第18話 初めての呼び方
「
「どうだろ。考えたことなかったけど、明るい色は好きだよ。気持ちが明るくなるから」
水着売り場を端から見ている中、今更ながらにそんなことを聞く。
正直水着の違いがわからず、どれも木井さんには似合うだろうから悩み中だ。
「そんなに真剣にならなくていいんだよ? ほんとに
「それを探してるんですけど、どれも普通に似合うとは思うです。本当に難しい問題ですよ」
これなら学校のテストの方が何倍も簡単だ。
あちらは絶対に一つの答えがあるわけで、こちらは全てが答えで、その中から正解を超えた正解を見つけなければいけないのだから。
「これが彼女の買い物に待たされる彼氏の気持ちなのかな?」
「すいません……」
「別に責めてないよ。苦痛って聞いてたけど、私の為にたくさん悩んでくれてるんだから嬉しい」
木井さんが笑顔でそう言ってくれる。
待たせるのは悪いけど、こればっかりは妥協ができない。
これが自分のものなら適当に安いものを選ぶか、買わなければ済むのだけど。
そんなことを考えていると。
「お客様、何かお探しですか?」
「……」
名前だけ聞いたことはある。
こういうお店の店員さんは、すごい営業スマイルで音もなくやって来て、すごいグイグイくると。
買わせたいのと、長居させたくないのはわかるけど、正直困る。
「すごい真剣に見てましたけど、彼女さんの水着を選んでるんですよね?」
まあそれ以外の理由で俺が女性物の水着を見てたら通報ものなんだけど。
「彼女さん綺麗なのでどんなものでも似合いますね。ですけど──」
「いいです」
店員さんが近くの水着に手を伸ばしたのを俺が止める。
これは俺が選ばなければいけないものだ。
木井さんとお店に迷惑がかかっているのはわかっているけど、それでも俺はそこを譲りたくない。
「すいません、私が頼んじゃったんです。真面目なので、私が『選んで欲しい』って言ったら絶対にそうするのをやめることはないんです」
「愛されてますね」
「付き合ってません……」
「初々しい……」
木井さんが店員さんに説明してくれたおかげで空気が悪くはならなかったけど、なんだか店員さんが微笑ましいものでも見るような顔をしているのが気になる。
「それならアドバイスだけ。どれでも似合うことで悩んでいるなら、全部を吟味する必要はないです」
「と言うと?」
「彼女さんは彼氏さんに選んで欲しいんですから、彼氏さんがピンときたものを選べばいいんです」
「それなら……」
それこそちゃんと見た方がいい気がする。
ワンポイントなんかを見逃したらもったいないし。
「着る人が綺麗なら大抵の服は似合います。彼女さんも彼氏さんの選んだものならなんでもいいと言うなら、彼氏さんの趣味のものを選べばいいんですよ。だけど彼氏さんもそういうのがあまりないように見えます」
「そうですね。だから余計に悩んでます」
「だったらもう直感に任せるしかないです」
「直感?」
「はい。好みというのは、一瞬でも目に残るものなんですよ?」
なんだかとても納得した。
じっくりと真剣に見て悩むのもいいことかもしれないけど、それだといいところが見つかっても、同時に駄目なところも見つかる。
そんなのを繰り返していたら一生決めることなんてできない。
だったらピンときたものを集めて選ぶ方が効率的だ。
「多分彼氏さんは、彼女さんに最高に似合うものだけがピンとくると思いますよ」
「そうなんですかね?」
「大切な人なんですよね?」
「はい」
「それなら大丈夫ですよ」
やけに確信めいた答えだけど、アドバイスにも慣れてるだろうし、従うのが一番だ。
「わかりました。そうしてみます」
「いいものを選んであげてください」
「はい。それと、こういうお店ではお客を『彼氏』『彼女』で呼ぶんですか?」
ずっと気になっていたけど、呼び方を決めておいた方が楽なのはわかるから流していた。
男女の組み合わせ限定なのかはわからないけど、特殊な呼び方な気がする。
「あれ? まさかほんとに?」
「はい?」
「……なるほど。これが尊みですね、ごゆっくり」
店員さんが木井さんの方を見てからそう言うと、頭を下げてからどこかに消えた。
一瞬しか目を離してないつもりだったのに、目の前から忽然と姿が消えるのはなんなのか。
こういうお店の必須科目なのかもしれない。
「それより、どうしたんですか?」
「……気にしないで」
俺が隣で顔を真っ赤にしている木井さんに話しかけると、そっぽを向いてしまった。
ちょっとショックだ。
「俺、何かしましたか……?」
「違うよ。強一くんは何も悪くない。多分誰も悪くないんだけど、私のメンタルが弱かっただけ」
よくわからないけど、とりあえず頭を撫でておいた。
