第17話 厩舎

 翌朝、いつも通りに目が覚めた岡部は、着替えて布団をたたみ食卓へ向かった。


 食卓では、いつものように戸川と奥さんが既に起きて活動を開始している。

おはようございますといつものように挨拶をすると、二人は岡部を見て挨拶を返した。


 戸川は岡部を見ると、おもむろに今日はどうするのと尋ねた。

そういえば研修が何時からなのか聞いていなかった気がする。

岡部が聞く前に奥さんが研修が何時からか聞いてくれて、私が送迎すると言いだした。


「あの、先に厩舎きゅうしゃを見ることは可能なんでしょうか?」


「そういえば昨日名札貰うてたな。そしたら一緒に行って研修開始まで見学しはったら良えよ」


 戸川の提案に岡部は身を乗り出して喜んだ。


「竜が間近で見れるんですね!」


「間近で見れるどころか、今日の午後には研修で乗ることになると思うけどな」


 それはなんとも楽しみな。

岡部は嬉しさで顔が緩みきっている。

戸川も岡部につられて、楽しそうな顔をしている。



 この世界にきて五日。

ついに竜と接することができるのだと思うと、期待と緊張で身震いしてしまうのだった。




 戸川と岡部は朝の支度を終えると車に乗り込んだ。

外はまだ暗く、星々の瞬きがそれぞれ小さな蛍のように見える。


 先日駐車した所からすると、かなり奥まったところにある従業員用の駐車場に車を停めた。

かなりの数の車や二輪車が停車しており、既に活動が開始されていることが容易に想像できる。


 名札を付け守衛をくぐると、薄暗い中に煌々と明かりが点けら厩舎棟を照らし出している。

各厩舎で朝の活動が本格始動しようとしている。

元の世界ではこの時間にはもう運動準備が終わっていたので、少し活動が遅いのだろう。


 戸川厩舎は少し奥まったところにあったため、そこに行くまで結構な人数の人と出会った。

戸川はその都度丁寧に挨拶しており、時にはからかわれたりもしている。



 厩舎に着くと朝の状態確認を終えた厩務員から取り急ぎの報告が行われた。

それに対し戸川は何かしら指示を与え、厩舎の事務室に入っていく。

帳面に何かを書き込むと岡部を見て、うちの自慢の竜を見に行こうかと微笑んだ。


 二人で竜房りゅうぼうに向かうと、四人の厩務員が寝藁を綺麗にしているところだった。

厩務員たちは戸川を見て朝の挨拶をすると、岡部にも挨拶したり手を振ったりしてくれる。

その都度岡部も丁寧に挨拶を返した。



 じっくりと竜を観察してみると、見れば見るほど馬にそっくりだった。

馬と大きく異なる特徴としては、何と言っても両目の上に珊瑚のような角が生えていることだろう。

鼻の横に太い髭が二本生えており、口の端に尖った歯がある。

ひづめも馬と違い三又に割れている。


 馬によく似ていると岡部が言うと、似てるけど全然違う生き物だよと戸川は笑った。

戸川は目の前の竜の口を開けさせると、馬にこんな歯は無いだろうと岡部を見てから、尖った歯を確認している。

しばらく歯並びを見続け、その後厩務員と何か言い合った。


「後で研修でも習うやろうけど、さっきの歯は『竜牙りゅうが』いうてね、竜特有のもんなんや」


 そう説明しながら戸川は、竜の脚の状態を一本一本触って確認している。

どうやら怪我をしているらしい。

うち一本の包帯の巻かれている脚を念入りに確認している。


「雑食なんですか?」


「草食や。そやけど竜牙だけはあるんやな。あの牙に輪をかけてうちらは制御するんや」


 戸川は壁に掛けられていたくつわ(=ハミ)を見せ、この部分を竜牙にかけるんだと小さな輪を指差した。


「じゃあ、伊級や止級にもその竜牙はあるんですか?」


「もちろん。無かったら制御できへんよ」


 戸川は再度、怪我している脚の状態を確認している。

どうにも他の脚に比べ具合が悪いらしく、触り比べて首を傾げた。


「折れたりしないんですか?」


