第15話 初めての夏休み
「ほけー」
「可愛い鳴き声の練習でもしてるんですか?」
夏休み初日、
そして俺の部屋でベッドに背中を預けてどこでもない場所をボーッと眺めている。
「何回も可愛い可愛い言ってるからさすがの私も慣れたからね」
「別に照れさせたいとか思ってませんよ。可愛いと思ったから口に出ちゃうだけです」
「ふんだ、やり過ぎは駄目なんだってわからせてやる」
木井さんはそう言いつつも、少しだけほっぺたが赤い。
やはり可愛い。
「それより暇ですか?」
「まあやることはないね。
「俺はボーッとしてる木井さんを見てるのが楽しくて、つい」
「何が楽しいのさ」
「多分何も考えてないんでしょうけど、そんな顔も可愛くて」
木井さんに無言で腕を叩かれる。
もう見慣れた光景だ。
「でもせっかく来てもらってるのに俺だけ楽しむのは駄目ですね」
「私がおじゃましてるんだけどね。それよりも、私の相手をしてくれるなら何する?」
さっきまでの拗ねた顔はどこに行ったのか、ニコニコした木井さんが俺に擦り寄って来る。
「普通に話してても楽しいですけど、逆に木井さんは何かやりたいこととかありますか?」
「んー、私も強一くんとお話してるだけで楽しいけど、せっかくの夏休みなんだからそれっぽいこともしたい」
木井さんが顎に手を当てて唸り出す。
「夏休みっぽいことってなんですかね? 夏休みが初めてなので俺にはわからないんですよね」
「実は私も詳しくない。夏にやることぐらいはなんとなくわかるけど、やったことはないし、とりあえず挙げてく?」
「そうですね」
俺は学校に持っていってる鞄から筆箱と紙を取り出してローテーブルに置いた。
「紙ってあたりがいいね」
「高校生ならスマホにメモなんでしょうけど、俺は持ってないですし」
「こっちのが二人で考えてる感あっていいよ。じゃあ書くのは強一くんで、提案が私ね」
「書くのがめんどくさいだけですよね?」
「なんのことかな? まずはねー」
俺は提案できないのだから割り振りに文句はない。
だけどこのとぼけた顔が少し腹立つ。
可愛いけど。
「あの、そんなにジッと見ないで欲しいです……」
「すいません、可愛かったもので」
「なんで少し怒ってるのさ!」
「別に勝手に決められたのに理不尽に拗ねて、でも木井さんの表情は可愛いから複雑な気持ちになっただけですけど?」
「ちゃんと説明しないでよろしい。それに怒らないでよ……」
木井さんがしょぼんとしてしまう。
別に怒ったつもりはないけど、悪いことをした。
「すいません。ちょっとはしゃいでるのかもしれません」
「はしゃいでる?」
「初めての夏休みを、初めてできた友達と一緒に過ごせることにです」
嘘は言ってない。
はしゃいでいるのかは自分ではよくわからないけど、昨日の夜からずっとわくわくしてたのは事実だ。
木井さんの都合が悪くならなければ夏休みの間はずっと一緒に居られるのだから。
「強一くんはずるいよね。駄目だ、ニマニマしちゃう」
「可愛いからいいですよ」
「うるさいの。それと可愛い禁止」
「無理です」
「キッパリ断らないでよ。せめて一日一回までとか」
「無理です」
俺だって木井さんの頼みなら叶えたい。
だけどこればっかりは仕方ないのだ。
勝手に口から出ていくのだから。
「じゃ、じゃあ、何か勝負しよ。それで私が勝ったらその日は言わないで」
「普通に嫌なんですけど?」
「負けるのが怖いの?」
「俺にメリットないじゃないですか。なんですか、勝ったらその日はずっと耳元で『可愛い』って言い続けていいんですか?」
「駄目です」
それなら俺に勝負を受ける理由はない。
そもそも俺が『可愛い』と言うのは木井さんが可愛いからで、俺は何も悪くない。
「じゃあ強一くんが勝ったらなんでも一個だけ言うこと聞いてあげる」
「それは耳元で『可愛い』を言い続けていいと?」
「それ楽しいの?」
「特には?」
耳元で囁くこと自体は楽しくはない。
だけどそれで木井さんが照れてくれるのなら話は変わる。
まあそれなら普段と変わらないから頼むほどのことでもないのだけど。
「もしかして私に頼みたいことがない?」
「ないこともないですけど、ほんとに何でもですか?」
「お、おう。あれだからね、私と強一くんはまだ高校生だから、そのね、そういうのは駄目だよ? べ、別に嫌とかじゃなくてね、そう、責任、責任とかあるからね、怖いとかでもないからね?」
「何言ってるんですか?」
木井さんが早口で何かを説明してるけど、正直意味がわからない。
「そういうのってどういうのですか?」
「うっ、純粋な眼差し。これじゃ私がえっちな子みたいじゃないか……」
「あ、そういうのってそういうのですか」
やっと意味がわかった。
さすがにそこまで言ってくれれば俺でもわかる。
「木井さんってほんとにむっつりってやつなんですか?」
「どこでそんな言葉覚えたの!」
「病院って色んな人が居るので、嫌でも色んな言葉を耳にしちゃうんですよ」
同年代の人が少ないとはいえ、ゼロではない。
