲しみと不安にただただ狼狽する。

 少しして、ゲルシュの同僚はその悲報を伝えた後、暗い表情を浮かべ、俯きながらその場を去った。

 用意していたシチューも冷めてしまった。小さな木造の家の小さな部屋に、乾いた風だけが通り過ぎていく。

 ウルメスが言った。

「もうお父さんに会えないんだ……」

 途端にレネイが泣き出す。我慢していた涙が溢れる。母親が泣き出すものだから、つられてウルメスも泣き出してしまった。ゲルシュとの思い出が二人を泣き止ませてくれなかった。悲しみ、いや、もっと強烈なそれ以上の何かだった。

 大粒の涙を流し終えた後、次に襲う感情は不安だった。これからどう生きていこうか、凄烈な不安がレネイの頭の中を一杯にする。

 レネイ・ラナンキュラスの一家は、鉱石を加工して売る事で生計を立てていた。父が鉱石の採取を担当し、レネイが鉱石の加工と販売を担当していた。

 ゲルシュの職場の労働環境は非常に過酷だった。気温百二十度にもなる砂漠で地面を掘削し、鉱脈を見つけなければならなかった。

 この世界のほとんどの地域が、そのような灼熱の砂漠に覆われていた。

 人類の生存可能地域は限られ、貧しい人々は灼熱の砂漠へと追いやられた。

 何故人間がそのような砂漠で活動できるのか。

 それは、この世界の人間の身体が、特殊な金属細胞でできているからであった。

 気温七十度程度ならば平気に過ごす事が出来る。

 心臓をエンジンのように燃焼させ、鼓動を高速にする事で莫大なエネルギーを得たり、体の一部を高熱にする事もできた。

 心臓を燃焼させている間は灼熱の砂漠でも活動出来た。

 鉱脈の天井が落盤し、父は命を落とした。父親がいなくなった今、収入はゼロになったに等しかった。ウルメスもその事には気づいていた。

「お母さん、僕たちこれからどうなるの?」

 返答に詰まるレネイ。戸惑う自分を押し殺し、心の中で強く思う。

「(こんな事では駄目だ。私はこの子の母親だ。しっかりしなければ。何としてでもこの子を守るんだ)」

 そうしてレネイは優しくウルメスに言葉をかける。

「ウルメスは心配しなくていいよ。お母さんがついてるから大丈夫だよ」

「うん……」

「あ、そうだウルメス。マーズおじさんの所にいこうか」

 レネイは遠く離れて住む兄のことを思い出した。もう彼を頼るしか生き残る方法はなかった。

 ウルメスとレネイの家は砂漠と、人類がぎりぎり生存できる乾燥地帯の狭間に位置していた。

 ここに住む者はみな日々を生きるのがやっとだった。そんな人々に助けを乞うても無駄だという事は分かりきっていた。

 ここでウルメスは母親に一つ質問したい事があった。それは、百キロメートル以上離れた叔父の家まで、どのようにして行くのか、という事だ。

 数年前までは、叔父の住む地域まで馬車を走らせる者も多かったが、砂漠化が進み、しだいにその数は減った。今、そのような業者の数はゼロだ。

 道中にオアシスがあるかは分からない。ただ乾燥地帯の干からびた大地が広がる。

 歩くしかない。辿り着くことは可能なのか、熱風の嵐に吹かれて死んでしまうのではないか、第一そんな距離を渡り切れるのか。明らかに望み薄だった。

 でもウルメスはただ

「わかった」

 と言った。

 自分の質問が母親を困らせる事を理解していたから。八歳のウルメスは、もうこの頃から人の気持ちを汲み取る優しさがあった。

 レネイは思う。この子は優しい。そして賢い子なのだと。

 そして、すごくウルメスを愛しく感じた。申し訳ないとも思った。

「(ありがとう、ウルメス)それじゃあ準備しよっか、水筒にお水を入れて。カバンにお菓子と食べ物を入れよう」

「うん」

 支度を始めるウルメス。不安そうな表情を浮かべながらも、懸命に行動する。

 健気な姿を見て思う。

「(ウルメス、ごめんね……)」

 二人はカバンの中に服と食料を少し入れて、途方もない道のりを、手を繋いで歩き始める。

 眉を顰めながら歩くウルメスを横目で見る。可哀想だと思った。

「(こんな世界に生まれて、こんな目に遭って。本当はもっと、楽しい思いをさせてあげたい。もっと一緒に笑いたい。あなたは笑顔が素敵だから)」

 この愛しき命を守りたい。逆境に対する強い闘志が燃えたぎる。

 レネイは地平線を睨みつけた。

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