第20話 初めての真実

「懐かしい天井だ」


 俺が目覚めると、そこには長年見続けてきた懐かしい天井があった。


 たった一ヶ月と少しだけの間しか離れてなかったはずなのに、懐かしいと思えるぐらいには学校生活を楽しめたのかもしれない。


 学校生活というよりは、木井きいさんとの生活を。


「懐かしい天井はいいとして、隣に可愛い女の子が寝てるのは初めてだ」


 俺の寝るベッドの隣で、椅子に座りながら眠っている美少女、木井さんが居た。


「ベッド使えばいいのに。絶対に起きたら首とか痛いでしょ」


 俺はあんな状態で寝たことがないからわからないけど、あの体勢は首を痛めそうだ。


 だけどやはり木井さんは眠ってる姿も可愛い。


「今更だからいいや。それよりも、そういうことだよな」


 今の状況を整理する。


 どれだけ寝てたのかはわからないけど、俺は木井さんの父親らしき人に殴られて気を失った。


 俺の身体は人より弱すぎるので、ある程度の力がある人に殴られれば簡単に血反吐を吐く。


 多分だけどあの人は何かしらの格闘技か何かをやっていたと思うから、こうなるのは必然だった。


 俺はそれを理解した上でわざと殴られた。


 あれ以上木井さんに痛い思いをさせたくなかったから。


「おでこにちょっと傷ある。ごめんね、木井さん」


 木井さんの額には少しの切り傷がある。


 他にも小さいものがほっぺたにも。


「これで済んだって思いたいけど、できれば無傷が良かったな」


 それが高望みなのはわかっているけど、木井さんの綺麗な顔に傷があるのが嫌だ。


 それで木井さんを嫌いになるとかはないけど。


「今度はちゃんと守りたいけど、多分無理だよな……」


 できることなら今度こそ木井さんを守りたい。


 あんな状況は二度とない方がいいのはわかっているけど、もしも次があるなら今度こそ木井さんを無傷で守る。


 だけどそれはできないだろう。


 何せ……


「……寝ちゃってた」


「木井さん起きました?」


「うん。おはよう、強一きょういち……くん!?」


「変なところで切りますね」


 木井さんが驚いた様子で椅子から立ち上がり、ベッドに手をついて俺のことを見回す。


「大丈夫、ではないよね。でも、大丈夫?」


「大丈夫ですよ。それより木井さんは大丈夫でしたか?」


「私は大丈夫だよ。強一くんが守ってくれたから」


「俺は木井さんを守れませんでしたよ。すいませんでした」


 どうやら体を起こすことはできないようなので、頭だけを少し下げる。


「なんで強一くんが謝るの! 悪いのは私だよ。私のせいで強一くんが……」


 木井さんの目元に涙が浮かぶ。


「木井さんのせいではありません。それだけは絶対です。悪いのは、守れなかった俺と、自称木井さんの父親のあの人です」


 俺はあの人を木井さんの父親と認めるつもりはない。


 たとえ血が繋がっていたとしても、木井さんに酷いことをしたあの人を父親とは認めたくない。


「あの人は私の父親だよ。血の繋がりはないけど」


 それを聞いて少しだけホッとした。


 だからといってあの人を許すわけではないけど。


「私の本当のお父さんは、私が小さい頃に病気で死んじゃったの。それでお母さんが再婚したのがあの人で、そのお母さんも病気で……」


 木井さんの目元から涙がこぼれ落ちる。


「ごめん。別に話したくないことなら話さなくて大丈夫だから」


「んーん、大丈夫。強一くんには聞いて欲しい。それを聞いた上で、私を許せるかを聞きたい」


「何を聞いても俺は木井さんを許します。何を許すのかわかりませんけど」


 俺は別に木井さんから何かやられたわけではない。


 だから木井さんの何を許せばいいのかわからない。


「強一くんは優しすぎるよ……」


「木井さんには言われたくないです」


「ちょっとだけ気が楽になった。ありがとう」


 言われのない感謝をされると困る。


 俺が返事に悩んでいると、木井さんが少し微笑んだ。


「木井さんの笑顔はやっぱり綺麗ですね」


「この前は可愛いとか言ってなかった?」


「両刀なんてすごいです」


「本気で言ってるから反応が難しいんだよなぁ……」


 木井さんが呆れたようにため息をつく。


 涙はまだ引いていないけど、少しは楽になってくれたようだ。


「ほんとにありがとう」


「何がですか?」


「ううん、独り言。それじゃあ話すね。だけど話す前にちょっと見て欲しいものがあるの」


 木井さんは立ち上がってカーテンを閉めた。


「なんですっ!?」


 俺は思いっきり首を後ろに向けた。


 ちょっと痛かったけど、そんなのはどうでもいい。


 なぜなら木井さんがいきなりワンピースを脱ぎ始めたからだ。


「別に見てて大丈夫だよ。下着は着てるから」