それにそういうことをお見舞いの人と話してる人もいないわけではない。
だから俺は偏った知識なら持ち合わせている。
「なのに夏に何をやるのかは知らないっていう」
「強一くんの方がむっつりさんなんじゃないの?」
「そうなんですかね。あんまり意味はわかってないんですよね」
「わ、私も意味はわからないんだけどね?」
木井さんが慌てた様子で言う。
別に俺は木井さんがむっつりだろうとなんだろうと嫌うことはないのだけど。
「そ、そんなことより夏の予定だよ。夏と言えば海とプールなんだろうけど」
「俺が無理ですね。木井さんが遊んでるのを眺めることはできますけど」
「それじゃ意味ないよ。で、でも、強一くんが私の水着姿をどうしても見たいって言うなら……」
「ここで見せてくれるんですか?」
「……見たい?」
木井さんが丸くなって顔だけ俺の方に向けて弱々しく聞いてくる。
「今の木井さんが見られて満足です。正直水着って見たことないから想像もできないですし」
このうずくまり木井さんを超えるだけの魅力があるなら考えるけど、わざわざ俺に見せる為だけに水着姿になる必要もない。
そのままで十分可愛いのだから。
「……わかった。じゃあ次だね」
木井さんが俺の顔をジッと見つめてから紙に視線を戻す。
紙には俺が『海』と『プール』と書いて、隣に三角マークを書いた。
「他だとハイキングとかの山関係だけど、これも無理だね。私がやだ」
「俺に気を使わなくていいですからね?」
「使ってないよ。夏にわざわざ山登りなんてしたくないの。暑いし」
どうやらほんとに嫌そうだ。
一応思いついたから言ってみただけで、木井さんも嫌ならやる必要はない。
俺は紙に『山登り』と書いて、隣にバツマークを書く。
「後はお祭りとか花火大会?」
「人混みですか……」
海や山に比べたら俺でも行けそうだけど、人がたくさん居るとなると、それだけで疲れそうで、まだ体力の少ない俺には厳しそうだ。
「私も人混みは嫌だから大丈夫だよ」
「でもこれは候補に入れておきましょう。俺の体力が付けばなんとかなるかもですし」
「いいの?」
「木井さんが行きたくないなら大丈夫ですけど」
「ううん、強一くんとなら行きたい」
木井さんが笑顔で言うものだから少し固まってしまった。
木井さんに「どうしたの?」と心配されてしまったので「なんでもないです」と答えて紙に『お祭り、花火大会』と書いて、隣に丸マークを書く。
「でもそうなると普段は結局体力作りのお散歩かな?」
「そうですね。毎日少しずつ距離を増やしていきましょう。木井さんが良ければなんですけど」
「強一くん、それやめよ」
「はい?」
「その私さえ良ければってやつ。私は強一くんの為ならなんでもするからね? まだ私のこと信用できない?」
どうやら俺は木井さんを大切に思いすぎて木井さんの気持ちを無視していたようだ。
「すいません。俺と一緒に散歩に行ってください」
「うん! 二人で絶対にお祭り行こうね」
「そうですね。それじゃあ」
俺は紙に『散歩』と書いて、隣に二重丸のマークを書く。
最重要課題が決まった。
「あ」
「どうしたの?」
「散歩以上に大事なことが」
「なになに?」
木井さんがワクワクした表情で俺の手元を覗き込む。
俺はそこに『夏休みの宿題』と書いて、花丸マークを書く。
「……」
「木井さん、絶望した顔をしないでください。いいですか? こういうのは後に取っておくと絶対にめんどくさいんです。コツコツやっていれば短い時間で終わります」
その分日数はかかるけど、焦りながら最後の日に全てやるよりかは絶対に楽だ。
「強一くん」
「なんですか?」
「楽しい話の後に辛い話は酷だよ」
「俺は木井さんとなら宿題でも楽しいんですけど、俺じゃあ木井さんの辛さを解消できませんよね……」
所詮俺は宿題の辛さには勝てないただの友達に過ぎない。
俺は木井さんと一緒ならどんなことでも楽しいけど、木井さんは俺と一緒程度のことでは駄目なようだ。
わかってはいたけど、ちょっと悲しい。
「強一くんのおばかさんめ!」
木井さんに頬を引っ張られた。
「にゃんれふは?」
「あ、可愛い。じゃなくて、私だって強一くんと一緒ならどんなことでも楽しいもん。ただ、楽しいと楽しいの後に楽しいと辛いの組み合わせだったから嫌だっただけだもん。それでも楽しいの方が大きいからいいんだもん!」
木井さんが俺と頬をふにふにといじりながら言う。
なんだかとても楽しそうに見える。
「強一くんのほっぺた可愛い」
「ろういういみれふは?」
「うん、可愛い。可愛いからもうちょっと続けるね」
よくわからないけど、木井さんが楽しそうなのでそのまま木井さんの好きにしてもらうことにした。
それから約一時間ぐらい木井さんは俺の頬で遊び続けた。
結局なにかをしようと考えなくても、こういうどうでもいいことで時間を潰せるのだから気にする必要もなかったのかもしれない。
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