入学旅行最終日

新しい旅立ち

 日々は瞬く間に過ぎてゆく。


 シルヴィア・レーヴとガスティオールの一件で、トリフォンとリューエストは学園に何かの報告を行ったようだが、特に霧たちに取り調べが及ぶということもなく、24班は滞りなく図書塔課題に邁進まいしんすることができた。


 そして8日目の朝、遂に24班は課題の全てを完了した。

 とうとう、古城学園に帰る日が、来たのである。


 あの爽やかな草原に降り立った日は、まだ昨日のことのように思えるのに、同時に遥か過去の出来事のような気がして、霧は寂しさと期待の入り混じった思いで、入学旅行の波乱に満ちた日々を振り返った。そして愛しいこの日々に、さようならを告げる準備を始める。


 昼過ぎ、図書塔前に集合した彼らは、課題の達成に声を上げて笑い合った。そこには24班の面々が、誰一人欠けることなく揃っている。

 霧は伸びをして図書塔を仰ぎ見ながら、叫び声をあげた。


「うっひょおぉぉぉっ~! みんな、お疲れ様ぁっ!! 終わっちゃった、終わっちゃったよ、ええええ、悲しいぃ~~!!」


「何バカなこと言ってるのよ、キリってば。悲しいことないでしょ、嬉しいでしょ!!」


「うん、嬉しいんだけど、だってこれでもう、入学旅行終わりでしょ、それが悲しくて、寂しい。もう少し、みんなと一緒にいたかったな」


「わかりますわ、キリ。でも、なんて晴れやかな寂しさでしょう。ここから始まるのですもの。わたくしたちの、本格的な学園生活が」


「うん、リリー。……みんな一緒のクラスになれたら、いいなぁ。知らない人ばっかのクラスに一人で放り込まれたら、どうしよ。あ、やば、想像しただけでガクブル……」


「大丈夫だよ、キリ。お兄ちゃんが奥の手使ってあげるから……クフフフ……ヒヒヒ……任せといて」


「うおっ……闇リューエスト降臨?! 美形が悪だくみする顔、最高かよ」


「ほっほっほっ、キリ嬢や、心配せずともよい。クラスが分かれたとしても、選択授業では共に学ぶことになるし、定期的に24班で食事を共にしようではないか。お互いの近況を話し合おうぞ」


「あ、それいい、さすがトリフォン、ナイスアイディア!! ねねね、みんな、また一緒に食事してくれる?」


 みんなは力強く頷いて、口々に言った。


「もちろんじゃ。楽しみじゃのぉ」

「もう、しょうがないわね、心細いお子ちゃまのキリに付き合ってあげる! ほんと、世話が焼けるったらないわ」

「うふふ、楽しみですわ。さっそく明日、約束しましょうよ」

「僕はぁ~、朝昼晩おやつ、全部、キリと一緒に摂るから! 無問題!!」

「いつでも声をかけてくれ。最優先とはいかないが、できるだけ合わせる」


 みんなの言葉を聞いて、霧は泣きそうになってきた。


「うっうっ……ありがと、みんな。ほんと、ありがと。入学旅行、みんなと一緒に回れて、ほんと、良かった。う、う、う……」


 霧は泣きそう……ではなく、本当に泣いてしまった。それを見て、アデルが呆れた声を上げる。


「え、泣くの?! 泣いてるの、キリ?! もう、ほんとに赤ちゃんなんだから! さ、いつまでもべそかいてないで、しゃんとしなさいよ! ちゃっちゃと古城学園の位置を調べるわよ。きっと私たちが一番帰還だわ。まだ8日目だもん。歴代入学旅行の帰還最短記録は、10日。私たち、記録破りね! お父さんに自慢しよっと!!」


 そう言うアデルも、目に涙を浮かべている。

 そのとき、霧の『辞典』からソイとレイの双子が現れ、にっこり笑って言った。


《ダリアが、迎えに来た》

《ホラ、『繋がりの塔』の向こう。見て、霧》


「えっ?! ええええっ?! うあおおう、こここ、古城学園、キタコレぇっ!!」


 双子の姿はもちろん霧にしか見えないし、声が聞こえるのも、辞典主の霧にだけだ。そのため、24班のみんなは、霧の奇声と指し示す方を見て驚いた。晴れ渡った青い空に、魔法士学園の壮麗な姿が、浮かんでいる。


「おお、まことに。あれに見えるは古城学園ではないか!」


「うわぁ、これあれじゃない、僕と霧のお揃いヘアゴムの、ラッキー効果!! やったね、探す手間、省けた!!」


「ええっ、こんなことある?! 本当にそのヘアゴムの効果だとしたら、ささやかどころじゃない超ラッキーアイテムじゃない。10万個に1個の確率でラッキー効果が百倍になる大当たり商品が紛れてるって噂、本当かも……」


