【短編】【朗読推奨】その日のアンビバレンスはよく眠る

雨宮崎

【短編】【朗読推奨】その日のアンビバレンスはよく眠る。

 

 例えば人と人とが分かり合う瞬間というものは、傍から見ればいまいち理解しがたい光景に見える。


 その場面が複雑に見えれば見えるほど、あるいはシュールリアリスティックに見えれば見えるほど、彼らの間ではとても深く溶け合っていたりする。




「どうしてもこの高校に入りたかったから。でも、寮暮らしなんて死んでも嫌だから、無理して親に頼んで恐ろしく安いアパートで一人暮らしをさせてもらったの」


 そう語る彼女の信念に、僕は関心しないわけにはいかなかった。


 僕らの通う私立高校は、学費が高いことで有名であり、そのぶん最新の設備を導入していた。


 僕はともかく、彼女の多忙ぶりは学園でも有名で、週6回のアルバイトに、ネット記事作成の内職、それと同時に学業もこなしている。


 その姿に僕は関心しないわけにはいかなかった。


 生まれてこのかた、働いたこともなければ、故郷から出たこともない僕にとって、彼女の存在はおおよそ同い年に見えないほどたくましく見えた。

 

 彼女は放課後になると、学校の近くのスーパーで食材を買い、僕のいる廃部寸前の料理部の部室を訪れた。


 そしてそのまま料理を始める。


「家のキッチンが壊れてて。新しいキッチンに改装するより、家賃を月5千円安くする方を選んだの」

 

「そんなに料理が好きなら、料理部の部室を使うといいよ。冷蔵庫もあるし、ガスも通っている。最新の設備がそろっているからね」  


 僕はそう提案した。 

 

 何を隠そう、僕は料理部の部員で、しかも部長をしている。


 どういういきさつでそういう話になったのかはよく覚えていない。


 同じクラスで、たぶんたまたま二人で話す機会に恵まれたのだ。


 そうしてその日から彼女が料理部の部室に来るようになった。


「今日は何を作るんだい?」


「今日はチンジャオロースと卵スープと春巻き」


「ならピーマンの種抜きをしておくよ」



 かつてはとても賑わいを見せていた料理部であったが、先輩たちが卒業してしまうと、僕ともうひとりの同級生を残してすっかり誰もいなくなってしまった。


 先輩たちが卒業して、彼らの偉大さにようやく気づく。

 

 僕は必死になって下級生を勧誘したが、結局誰も料理部に入ってこなかった。


 誰もいなくなった料理部で一人途方に暮れていた僕のまえに現れたのが、彼女だったわけだ。


「ここのキッチンは広くて使いやすい。シャワーの蛇口だから洗い物がしやすいのもいいね」


「おまけに光熱費もかからない」


「IHじゃなくて、ちゃんとガスを使っているところもいいよね。やっぱちゃんと火を見て料理したいから」


「先代の部長のこだわりだったんだよ」


 彼女とこうやってとりとめのない話をしながら料理する。ささやかな青春だなと僕は思った。


 彼女を料理部に勧誘したかったけれども、しかしその家庭事情を聞くと、おおよそ部活ができるような余裕もないことがよくわかった。


 まぁ、それもしょうがない。


 たしかに部員は僕ひとりになってしまったけれど、彼女がこうやって家庭科室に来てくれるのは僕にとってはありがたい。


 やはりひとりは寂しい。


 料理部は僕の代で終わりかもしれない。


 でも、だからといって僕が自らこの部を放棄することはできない。


 せめて僕がその最後を見届けないと。


 僕はそういう使命感を背負っていたのかもしれない。 


「ファミレスとコンビニと家庭教師のバイト、それから男性アイドルの応援ウェブ記事を書いているの」


「大変そうだね」


「わたしとしてはどれも気楽にやってるつもり。でも一番たのしいのは、ここに来て料理を作ることかな」


「ここは好きなだけ使うといいよ」


「ありがとう」


 そんなふうにして日常が流れていく。 

 