「当たり前ですよ! なんですか、痴女ですか!」


「痴女は酷いな。見方によっては否定できないし……」


 木井さんの声が弱々しくなる。


 多分地雷を踏んだ。


「すいません。言いすぎました」


「ううん。それよりもこっち向いて」


「嫌です」


「お願い。私はもう強一くんに隠し事をしたくないの」


 木井さんの声が真剣なのがわかる。


 これが俺を辱めて楽しむようなものでないのも。


 変に意識したら駄目なやつだ。


 真剣な木井さんには、真剣に挑まなければいけない。


「これで振り向いて俺を貶めたりしたら軽蔑しますからね」


「信用ないなぁ。当然だけど……」


「木井さんの馬鹿」


 そんなに弱々しく言われたら何も言い返せなくなる。


 俺は一度息を吐いてから木井さんの方に顔を向ける。


 そして瞑った目を開けた。


 そこには……


「綺麗だ……」


「っ!」


 思わず思ったことがそのまま口に出てしまった。


 木井さんの顔が一気に真っ赤になる。


「すいません。つい」


「強一くんのばか。そういうのは今は求めてないよ!」


「今は?」


「うるさい! うぅ、なんか色々と考えてたのが馬鹿らしくなるよ……」


 木井さんは耳まで真っ赤にしてうずくまる。


 だって純粋に綺麗だと思ってしまったのだから仕方ない。


 もちろん、木井さんが見せたかったものもちゃんと見た上でだ。


「それは、そういうことですよね?」


「……うん。ていうかわかってるなら最初にそっちに触れてよ。なんか雰囲気が難しい」


「だって木井さんが綺麗だったので」


「私の馬鹿。これなら先に言葉で説明すれば良かった……」


 確かにそうしていたら俺も『それ』に目が行ったと思う。


 わからないけど。


「見えないところにやっているとは言ってましたけど、そこまでとは」


「お見苦しいものを見せてごめんね」


「それはフリですか?」


「違うからね? ほんとだからね?」


「そんな『痣』程度で木井さんの綺麗を上書きできるわけないじゃないですか」


「くっ、この子は私をからかう時が一番生き生きしてる気がするぞ」


 仕方ない、それが俺の生きがいなのだから。


 だけど実際、木井さんの身体についてる痣は相当なものだ。


 素人目にも、消えないものなのがわかる。


「まあ強一くんに同情されなくて良かったけど」


「俺ごときが木井さんの辛さを理解できるわけないですよ。木井さんはずっと苦しんできたんですよね……」


「うん、辛かった。毎日家に帰るとあの人に暴力を振るわれるか、その……」


 木井さんの顔が青ざめていく。


 言いたくないことを聞く気はない。


 木井さんの身体は綺麗。それが事実なのだから。


「そうだ、俺ってどれぐらい寝てました?」


「丸一日かな。もうお昼過ぎたから」


 結構な時間寝ていたようだ。


 だけど血を吐いたにしては早い方なのかもしれない。


「それともう一つ。あの人はどうなったんですか?」


「行方不明。一応警察の人達が探してるみたいだけど、これからどうなるかとかはわからない」


「じゃあいまのところは木井さんに危険はないんですね。それなら俺が体を張った甲斐がありました」


「本気で言ってるの?」


 木井さんが怒っているような声で、悲しそうな顔で、辛そうに言う。


「強一くん、わかってるの? 強一くんは他の人よりも自分の体を大切にしないといけないんだよ? それなのに私なんかの為に身体を張って、結果入院だよ? 私は自分が助かる為に強一くんが辛い思いをすることなんて望んでない」


 木井さんがキッパリと告げる。


 だけどその表情はとても寂しげで、涙がこぼれ落ちている。


「俺だって木井さんに辛い思いをして欲しくないですよ」


「私の辛さなんて、強一くんと一緒に居たらどこかへ飛んで行っちゃうんだよ」


「だけど辛い思いはしてるじゃないですか」


「その代わりに強一くんが辛い思いをして、私が嬉しいと思うの? それにもしもそれで強一くんが……居なくなっちゃったら、誰が私の辛さを解消してくれるの?」


 木井さんは言葉を濁したけど、確かに今回俺は死んでいてもおかしくなかった。


 あの人がギリギリのところで引いていなかったら俺は今頃木井さんと話せていない。


 そしてその場合、木井さんは自分を責める。


 そうなると、木井さんは……


「二度としないで」


「ですけど──」


「しないでよ……。私からもう『大切』を奪わないで……」


 木井さんが俺の胸に顔を埋める。


 俺は泣いている木井さんの頭を撫でることしかできなかった。

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