「私を余計に辱めて楽しんでるな!」
「ちょっと言ってる意味がわかりません」
「覚えてろよぉ……」
木井さんが顔だけ俺の方に向ける。
可愛いをありがとうございます。
「それより選びましょ。今度は軽く」
「ふんだ。帰ったらご機嫌取りしてもらうからね」
「なんでもしますよ?」
「……ほんとに頼んだらなんでもしてくれるから困る。ちょっと頑張ってみようかな」
木井さんが自分の世界に入ってしまったので、手を引いて水着探しを再開した。
「なかなかピンとくるものはないですね」
「もしも全部ピンとこなかったらどうするの?」
少し経って自分の世界から帰ってきた木井さんが怖いことを聞いてくる。
「他のところに行きたいですけど、無理でしょうから、木井さんと一緒に選びます」
「私は強一くん選んだやつがいいんだけどなぁ」
「俺は木井さんと一緒に選ぶのもいいと思うんですけど。なんか初めての共同作業みたいで」
「よし、私も選ぼう」
なぜか急にやる気の出した木井さんが水着を手に取る。
「俺が選ぶんじゃないんですか?」
「それもいいんだよなぁ……。仕方ない待とう」
木井さんが渋々といった感じで水着を元の位置に戻した。
「よくわからないですけど、とりあえずは俺が選びますね」
「うん、任せた。でも、見つけられなくても大丈夫だからね?」
「どっちなんですか」
木井さんが何を考えてるかはわからないけど、なぜか楽しそうなので気にするのをやめた。
そうしてまた探すのを再開して少しした時、俺は出会った。
木井さんに着られる為に生まれてきたと思えるものに。
水着を買い終えた木井さんと俺はうちへの帰路に着いていた。
「一緒に探せなかったのは残念だけど、とっても嬉しい」
「ちなみにどっちが大きいですか?」
「嬉しさ!」
木井さんが満面の笑みで答える。
その笑顔が見れただけで選んだ価値がある。
「結局それって何に使うんですか?」
「教えなーい。でも、強一くんにしか見せるつもりはないから大丈夫だよ」
「まあ俺以外にも店員さんも見てますけど」
「そういう意味じゃないよ!」
俺はてっきり、俺が選ぶから俺しか見ないという意味なのだと思っていた。
もしかしたら選んだご褒美にと、着た姿を見せてくれるのだろうか。
今になって思えば、俺が選んだ木井さんはサイズだけを見て他は何も気にしないで会計に向かっていた。
こういうのは一度試着をするものだろうに。
「買ったのはいいですけど、着れないとか笑えないですからね?」
「多分大丈夫だよ。強一くんが私の体をじっくり見てたおかげか、色々とバッチリだったから」
すごい語弊のある言い方をされたけど、本当に見た目てピンときたものを選んだだけで、他は何も気にしていない。
「それに着れなかったら着れるようにするから」
「まあ木井さんがいいならいいですけど」
「楽しみにしててね」
「はい」
「照れろよぉ」
木井さんが俺の肩にコツンと拳を当てる。
「そういえば手を繋いでなかったです」
「残念だね、私の右手は袋で塞がっている」
「残念です……」
「そんな露骨に落ち込まないで。左手なら空いてるよ?」
「そっちは歩道側なので俺は行けません。袋を左手にしてください」
「そういえば強一くんって毎回車道側を歩いてた。そういうとこよ」
なぜか木井さんにため息をつかれ、持っていた袋を左手に持ち替えた。
「これでいい?」
「本当は俺が袋を持ちたいんですけどね」
俺はそう言って空いた木井さんの右手を取る。
普通に。
もちろん買い物終わりに袋を持つと言ったけど、木井さんに断られた。
「強一くんに負担はかけたくないの。それに一応水着だし」
「まあいいですけど。それより約束したので帰ったら甘えますね」
「忘れてなかった。手を握りたいっていうので甘えたが終了ということには?」
「嫌ですか……?」
「こんな道の真ん中で始めんな! 他の人に可愛い強一くんを見られたらどうするの!」
なんだか怒る場所が違う気がするけど、ちょっと嬉しいので木井さんの手を握る手に少し力を込めた。
「ふん」
「ありがとうございます」
「そんなこと言っても知らないんだから。だいたい強一くんはねぇ──」
「似てる顔だと思ったら
木井さんからお小言が始まると思ったら、前方からしゃがれたような男の人の声で木井さんの名前が呼ばれた。
俺はそちらに顔を向けようとしたけど、木井さんの怯えたような表情と、強く握られた手の温もりでそれができなかった。
「聞いてんのか夢奈ぁ」
しゃがれ声の人はどんどん近づいて来る。
とても危ないことか起こる気がした。
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