 放課後、部室で僕は一人、料理の本を眺めていると、彼女がやってきて軽く挨拶を交わし、それから二人で料理の準備を始める。


 本日の献立を聞き、それに合わせた食材の切り方を簡単に話し合い、食器を並べ、工程が少なく済むように打ち合わせをする。


 それが毎日のように続くと、次第にお互いの考えていることがわかってきて、わざわざ会話をしなくてもなんとなく段取りがわかってくるようになっていった。


 僕は料理が好きだったし、彼女も料理が好きだった。


 僕らは料理を通してたぶん会話していたのだろう。


 そうやってできた料理を、僕らは仲良く分け合って食べた。


そんなある日、僕は彼女に質問してみた。


「どうして君はいつも料理をするのかな」


 その日の献立は、マヨネーズパスタとブロッコリーのシラス和えだった。


「なにが?」


「いつも疑問に思っていたんだ。べつに安い弁当を買ってそれを食べてもいいわけだし、その方が安上がりじゃないかなって」


 手早く洗い物を終え、ブロッコリーが煮え切るのを僕らは二人で眺めていた。


「わたし、料理作るの好きなんだもん」


「君は偉いよ。自分の時間を削ってまで料理を作るんだから。僕も料理は好きだけど、他にもやりたいことがある。本とかゲームとか、他にもいろいろ」


「でもそれだけじゃないよ。わたしは、とある約束をしたの」


「約束?」


「そう約束」


 そういって彼女は、それ以上を語らなかった。


 いったい誰とどんな約束をしたのか僕は聞きたかった。


 しかし、そこでちょうどブロッコリーの頃合いがやってきた。

 

 話はそこで一時中断し、話題は流れてしまった。

 

 それから何日か経った。


 その日はひどい雨降りで、テレビのニュースでは地盤がゆるい地域の土砂災害を報道していた。


 放課後になると彼女は家庭科室にやってきた。


 セーラー服が雨に濡れて、彼女のほっそりとした背中に張り付き、中の下着は見えそうになっている。


 僕は何度もそれを盗み見たけど、それ以上のことはなるべく考えないことにした。


 その日は冷蔵庫に余っている野菜を消化しようという話になり、献立は残り野菜ごちゃまぜ炒めに決定した。


「料理酒は煮物料理によく使うけど、でもこういう野菜炒めとかに使うのも全然アリなのよ」


 料理が完成するころには、背中に張り付いたセーラ服がすっかり乾いており、彼女の背中は、いつもの背中になっていた。

 

 僕は出来上がったばかりの野菜炒めをひとくち味見してみた。


「たしかにコクが出てて美味しい」


「でしょ」


 テーブルに並べて、僕らはごちゃまぜ野菜炒めを食べた。


 野菜はまんべんなく火が通っており、焼きすぎず柔らかすぎない絶妙な歯ごたえになっており、食べる方にもそれなりの礼儀と心遣いを要求してくるような、繊細な味わいがそこにはあった。


 朝からなりやまない雨はますます強くなっていき、不規則なリズムで急かすように窓を叩いた。

 

 窓の外は、この時期の、この時間帯にしては恐ろしく薄暗くなっていた。


 まるで僕ら二人が、この室内に取り残されて助けを待っているように、部室の明かりが煌々と輝いていた。


 そういう親密さもあってか、僕は横で同じ料理を食べている彼女に尋ねた


「このあいだ言っていた、約束っていったい誰との約束なの?」

 

 その時の僕は、そうやってできた親密さもあったが、それでもなるべくセーラー服の背中について考えないようにしていた。

 

「聞きたい?」

 

 彼女がもったいぶった笑顔でこちらを向く。


「うん。聞きたい」


「いいよ。なら、傘を持ってきてくれる?」


「え?」


 僕は一瞬、意味がわからなかった。


 傘、といったのだろうか。


「傘って?」


「君の傘。ほら、そこの入口に立てかけてある傘」


 たしかに振り向くと、入口の引き戸の横に大きな傘が立てかけてあった。


 それは僕が家から持ってきた傘であり、やや大きめの紺色で、それはぜったいに無くしたりするんじゃないと母に言われ、わざわざ部室まで持ってきていたのである。


「なんで、傘なの?」


「いいから持ってきて」


 僕はさっぱり意味がわからなかったが、とりあえず彼女の言うとおりに傘を取りにいった。


「持ってきたけど?」


 彼女に傘を手渡した。


 すると彼女がその場でバサっと傘を開いた。


 柄を肩にかけ、まるで小雨を凌いでいるかのように穏やかに佇んでいる。


 その姿はおおよそシュールリアリスティックに見え、無名の画家が描いたテーマも定かではない絵画を現実の世界に貼り付けたような違和感があった。


 いったい彼女が何をしたいのかわからず、僕はただ黙っていた。


「こっちにきて」


 彼女はそういって、僕の袖をつかみ、傘の下へと引き寄せた。


 一つの傘の下、僕と彼女は密着していた。


 僕はわけもわからず困惑した。

 

