第13話 初めての手

「さて強一きょういちくん、どこか行きたいところはあるかい?」


「あると思いますか?」


「ない!」


 夏休み前最後の学校が終わり、木井きいさんとうちに帰りながらどこに行こうかと話している。


 正直今まで病院の中ばかりで生活していたので、生まれも育ちもこの街だけど、ここら辺に何があるかなんて知らない。


 それにいくら少しの運動が許されたからといっても、まだそんなに遠くへは行けない。


「自分でもそう思ってますけど、そんな自信満々に言われると腹立ちますね」


「怒った……?」


「しゅんとしないでください。あんまり可愛いところを見せると、男の人が寄って来ますよ」


 木井さんはそのままでも可愛いのに、弱々しくなったら余計に可愛く見える。


 無性に頭を撫でてやりたい気持ちをため息で誤魔化す。


「怒ってない……?」


「怒ってませんよ。でもあんまり『可愛い』を出さないでください」


「強一くんが独り占めしたいから?」


「それもありますけど、俺じゃ木井さんを守り切れる自信がないので」


 そりゃあできるなら木井さんの可愛いところは俺だけが見ていたいが、そんな身勝手なことは望まない。


 だから木井さんが『可愛い』を出してしまうのを止めることはできない。


「もう少し体力と力があれば良かったんですけど」


「強一くんはあれだよね、私を照れさせるのが趣味なんだ」


 木井さんから謎の拳を右腕に受ける。


 なぜか木井さんの顔が赤い。


「趣味。木井さんをからかうのは趣味かもしれません」


「そんな趣味捨ててしまえ!」


 木井さんから少し強めの拳を受ける。


 からかうのが駄目なことなのはわかっているのだけど、木井さんがいい反応をしてくれるからやめられない。


「生まれて初めてできた趣味なんですよ。今までは趣味とか言ってる余裕もなかったですから。でも、木井さんが嫌なら……」


「……ずるい。そんなこと言われたら何も言えないじゃん」


 木井さんがため息をつきながら言う。


 木井さんの優しさに漬け込んでいることに少し罪悪感を覚えるが、木井さんをからかうことが生きがいの俺はからかうことをやめるということは、死と同義だ。


「優しい木井さんが大好きです」


「ふんだ、からかってるがわかってるから照れてあげないんだ」


「……本心なんだけど」


「え……え!?」


 木井さんが俺の顔を二度見して、みるみる顔を赤くする。


 やはり反応がいい。


 俺が笑顔を向けると、気づいたようで俺の腕への攻撃が強くなった。


「そうやって女心を弄ぶ強一くんには罰を与えてやる!」


「何をしてくれるんですか?」


「そうやって余裕でいられるのも今のうちだからね」


「それで何をしてくれるんですか?」


「……今日のところはこれぐらいで勘弁してあげよう」


 どうやら何も思いつかなかったようだ。


 だけどチラチラと俺の手を見ていたのは気になる。


「俺の腕を殴り足りなかったですか?」


「私はそんなに酷い子じゃないもん!」


「知ってます。木井さんみたいな優しい人を俺は知りません」


 殴り足りなくはないと言っていたけど、嘘だったのか、木井さんがまたも俺の腕に拳をポスポスしてくる。


 まあ俺はそもそも木井さん以外の人のことを詳しく知らないのだけど。


「それで結局どこに行きますか? 俺としては木井さんさえ居ればどこでもいいんですけど」


「強一くんはすぐそういうことを言う。それが本心なのがわかっちゃうようになった私も嫌だ」


「なんでですか?」


 俺が木井さんのことを良く思っているのがわかるのがなぜ嫌なのか。


 俺ごときにそんな感情を向けられても困るということなら気をつけるけど、多分無理だから諦めて欲しい。


「勘違いしちゃうでしょ。いいの? 私が強一くんのこと男の子として好きになって、告白したりしても?」


「それは困りますね」


 有り得ないことではあるけど、もしそんなことになったら断れるか自信がない。


 もしも断れずに付き合ってしまったら、結果的に木井さんを困らせることになる。


 いくら調子が良くなってるとはいえ、俺の余命はまだ変わっていないのだから。


