競竜師
敷知遠江守
第一章 師弟 ~厩務員編~
~転生初年度~
第1話 落馬
――
東京第八レース、三歳以上一勝クラス、まもなく発走となります。
偶数番、順調に枠入り。
係員が離れスタートしました!
スターメサイヤ、ちょっとダッシュがつかないか。
シルヴァーダンサー、ハイランドハイジ、メガインパクト先頭争い。
ハイランドハイジが行くようです。
シーディーバ、ラブラブがそれに続きます。
1番人気エスプレッソマンがその後ろ、この位置。
ホークハート、タイソンクイン、スリーアタッカー、パワーヒッパーが続きます。
少し間が開いてカラーギャング、ジプシーファラオ。
さらに少し開いてキングフェザー、アイバー。
スターメサイヤが最後方で、全十五頭。
先頭はハイランドハイジ、リードは現在四馬身ほど。
シルヴァーダンサー、メガインパクトが追走しています。
千メートルタイムは五八秒、ややハイペースといったところ。
二馬身ほど空いてエスプレッソマン、一馬身開いてホークハート、パワーヒッパー。
タイソンクイン、スリーアタッカーがそれに続きます。
そのすぐ後ろに人気の一頭スターメサイヤ。
三馬身ほど開いてカラーギャング、ジプシーファラオ。
前走逃げたジプシーファラオは現在中団後方です。
二馬身ほど開いてキングフェザー、最後方にアイバー。
現在、やや縦長の展開となっております。
向正面ハイランドハイジが軽快に飛ばしています。
リードは依然四馬身ほど。
三コーナーを周り各馬ペースアップ、じりじりと全体が詰まってまいりました。
先頭は依然ハイランドハイジ。
エスプレッソマン非常に良い位置取り。
パワーヒッパー、タイソンクイン、ジプシーファラオ、徐々に全馬一群となってまいりました。
三コーナーから四コーナーに差し掛かり、先頭も追い出しに入ります。
さあ、何が抜けてくるでしょうか!
直線に差し掛かりシルヴァーダンサーが抜けました。
あっと落馬!!! シルヴァーダンサー故障発生、岡部落馬!!
勝負所です! 後続もかなり巻き込まれています……
――
……四番人気の馬だった。
反し馬でも、これといって問題は感じられなかった。
道中もかなり好調に思えた。
勝ち負けまで持っていけそうという手ごたえすら感じていた。
突然視界が落ちた。
空が回る。
視界以外の感覚が途中から無くなった。
音もない。
緑の絨毯の上を蹴られたボールのように何度も跳ねて転がった。
その視界も、伸びた芝を最後に、どん帳が降りるかのようにゆっくりと暗転していった。
*****
……遠くからかすかな声がする。
誰かが僕を呼んでいるのだろうか?
僕は落馬したのだろう。
あの馬、シルヴァーダンサーはどうなっただろうか?
父に似てかなりスピードがある馬だから、無事なら重賞くらいは取れるだろう。
きっと今、病院なのだろう。
指一つ動かないところをみると脊髄をやったのかもしれない。
だとすると復帰はちょっとかかるかもしれない。
復帰した時あの馬に僕は乗せてもらえるのだろうか?
……遠くからまた、かすかな声がする。
僕を呼ぶのは母親か父親か。
女神のような透き通る声にも感じる。
だとするとそのどちらでもないのだろう。
看護婦さんだろうか?