「ひゅげあああああああっ(すごい、最高、素敵、上がる)!!!!!!」


 奇声を上げる霧を辛辣な目で見ながら、アデルがこぼす。


「もしキリと一緒のクラスになったら、散々その奇声を聞かされるわけね。どうしよ、私、キリと従姉いとこだからって、他の生徒から同じ変人の目で見られたら心外だわ」


 そう言って困ったように顔をしかめるアデルの目には、言葉とは裏腹に、霧に対する親愛が宿っている。それを感じた霧は、アデルに笑顔を向けながら言った。


「あたしは、アデルと同じクラスになれたら、みんなに自慢するんだぁ。実はあたし、このめちゃ可愛かわアデルの従姉です!いいでしょ、すごいでしょ、って!!」


「うげっ……」


「僕も自慢するんだぁ。アデルは僕の従姉だし、キリはなんと僕の双子の妹なんだよ、すごいでしょ!!って!! うふふ、楽しみだなぁ、学園生活、すぐそばでキリの活躍を見ていられるなんて、僕はなんて幸せ者なんだろう! さあみんな、学園に帰ろう!!」


 みんなは一斉に頷き、笑いさざめきながら言読町ことよみちょうを歩き出した。

 図書塔から離れ、365ページ広場を抜け、『繋がりの塔』を目指す。

 霧はその道中、何一つ忘れまい、と言読町ことよみちょうの素晴らしい眺めの数々を、目に焼き付けながら歩いた。

 そして『繋がりの塔』に辿り着いた24班一行は、塔内を通って自力飛行者専用ポートに出ると、めいめい『辞典』を広げた。


 みんなが飛び立つ中、霧の『辞典』からはまたもや双子が現れ、嬉しそうに言った。


《やっと帰れる。ああ、嬉しい。3年ぶりよ》

《霧、入学旅行無事終了、おめでとう》


「ありがとう。二人とも、これからもよろしくね」


《もちろん。私たちからも、お願いするわ。これからもよろしく、霧! ……あっ!》


 双子が驚きの声を上げた瞬間、何かおかしな気配が、体中を突き抜けた気がした。


「……んんっ?! あれ、今の何?!」


 双子はしっかり手を繋ぎながら、霧を見上げて喜びに顔を輝かせる。


《たった今、『星の辞典』が、帰ってきた!》

《懐かしい友、孤高のククルモカが!!》


「え? それ、なんか聞いたことのあるような……何だっけ」


《『星の辞典』は、三冊の『竜辞典』の一つ。賢竜けんりゅうが宿ってる》

《ククルモカは、適合者を見つけて、日本から帰還した!! 今、学園にいる》


「おおおお、すごい!! やった、適合者、どんな人だろ?! 友達になれるかなぁ」


 霧の独り言のように聞こえる言葉に、黙って耳を傾けていたリューエストが、訊いてくる。


「どうしたの、キリ? と話してるんだね? なんて?」


 その場には霧とリューエストの二人しかいない。他のみんなはもう飛び立ち、空高く上がっているからだ。そのため、霧はためらいなくリューエストに答えた。


「『竜辞典』の一つ、『星の辞典』が今、学園に帰って来たって。これで、失われた三冊のうち二冊が、戻ってきた!」


 リューエストはそれを聞いて破顔した。


「ああ、それは吉報だね! やっぱりさっきの気配は、また『世界事典』に上書きが施された気配だったんだね」


「リューエストも気付いたんだね、そうらしいよ。これであと一冊だ。あと一冊、戻ってきたら、チェカを迎えに行ける!」


 リューエストの華やかな美貌が、霧に向かって鮮やかに咲きほころぶ。彼は頷くと、晴れやかに言った。


「さあ、帰ろう、霧! 共に、学園に!」


「うん、リューエスト。帰ろう、学園に!」


 霧はリューエストに笑顔を返し、『辞典』を開けた。

 二人は同じ言葉を選び出し、立体ホログラムに乗せてゆく。

 準備が整った二人は、目を見交わし頷きあうと、共に飛び立った。


 ――目指すは、古城学園。


 霧は顔を上げ、はちきれんばかりの喜びで顔を輝かせた。


 悲しい日々は、もう遠い過去のこと。

 苦難は浄化され、生まれの呪いはその効力を失った。

 胸の奥の渇いた泉には、今、豊かな美しい水であふれている。

 愛と希望という、ありふれた、人にとって最も必要な光で、満ちている。


 キラキラと、古城学園が眩しく輝く。

 心地よい風が、歓迎するように霧を空へと舞い上げた。


「あは、あははははは、ねえリューエスト、すごい気持ち良い風!」


「うん、何だか誰かが、手伝ってくれてるみたいだよ!」


 二人は笑いさざめきながら、ひたすら上昇した。

 空飛ぶ古城学園は、もう目の前。


 入学旅行は終わりを告げ、

 今、新しい日々が、始まろうとしていた。






    < 終わり >

  

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