「そら、乱暴にしたら折れるやろうけど、折れへんように皮製の輪を使うたりして工夫はしてるんよ」


「もし折れちゃったら?」


「各三本あるから、一応替えは効くけども、まあ、普通は引退やね。老いたいう指標でもあるし」


 戸川は竜房を見ながら、ゆっくり一頭一頭観察している。

恐らく休みで放牧ほうぼくに出しているのだろう。

明らかに竜房に空きが多い。


「噛まれたり、蹴られたりしないんですか?」


「竜は賢いからね。こっちが悪意を持って接しへん限り、危害を加えられることはないよ。たまに気の悪いんがおるけどな」


 そう言うと戸川は、じっと岡部の顔を見た。


「君かて、優しくされてご飯くれる相手に、無下に危害を加えようって思わへんやろ?」


 岡部は、戸川と出会った日の事を思い出し苦笑いした。



 一通り竜房を見終えると、戸川は事務室に戻った。

すると一人の男性が戸川が来るのを待っていた。


 年齢は三十歳中盤くらいだろうか。

髪は陽に焼けて亜麻色をしていて、肌もかなり陽に焼けている。

顔は少し面長で目が優しい。

背は低く、ジーパンにTシャツ、ジャンバーを羽織っている。


 男性は戸川に挨拶すると、岡部の方を見た。

彼が聞いていた方ですかと言うと、岡部に握手を求めてきた。

岡部は自己紹介しながら握手をすると、男性も自己紹介を始めた。


 名前は長井ながい光利みつとし

調教助手をしている。

元々、戸川の元で専属騎手をしていたのだが、引退して調教助手になったのだそうだ。


 戸川は岡部に好きに見ていてくれと言うと、長井と奥の机でなにやら会議を始めた。

事務室から外に出ると、空はすっかり明るくなっており照明が徐々に落とされている。


 厩務員がそれぞれの竜の竜牙にくつわを付け、轡の輪に引き綱をかけ竜房から曳いてくる。

竜房の前の少しの広場で、竜は引き運動を始めた。

竜房に入れたままだと血行が悪くなるので、こうしてちょっとした散歩をしているのだろう。

こういうところは本当に競馬と何も変わらないと思いながら、その光景を観察していた。

じっと観察していると、その中の二頭の竜にくらが乗せられた。


 暫く引き運動を観察していると事務室から二人が出てきた。

長井は鞍の乗せられた竜に近づくと脚元を念入りに確認している。

戸川は岡部の横に立った。


「普段は竜房一杯に竜がおるんやけどね、今は多くが牧場に里帰り中でね」


「牧場ってどこにあるんです?」


「うちの会派かいはは、北国の釧路くしろ郡の白糠しらぬかいうとこやね。輸送費は高いんやけども、寒いとこが好きなこの竜にはちょうど良えらしくてね」



 二人は厩舎を離れ調教場に向かって歩いた。


「今日は二頭だけで軽め調教やし、他も似たようなもんやろうから、あまり面白くはないかもしれへんけど勉強にはなるやろ」


 大きなだ円形の調教場を一望できる『観察台』という場所に行くと、戸川は双眼鏡を手にした。

他にも数人の調教師が双眼鏡で調教を観察している。



 岡部は観察台に来た調教師と目が合うたびに挨拶をしている。

すると一人の中年の調教師が声をかけてきた。


 髪はその多くが白髪になっており、顔のしわもかなり多い。

全体的に細身で、非常に神経質そうな顔をしている。

目つきが鋭く、かけている眼鏡に茶色の色が入っており、パッと見で反社の人のように見える。


「おう、戸川の! この子が昨日言うてた新入りさんか!」


 その調教師は岡部の肩を両手で揉み確かめると、うんうんと頷いた。


「おお、吉川きっかわの!」


 戸川は双眼鏡を外して吉川の方を見た。


「追える厩務員きゅうむいんは、そうそうおらへんからな。良え子を見つけ出したもんやなあ」


「まあな。上手くいったら良えけどな」


 既に吉川調教師も調教を終えているようで、三人で観察台を後にした。


「この時期は暑い上に仕事が少なあて、だるうて休みたなるな」


 吉川は首にかけたタオルで流れる汗を拭いた。