美人ならリハビリがはかどるな。
可愛い娘の膝枕でのんびり昼寝できたら幸せだろうに……
……徐々に声がはっきりと聞こえる。
体中に鈍い痛みを感じる。
君、君と、ゆっくり話しかけてくる声が聞こえる。
どん帳がゆっくりと上がる。
陽のまぶしさを実感する。
「あ、気が付いたみたいだね! 大丈夫ですか?」
空から僕を覗き込む人影がそう語り掛けてきた。
美女の膝枕で起きるなんて、なかなかオツなものだと愉悦に感じていた。
年の頃なら四五歳。
顎に少し無精髭の残る人の好さそうな男性だった。
ごつごつした足を枕に青年は目を覚ました。
「大丈夫ですか?」
中年の男性は優しく問いかける。
はいとか細い声で答えると、青年はゆっくりと痛む身を起こし、ゆっくり、ゆっくり周りを見渡した。
……女神でも美女でもなかった。
なんとも言えない、どんよりとした気分に支配されている。
少なくとも白い壁と白いカーテンに囲われた、看護婦さんたちの弾む病院では無かった。
かといって、靄の上で薄着の女神の踵に横たわるような、想像しうる死後の世界でもない。
どう見ても公園か何かの大空の下。
長椅子の上に中年の男性が腰かけていて、青年は膝枕で介抱されている。
周りには、新聞を片手に鉛筆や色ペンを持ったおじさん、お兄さん、お姉さん、おばさん。
遠くに灰色の雲の一団が迫る、不安定そうな空の下、やや強い日差しの中、ゆっくりと涼やかな風を感じる。
「ありがとうございます」
中年の男性に礼を言うと、痛む身を起こし長椅子の前に立ってみようと試みた。
だが残念ながら体の痛みは青年の頑張りを大いに阻害する。
「まだ無理をしない方が良い」
中年の男性は、長椅子に腰かけて安静にしているように青年に促す。
もうすぐ競走が始まるからゆっくり座っていれば良いと諭し、中年の男性は青年をそっちのけで、食い入るように新聞を覗き込み出した。
周囲の喧騒とは対照に、二人の間には暫く沈黙が続いている。
あまりの真剣さに青年は、声をかけることを躊躇ってしまった。
湿り気の多い涼やかな風がそよぐ中、どうにも気まずい空気が場を支配している。
賭けるのですかと恐る恐る沈黙を破ると、僕は賭けられないんだよと、中年の男性は残念そうに呟いた。
じゃあ一体何が楽しみで競馬新聞なんて見ているのだろう。
特に新聞に印をつけるでも無く、ただただ大空と新聞を見比べている。
あのと、もう一度声をかけようとした。
だが中年の男性は腕時計を見るとすくと立ち上がり、始まると一言駆けだして行ってしまった。
柵に身を寄せ大空を見上げる中年の男性。
同じ様に新聞を見ていた周囲の人達が、中年の男性を取り囲むように柵に身を寄せている。
全員が大空を食い入るように見上げている。
快晴とは程遠い曇り空一歩手前の大空に、一体何があるというのだろう?
よく見ると今いる場所の向こうは、見慣れた緑の芝生では無く水面が広がっている。
ここは慣れ親しんだ競馬場では無いということに、今さらながらに気が付く。
競艇場だろうか?
それにしては、皆、水面ではなく上空を見上げている。
一体何があるというのだろう?
周囲の群衆は一心不乱に空を見つめ続けている。
青年も同じように大空を見上げ続けた。
特に何かあるわけでもなく、この季節特有の低い空と煤けた雲が見えるだけである。
先ほどまでかろうじて顔を見せていた太陽も、もうすっかり雲に隠れている。
お!という声が聞こえた。
何か複数の大きな塊がこちらに飛んでくるのが見える。
かなりの速さでこちらに近づいてくる。
陽光で黒い塊にしか見えないが、恐らくかなりの大きさのものがこちらに近づいてきている。
徐々に黒い塊が何であるかがわかりはじめてくる。
鳥だ!!
それもかなり大きい!
徐々に周囲の歓声も大きくなる。
全部で八羽。
滑空してきた鳥が、次々に目の前で大きく旋回していく。
突風が観客を襲う。
羽毛が零れ落ちる。
大歓声が湧き上がる。
八羽の大鳥はそれぞれ、これまで聞いた事も無い甲高い叫び声を上げ、また大空に羽ばたいて昇っていってしまった。
よく見ると大鳥の首元には鞍が乗り人がまたがっている。
あの大鳥はレースをしているのだ!
馬ではなく鳥がレースをしているのだ!
芝生ではなく大空のコースで。
何と言う光景なのだろうか。
できることなら、いつかあれに乗ってみたい!
青年は心が踊り高ぶっているのを感じた。
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