第4話 金杯

 金曜の夜八時が近づいている。

下見所では『サケサイヒョウ』を櫛橋が、『サケクラマ』を清水が曳いている。

夜の照明に照らされ、『サイヒョウ』の白毛の竜体はまるで積もったばかりの新雪のように美しく輝いて見える。


 係員の合図でそれぞれ松下と喜入が竜に跨り競技場へ向かって行った。

一月の寒空の下、観客の騒めきの中、発走者が旗を振ると発走曲が奏でられた。


 場内に実況の音声が流れ始める。



――

今年の年明けを知らせる大一番、『金杯』の発走時刻が迫ってまいりました。

今年一年、あなたの運勢を占う大競走。

各竜順調に発走機に収まっていきます。


各竜枠入り全頭収まりました。

発走しました。

最内からクレナイスイロがすっと先頭に立って行きました。

クレナイスイロが全竜を率いていくようです。

それに続くのはカイゾクセン、その外タケノベンテン、ハナビシボンチ、ジョウザンゲキ、そのすぐ後ろにサケサイヒョウ。

サケサイヒョウの純白の竜体が夜の照明に美しく輝きます。

少し離れてハナビシカザン、イナホゲキシンオー。

一昨年の勝ち竜、古豪イナホゲキシンオーはこの位置。

ニヒキハチマン、タケノヒトダマ、ジョウイッセン、ロクモンタイホウ。

『風神』ジョウイッセンは中団やや後ろで淡々と前を伺います。

サケクラマ、キタコウロ、ロクモンスイライ、クレナイサクラ。

最後方にタケノハゴロモ。

全十七頭、やや一団という感じです。

現在、三角を回り曲線を疾走中。

前半の時計はやや遅めといったところ。

徐々に後方集団が差を詰めてまいりました。

未だ先頭はクレナイスイロ、すぐ外にはカイゾクセン、サケサイヒョウが迫っています。

四角を回り最後の直線に入りました!

クレナイスイロが差を広げにかかっています!

外からサケサイヒョウ、良い手ごたえ!

カイゾクセン、タケノベンテンも上がってくる!

ジョウイッセン、ニヒキハチマン、サケクラマ、三頭並んで大外を豪快に上がってくる!

内からイナホゲキシンオーが上がってくる!

先頭代わってサケサイヒョウ!

サケサイヒョウ後続を引き離す!

外からジョウイセンとサケクラマ!

残りあと少し!

サケサイヒョウ先頭!

ジョウイッセンとサケクラマ、サケサイヒョウを捕えたか!

サケサイヒョウがここでもう一伸び!!

サケサイヒョウ終着!

サケサイヒョウ戴冠!

『硝子の雪姫』サケサイヒョウ、秘められていた能力が明らかになりました!

『風神』ジョウイッセン及ばず!

