悪戯好きな旅人

 わし、わし……ごし。

「……最近気が付いたんだけどさ」

「どうしましたか?フィリア様」

「お兄様、着替えの時はあんなに慌てるのに、こういう時は淡々と洗うよね」

「仕事でいちいち反応していたら……話になりませんからっ」

 頭皮を指の腹でマッサージするように泡立てながら、お兄様は私の髪をシャンプーで洗い、言った。

 さっきよりも露出度が高いというか……何も着ていないのに、さっきと何が違うんだろう……お兄様の感性は、良く分からないなぁ。

 ……それにしても、落ち着く。

 私の指では届かないであろう幅による抱擁感と、的確なリズムの指圧は、汚れの取れる爽快感とは別の満足感に満たされる。

 こういうところは……男の子なんだなぁ……

「ふぅ……ん」

 思わず、声が漏れてしまった。

「指圧、強すぎました?」

「むしろ、良すぎるくらい」

「ふふ、それならよかったです」

 そういえば、頭にはツボと呼ばれる、神経が集中した場所があるんだったっけ。

 ……直感的に、場所を……理解、してるのかな。

 わしゃ……わし……

「では、頭、流しますね」

 手が止まった……もう少し、洗ってほしかっ

 しゃっ。「ひゃっ」

 想定よりも冷たい水が、私のうなじに向かって放たれたせいで、変な声を出してしまった。

 後ろを振り向き、にらみつけると……

「……さっきのお返しです♪」

 意地悪な顔をしたお兄様が、掌で水のボールを投げて遊んでいた。

 衣服を着たままで、ずぶぬれなお兄様は、髪が額に引っ付いている。

「……私が水の生成魔術を使えないから、シャワー代わりになってるってこと、忘れてる?」

「もちろん、覚えてますよ。僕が流さなかったら、一生泡だらけなことも含めて、です」

「……今から湯船に飛び込むことだって、できるよ」

「それは困りますね、掃除が大変になりますし」

「もう……しっかり流してね」

「はい、もちろんですよ」

 振り子のような彼は、適度に私に意地悪をした後、泡を流した。 

 今度のシャワーは、適温で心地いいものだ。


「では……身体、洗いますね」

「ん……お願い」

 お兄様は、振り向いた私に対して、割れた硝子ガラスを触るように、慎重に触れた後……

 ごし……ごし。

 強すぎず、弱すぎない程度の力で私の指先を、タオルでこすり始めた。

 指先から、指の又。指の又から、腕。腕から腹部へと、鏡を磨くように、丁寧に汚れを泡立てて、浮かせ、拭いていく。

「ちょっと……こそばゆい」

「そうですか。なら、強めにしますね」

 腰回りを支えながら、もも、足首へと伝うお兄様の視線は、真剣そのもので、どんな汚れも逃がさない、狩人のような目つきだ。

「……」

 足裏のこそばゆさを我慢した後、お兄様を見ると、彼は私を見上げて、目くばせをする。

 「後ろを振り向いて」のサインだ。

「お兄様、その前に」

 足を上げ、腿の裏側を彼に見せると、

「すみません、すぐに」

 お兄様は、念入りに、撫でるように拭き上げた。


 ごし……ごし。

「お兄様」

「はい」

 背中の骨を沿うように洗うお兄様に、

「ふと、思ったんだけど」

 気になったことを聞いて見ることにした。

「応えられる範囲でなら……背中から土でも入ったのかな……」

「……そんなに汚れてる?」

「土の手入れは慎重にお願いしますよ」

 ごし……ごし。

「……お兄様って、旅人なんだよね」

「元、ですがね」

「お風呂って、どうしてたの?毎日都合のいいところに温泉なんて無いのに」

「うーん……基本は魔術でなんとかしていましたね」

「どんな魔術?」

「お湯や髪を乾かす行為は生成魔術でなんとかして……後は自作の石鹼せっけんやシャンプーで、適当な場所を使って簡易シャワーをするんですよ。外敵が周囲にいないことを確認した上で、可能な限り短く」

「石鹼って、手作りできるんだ」

「こんな感じで泡が出るものではないですけどね。水酸化ナトリウムNaOHと、いい香りのするアロマがあれば、簡易的な石鹼の完成です」

「ちょっと作ってみたいな」

「『保護魔術』ができるようになってから、ですかね。石鹼作りは手が荒れますから」

「……結局、魔術に行きつくんだね」

「人間、誰しも楽するために勉強するんですよ」

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