 もちろん、セーラー服の背中は、すぐそこにあった。

 

「わたしが約束したのは、自分となの」


「自分?」


「そう、自分」



 僕は辛抱強く彼女の説明を待った。


 なぜだか、彼女の話をもっと聞きたいと思った。


 室内で不自然に差しは傘の中で、彼女はゆっくりと語りだした。


「わたしの中にある、すごく怠け者でだらしなくて、なんでもすぐに放り出してしまう自分と、もうひとりのしっかり者で完璧主義なわたし。その二人はすごく仲が悪くて、でも本当は理解しあいたいとも思っている」


「君のなかに、二つの人格があるということ?」


「キミの中にもいるんだよ?だらしない自分と、自制したい自分が」


「よくわからないな」


「それはまだお互いを知らないだけ。複数の自分ってのは、どんな人にでもあるものなの。それが人間なの」


 つまり彼女のなかには、複数の人格のようなものがいる。


 それは僕の中にもいる。


 そしてそれは、人間が人間たらしめている本質だと彼女は言いたいのだろうか。


「わたしの中にいる、二人の仲の悪いわたし。わかり合いたいと思ってるくせに、いつもケンカばかりする。だから彼らはね、とある約束をしたの。どんなことがあっても、料理だけはちゃんと作って食べようって。そうすれば仲の悪い二人は、とたんに仲良くなって二人で並んで眠っちゃうの」


 その説明は、僕にはよくわからなかった。


 発想が飛躍していて、ある前提をあらかじめわかっていないと理解できない、暗号のような類の話に思えた。


「それじゃあ、今の傘を差している君は誰なんだい?」


 僕はとりあえず理解することを保留し、別の角度で話を切り出した。


「今のわたしは、こうして好きな人と同じ傘に入っていたいっていうわたしかな。君は?」


 そう聞かれて僕は、少し考えた。


 もしかしたら僕は、理解しあうということはこういうことなのかと思い始めていた。


 わけのわからない点と点がいくつも展開され、ぼんやりと輪郭が見えてくる。


 やがてそれははっきりとした線として浮かびあがり、次第に面になっていく。


 そして大きな『理解』が見えてくるのだけれども、ひとつひとつの『理解』の欠片の意味を僕は知らない。


 それはきっと、これからわかるようになるかもしれないし、永遠にわからないのかもしれない。


 だからこそ、分かり合うということは、たぶん、ものすごく奇跡に近いんだと思う。


「今の僕は、なんだか話がよくわからなくて困惑しているけど、なんだか少しずつ君の言いたいことがわかってきて、外の強い雨になんだか親密な雰囲気を覚えながらも、キミとこうやって同じ傘に入れることが幸せな僕、なのかもしれない」


 僕はそう彼女の目を見ていった。


 それは僕がいま思っていることだった。


 きっと彼女は『理解』の欠片を散りばめることで、僕に思いを伝えたかったのかもしれない。


 だから僕も、自分が持っている『理解』のかけらを彼女に見せることにした。


 傘を抱きしめるように持つ彼女の姿は、理解というものから遠く離れた、とらえがたく説明しづらい可愛さであふれていた。


「ならその『わたしたち』も、約束をしようよ」


「どんな約束?」


「どんなことがあっても、二人で料理を作って食べる」


「そのあとは?」


「晴れていても、曇っていても、そしてひどい雨でも。二人で同じ傘の下で並んで歩く」


「それから?」


「ずっとずっと、一緒にいる」


「わかった。約束するよ」


 そう約束したものの、僕はおそらく話していることの半分も理解していないだろう。


 けれども例えば、人と人とが理解しあう瞬間というものは、ある種理解しがたい現象なのかもしれない。



 それが他人の目からは複雑に見えれば見えるほど、僕たちはたぶん深く結ばれているのだろうと思う。










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