第25話 初めての立場逆転

「いざゆかん……」


「考えてから言いましょうね」


 夏休みも無事に進み、花火大会当日となった。


 木井きいさんは変わらずに俺の家で一緒に暮らしている。


 驚いたことに、同じベッドで寝てるのに何も無かった。


 強いて言うならずっと手を繋いで寝たぐらいで、本当に何も無い。


 正確に言うと、俺が退院した日に悪ふざけが過ぎてお互いに意識をしすぎて何もできなくなっていた。


 良かったような、残念なような?


「いざゆかん、花火大会? それだと普通だよね。戦地、はなんか違うし、決闘の地へ?」


「別にそこに拘らなくていいですよ。それよりも約束は覚えてますか?」


「もちろん。私は絶対に強一きょういちくんの手を離さないから」


 花火大会に行くにあたって、父さんに一つ条件を出された。


 それが家を出てから帰って来るまでの間、手を繋ぐこと。


 変な意味があるわけじゃなくて、単純に迷子防止と、俺に異変があった時にすぐわかるように。


「木井さんは目を離すとどこかに行っちゃいそうですからね」


「失礼な。いくら初めての花火大会だからって、強一くんから離れることなんてしないもん」


「俺も木井さんとは離れたくないんで、離れないでくださいよ」


「うん。むしろ腕組んじゃう?」


 木井さんがニマニマしながら言う。


「それの方がいいですかね? 物理的な距離が近い方が俺に何かあった時にすぐわかるでしょうし」


 俺がいきなり倒れたりした時に、手を繋いでるだけだとそのまま倒れるけど、腕を組んでれば倒れる前に木井さんが支えてくれるかもしれない。


 それだけでも俺の負担は減る。


「まあ俺の心臓が持たなそうなので却下なんですけど」


「お、おう。強一くんがそう言うなら仕方ないね。うん、仕方ない」


「少しなら大丈夫だと思うのでお願いするかもです」


「ま、任せろ。私が強一くんを支えてあげたる」


 なんだかすごい焦ってるように見えるけど、木井さんからの提案のはずなんだが。


 すごい理にかなってるからやりたいけど、木井さんの方ができそうにないように見える。


「もしかして冗談でした?」


「……はい」


「すいません。嬉しさが勝ってしまいました」


「いや、悪いのは私です。強一くんは真面目に考えてるのに、私は不純な考えばかりして……」


 木井さんの顔がどんどん俯いていく。


「不純……、俺もそういう気持ちがないわけでもないですよ?」


「え?」


「まあ、俺の体が普通なら手を繋ぐ理由も無くなるんでしょうけど」


 俺が木井さんと手を繋げるのは、俺がいきなり倒れると危ないから。


 つまり倒れる可能性が無ければ木井さんと手を繋ぐ理由が無くなる。


 それはちょっと寂しい。


「木井さんの手、好きなんですよね」


「……手だけ?」


「はい?」


「な、なんでもない。それよりもそろそろ行こ。混む前に色々と回りたいし」


 木井さんが慌てて立ち上がり、俺に手を伸ばす。


「なるほど。これなら俺の体が普通でも手を繋げますね」


「そういうことを言わないの。恥ずかしくなるでしょ」


 木井さんがほのかにほっぺたを赤くする。


 今更恥ずかしがることでもないだろうに。


 俺は木井さんの手を握って立ち上がる。


「父さんはついては来るけど近くには居ないんですよね?」


「そう言ってたね。会場には居るけど、一緒には行動しないって」


 俺と木井さんがちゃんと楽しめるように気を使ってくれたのだろう。


 正直ありがたい。


 この歳ではしゃいでる姿を父親に見られるのは少し恥ずかしい。


 それはそうと……


「……」


「どしたの?」


「いえ、花火大会とかお祭りって言ったら浴衣かなって思いまして」


 木井さんも俺も普通に私服だ。


 もっと言うと、木井さんはワンピースで俺はパーカー。


 花火大会に行く人がみんな浴衣を着るとは限らないのは知ってるけど、木井さんの浴衣姿を見たかったと言えば嘘ではない。


「浴衣はさすがに買えないかな。水着も無理して買ったわけだし……」


「いえ、木井さんはどんな服でも最高に可愛いので大丈夫です」


「なんで君はそういうことを真顔で言えるのかなぁ……」


 木井さんにジト目で睨まれた。


 なんでと言われても、事実をそのまま伝えてるだけだから真顔なのは当たり前な気がするけど。


「いいや、強一くんだし」


「馬鹿にしてます?」


「褒めてるよ。強一くんもどんな服でもかっこいいね」


「はい?」


「おや?」


 木井さんがいきなりいい笑顔になった。


 こういう時は大抵よくないことが起こる。


「強一くんはかっこいいね」


「なんなんですか?」


「かっこいいよ強一くん」


「いや、だから」


「照れてるー」


 木井さんが俺の頬をつついてくる。


 本来は木井さんがからかわれる立場で、これでは逆だ。


 まあからかってる時の木井さんも可愛いからいいんだけど。


「かっこいいとか言われてもなんとも思わないって思ってましたけど、木井さんに言われると駄目ですね」


「私に?」


「はい、木井さんにそう言ってもらえると嬉しいです」


 夏休み前に木井さん以外の人に言われたことはあるけど、誰に言われても社交辞令だから嬉しくはなかった。


 だけど木井さんにこうして言ってもらえるとそれだけで嬉しい。


 まあなんで社交辞令で言われてたのかもわからないけど。


「そっか、私に言われるのは嬉しいんだ」


「そうですけど、どうかしました?」


「ううん、そう言ってもらえて嬉しいなって」


 木井さんが握る手に力を込める。


 よくわからないけど、木井さんの笑顔が見れたのでそれでいい。


「今日を一生の思い出にしようね」


「そうですね」


 俺の残り少ない一生の思い出。


 そんなことを言ったら木井さんに怒られるから言わないけど、俺は今日をちゃんと忘れない。


 残り少ない最期まで。


「まあ一番ではないですけど」


「一番の思い出があるの?」


「ありますよ。絶対に塗り替えられない、俺の一生で一番の思い出が」


「え、なになに」


 木井さんがグッと顔を近づけてくる。


 いきなり可愛い顔を近づけられるとドキッとするからやめて欲しい。


 嬉しいけど。


「……なんだか素直に教えるのが嫌なので教えないです」


「なんでさ!」


「わかりきってることですし。木井さんが本気でわからないって言うなら秘密にしておいた方がおもしろ……いいかなって」


「それ、言い換えられてないからね?」


 そんなのはわかっている。


 だって言い換える気もなかったから。


 そもそも俺の一番なんてずっと決まっているのにわからない木井さんが悪い。


「強一くん、ちょっと怒ってる?」


「別に怒ってないですよ? それよりそろそろほんとに行きましょ」


 俺は誤魔化すように木井さんの手を引く。


 本当に怒ってはない、ちょっとしたわがままだ。


「楽しい一日にしましょうね」


「私は強一くんと一緒ならいつでも楽しいよ」


「俺もですけど、いつも以上にってことですよ」


「うん!」


 満面の笑みの木井さんを見て俺も微笑む。


 やっぱり木井さんと居るだけで俺も楽しくなってしまう。


 今日は絶対に楽しいだけの一日にすると心に決めた。

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