――



 松下は競技場を周回せず、すぐに『サケサイヒョウ』から降り、曳いて競技場を後にした。

その姿に会場は熱狂から一転、騒然となった。


 関係者観覧席では、義悦と岡部が喜んだのもつかの間、戸川と共に検量室に急いで駆け付けた。

松下は検量室に戻ってくると、少し歩様がおかしいと言い残し鞍を受けとり検量に向かった。

その間櫛橋は『サイヒョウ』の脚を触って確認したのだが特におかしいところは見られなかった。


「脚は良えんですが、腰にかなりの発熱が」


 戸川と岡部が『サイヒョウ』の腰を触ると、少し腫れがあり熱を持っている。


「口取りと検尿が終わったら、すぐに冷やしてやってくれ」


 櫛橋は検尿が終わると真っ直ぐ洗い場に連れて行き、汗を流し、腰に厚布を濡らして当て冷やし続けた。




 翌日、皇都の大宿では祝賀会が開かれた。

競走が終わってすぐに空港に向かったそうで、北国牧場の氏家夫婦が参加している。

現在も『サイヒョウ』の腰の状態はあまり芳しく無く、競走以降常に厩務員が一人つきっきりになっている。

三浦も『サイヒョウ』の状態をかなり気にかけており、清水にも対処に加わるように指示している。


 義悦が乾杯の音頭を取ると、各々麦酒を呑みはじめた。

呑みはじめるとすぐに三浦は、『サイヒョウ』に無理をさせるのはまだ早かったのではないかと指摘した。

戸川は、これにはやむにやまれぬ事情があると説明した。


 『サイヒョウ』は昨年末、初卵を産卵しに牧場に放牧となっており、来年春一杯での引退が決まっている。

櫛橋が可愛がってる竜だから、この『サイヒョウ』の血は何とかして残してやりたい。

だが脚に問題のある仔だから、派手な戦績でも無いと脚が悪いと言って産駒の貰い手がつかないかもしれない。

そうなれば娘や孫の繁殖入り数も少なくなり先細ってしまう事になる。

それを思えば、どうしてもここで無理をさせないといけなかったのだった。

そこまで聞くと三浦は櫛橋のためなら俺も応援すると微笑んだ。



 岡部は三浦に次の重賞挑戦はいつかと尋ねた。

今中距離で活躍している仔がいないし、世代戦はまだ重賞に出れてないから、可能性としては『カンプウ』の『内大臣賞』だろうという事だった。


「何だかんだで、うちも九歳の『カンプウ』から『ヨウテイ』『クラマ』と順調に重賞挑戦できる竜が出ている。良い傾向だな」


 三浦は麦酒を呑みながらしみじみと言った。


「数年前やったら、上位の条件戦の竜一、二頭を何とか大事に戦うてましたけどね」


「それだけ牧場が頑張ってくれてるという事なんだろうな」


 三浦と戸川は氏家を見ながら、ありがたい事だ言って微笑んだ。



 牧草の入れ替えから餌の見直しに至るまで、とにかくできる事を手あたり次第やったと氏家が説明した。

そんな氏家夫妻に、これという手ごたえの無い中、よく諦めずに頑張ってくれたもんだと最上が褒め称えた。

あすかは父のその言葉にほろりと涙を零した。


「本当に手ごたえが無くて、牧夫とも衝突したし、会計係にも常に苦言ばかり言われて……」


 あすかは声を震わせながら言った。


「常にうちがやらなければ調教師も士気が上がらないと言って皆を激励し続けたが、やっとここにきて努力が報われましたよ」


 氏家も瞳を潤ませ感涙している。


「本当にここまで長かった……正直、こんな日は来ないんじゃないかとずっと不安だった……」


 あすかは涙を流し続けた。

最上も二人を見て目に涙を浮かべた。



 『サイヒョウ』はうちの生産ではないが繁殖先はどうする気かと氏家が義悦に尋ねた。


「実は古河牧場から繁殖をさせてもらいたいと申し出がきているんです」


 義悦の回答に氏家は、良い竜だがうちの生産じゃないから仕方がないと諦め口調で言った。

だがそれに最上が怪訝そうな顔をする。


「あれの肌竜はどこの竜なんだ?」


「樹氷会の『ミズホヒョウガ』という竜で、生産は古河牧場なんですよ」


 古河牧場は名目だけを自分の牧場にして、個人経営の牧場に生産を委託している場合も多いのだが、『ミズホヒョウガ』は自分の牧場に置いて生産を行っているらしい。

恐らくだが、照明に映える白、月、赤の三色の竜は売れ行きが良いからだと思われる。


「だが、それだけ聞くと、確かに古河さんに返すのが筋な気もするが……」


「ですけど、本来だったら樹氷会が引き取るべき仔を、脚が曲がってるからって購入拒否したって言うんですからね。良い竜だったからって今さら返せというのもちょっとどうかと……」