「『尼子あまご』さんも止級は乗り気やないんか?」


「放牧場開く良え場所が見つからへんってよう言うてる。戸川のとこもか?」


「放牧場開く金稼いでから言うてこいやて」


「『紅花べにばな』さんは相変わらずやなあ」


 吉川は少し苦い顔をして大笑いした。


「そう思うんやったら、もっと良え竜連れて来いって言うてやりたいけどな」


 戸川は少し不貞腐れたような顔をする。

それを見て吉川が鼻で笑った。


「口が裂けても言われへんわな。ああいう相手はもっと受け流さな。仕舞いには体壊すことになるで?」


 吉川は戸川の肩をぽんと叩き、自分の厩舎に帰って行った。




 岡部と戸川が厩舎に戻ると、夜勤の厩務員二人が帰るところだった。

戸川がお疲れ様と労うと、厩務員たちは頭を下げ帰っていった。


「さっき言っていた『尼子』とか『紅花』ってなんですか?」


 岡部の問いかけに、帳面に何かを書き込んでいた戸川は顔を上げ壁に掛かった旗を指さした。


「『紅花』はうちの『会派』の名前や。これ『会旗かいき』な。『尼子』は吉川のとこの会派やね。うちの会長は……まあ、そのうち嫌でも顔を合わせるやろ」


「その『会派』って何なんでしょう?」


「元の世界には会派って無かったんか?」


 『会派』は複数の『竜主りゅうぬし』の寄合で、竜の調達は会派が主体になって行っている。

個人で竜主の資格を新規取得するのは規約上許可されていないので、竜主は必ずどこかの会派に所属している。

調教師の育成や騎手の育成も会派が全額を出資しており、調教師も騎手も会派のお抱えとなっている。

ただ騎手は、開業後さまざまな事情で独立している人もいるし、別の会派の厩舎に所属している人もいる。


 調教師にとっては会派の意向は絶対になってしまうが、代りに開業したての厳しい時期も長い目で見てもらえる。

会派はそれぞれ会旗と勝負服を持っており、戸川の所属する紅花会は『紅地に黄の一輪花』の会旗で、勝負服は『赤に黄の玉あられ』という意匠になっている。

会派では牧場を持っているところもあるが、自前で牧場を持っていないところは持っている会派と提携しているところもある。


「なんだか保守的というか閉鎖的というか……」


「命を扱うんやから慎重に慎重を重ねるんは当然やろ」


 戸川は少し厳しい目で岡部を見た。

これは竜を扱う者にとって最低限の心構えだぞと教戒した。

 

「じゃあ購入代金に引退後の世話代も含まれたりするんですか?」


「いくら商業動物やいうても、いらなくなったらポイいうわけにいかへんからなあ」


「そう考えるとよく考えられた制度かもですね」


「言うてしまえば、そうやない時期があったいうことなんやけどな」


 『紅花会』では、引退して繁殖はんしょく入りできなかった竜は、格安で中学校の竜術りゅうじゅつ部に払い下げているらしい。

それを見越して、繁殖入りする牝竜ひんりゅうも気性の良い竜を選抜しているのだとか。


 華やかな競竜も、裏では多くの人の知恵と工夫で支えられているということを岡部は実感した。


「だけど、開業から一貫して会派に世話になってしまったら絶対服従しなきゃですね」


「そうやなあ。完全出資の親会社みたいなもんやからな。どうしたって意向には逆らえへんようになるわな」


 どうやら戸川は何か嫌な事を思い出したようで小さくため息をついた。


「じゃあ僕の研修費も会派で払われるんですか?」


「それはうちで払うてるよ。従業員やからね。まあ、大枠から言うたら会派内の会計になるけども」


 そこまで言うと戸川はちらりと時計を見た。

今日はもう昼飼ひるかいまで厩務は無いから、少し早いが研修を行う事務棟で待つ方が良いと助言した。


「あっちはここと違うて空調が良う効いとるからね。受付に顔出して、すみれちゃんに珈琲もろたら良えよ」


 戸川はがははと豪快に笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る