「木井さん?」


 一人で色々と考えていたら、隣の木井さんが項垂れていた。


「いや、気にしないで。勝手に告白みたいなこと言って、フラれたのを勝手にショック受けてるだけだから」


「木井さんと付き合えたらとても楽しいでしょうね」


「慰めはいらないよ! でもありがとう!」


 木井さんの機嫌が少し良くなったようで、笑顔を向けてくれた。


 別に慰めではないけど、多分そういうことにしておいた方がいい気がしたので、笑顔を返しておいた。


「強一くんの笑顔は可愛いね」


「それはフリですか?」


「照れなくてもいいのに」


「いや、比べ物にならない可愛さの笑顔を持つ木井さんが言うとただの嫌味ですよ?」


 木井さんが俯きながら俺の腕を叩く。


 反抗なのはわかるのだけど、そろそろ痛い。


「その悪さをする可愛い手を拝借しても?」


「え?」


「いいや、するから」


 俺はそう言って木井さんの小さくてひんやりした、可愛い女の子の手を握る。


手はひんやりしてるのに、繋いだ俺は内側からあったかくなるのは謎だ。


「木井さんは手も可愛いんですね」


「……」


 木井さんが驚いたように繋がった手を見て固まった。


 どうしたのだろうか。


「あ、嫌でした? すいません、ちょっと鬱陶しかったので」


 いきなり俺なんかに手を握られたのが嫌だったろうから手を離そうとしたら、なぜかしっかりと手を握り返された。


「鬱陶しいは失礼じゃないかな……?」


「言葉のあやです。それよりいいんですか?」


「だ、だって、強一くんは私と手を繋ぎたいんでしょ?」


「それはまあ」


 もしも痣でもできて、それを母さんや担当医に見られでもしたら問題になる。


 だから俺としては見てて可愛らしいからいいのだけど、こうして無理やり止めるしかない。


 だけどなぜか木井さんの顔はみるみる赤くなっていく。


「どうしたんですか?」


「なんでもない。強一くんがずるいだけ」


「意味がわかりませんけど?」


 木井さんが意味のわからないことを言い出すのは今に始まったことではないから別にいいけど、そろそろ理不尽のお返しをしたい。


 と言っても、代わりに可愛いを貰っているから強くは言えないのだけど。


「まあいいです。それよりもどこに行くんですか?」


 これはそもそも木井さんへのご褒美のお出かけだ。


 俺はこうしてただ歩いて木井さんと話してるだけで楽しいけど、木井さんのしたいことをしなければご褒美にならない。


「この状態でお出かけなんてしたらそれこそデートじゃないですか……」


「はい?」


「なんでもないよ! とりあえずは歩こ。強一くんが疲れる前には帰れるぐらいのところを」


 木井さんが何を言ったのかは聞こえなかったけど、とりあえずの目的は決まって良かった。


 結局歩くだけだけど、木井さんがそれを望むなら俺はそれを叶えるだけだ。


「どこかに行くにしてもまずは体力付けないとね」


「すいません、木井さんと出かけられるように体力付けます」


「いつか泊まりがけの旅行とかしちゃう?」


 木井さんがニマニマしながら言う。


「夢みたいなことですけど、いつかできたらいいですね」


 今の俺が遠出してどこかに泊まるなんてことは絶対にできない。


 だけど何かの奇跡が起きて、俺の体が良くなったらそんなこともできるかもしれない。


 本当に夢みたいなことだけど。


「俺にも『夢』ができました。そういえば……木井さん?」


 木井さんがまたも俯いて固まっている。


「……強一くんのばか」


「なんか最近そればっかりですね。可愛いからいいですけど」


『ばか』と言われて喜ぶのは俺ぐらいなものだろうか。


 いや、この木井さんから言われる『ばか』を聞いて喜ばない人なんていないはずだ。


 それだけの可愛さがある。


 まあそう言うと木井さんは更に俯いてしまうから可愛い顔は見れないのがたまきずなのだけど。


 そんなことを考えながら、固まる木井さんが動き出すのを静かに眺めて待った。

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