 そう言って義悦が不機嫌そうな顔をすると、それはそれで随分身勝手な話だと氏家が横から指摘。

最上も唸ってしまった。


「返せって言ってるのは樹氷会なのか?」


「いえ古河牧場の方です。『硝子の雪姫』なんて言われて人気が出たから、金になりそうって色気がでたんじゃないですか?」


「そんな事なら返す義理は微塵もないな」


 最上の言葉に氏家とあすかだけじゃなく、戸川たちまで頷いている。


「私もそう思いますね。後は氏家さんがどう考えるかですけど」


 氏家はぜひうちでと胸を叩いた。

うちなら脚が曲がってるからって見捨てるような事はしないと胸を張った。

あすかも絶対良い仔を出してみせると自信に満ちた顔をしている。


「わかりました。では丁重にお断りしておきますね」



 宴もたけなわになってきた頃、岡部の隣に松下が座って酌をした。


「なあ、岡部先生。久留米は一体どないなっとるんやろうな」


「どうかしたんです?」


 岡部の返答に、松下は呆れ顔で何を呑気な事をと憤った。


「どうもこうもないで! なんや、新聞見てへんのかいな?」


「何かあったんですか?」


 岡部は険しい表情をして松下の言葉に耳を傾けた。



 新人騎手は一月に、調教師に先駆けて開業する。

その際、同じ会派の調教師から御祝儀として騎乗する竜を用意してもらう事になっている。

特にそういう規定があるわけでは無いのだが、古くからの慣例である。


 会派の規模にもよるが、初日でだいたい三頭前後、一か月間で十頭前後を用意してもらえる。

もちろん開業したての新人にそこまで良い竜は用意はされず、せいぜい能力戦止まりである。

だが会派の面子というものがあるので、なるべく早い時期に初勝利をあげられるように、それなりの竜を用意するのが常である。

その為、大半の騎手が開業の月に初勝利を挙げている。


 ところが服部に初日用意された竜はたったの一頭。

一月が経過し、これまでの騎乗はわずか四鞍に留まっている。

当然初勝利はまだ挙げれていない。



「今年開業した子は皆優秀でな。他の四人は初日に初勝利やったから、余計に目立ってもうてるんや」


 特に西国の二人、板垣と臼杵は初騎乗で初勝利だった。

あまりに対照的な状況で、一部の新聞で記事にされてしまっている。


「服部の奴、さぞ苛ついてるでしょうね」


「見た目やんちゃそうに見えたもんな。暴発せんと良えんやけど」


 松下は服部の事も心配しているが、それ以上に一人の騎手として、調教師に迷惑がかかる事態にならいないかと憂いている。


「僕が来るまでは耐えられるでしょ。服部も研修で一緒にあの竜を育てたんですから」


「それやったら良えけどなあ」


「それに臼杵もいますから。可哀そうですけど臼杵がはけ口にされてる事でしょ」


 それを聞くと松下は臼杵に同情すると言って爆笑した。


「僕は紅花会やないから、こないな事言う資格は無いんやろうけど、会の恥とか考えへんのやろか?」


「そんな事が考えられたら、研修にあんな状態の竜を送ってはきませんよ」


 先日豊川で京香から聞いた話だが、岡部が調教師の研修に行くと知った及川は、自分の方から京香に竜を提供すると言ってきたのだそうだ。

実はその時点で他にも候補となる竜がいたのだが、うちの竜が最も研修には最適だとかなり強固に自分の管理している竜を推薦してきたらしい。


「そやけどさ、君会派の中でも、ごっつい尻の明るい調教師やんか。そういうんも考えへんのかな?」


「知らないか、知ってても関係ないと思えるほどお山の大将なのか……」


 松下は麦酒を飲み干すと、どんだけ性根が腐ってる奴なんだと罵るように言った。


「僕も騎手やからな。服部の事思うと胸が苦しうなるわ」


「僕が行くまでの我慢ですよ。臼杵もきっとそう言って服部を励ましてると思います」


「同じ騎手として僕からお願いするよ。服部の事よろしう頼むで」


 そう言うと松下は岡部の肩に手を置いた。

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