第2話

 朝日より先に目を覚ます。

 カーテンと窓を開けて、森の空気を胸いっぱいに吸い込む。


 18年間繰り返してきたルーティーン。

 私の一日は、これがないと始まらない。


 そろそろマイナスイオンの取りすぎで体が電子になるかもしれない、なんて思いながら部屋を出る。


 洗面所で顔を洗い、軽く髪を整えてキッチンへ。

 やっと出てきた太陽に笑いかけて朝食を作る。

 テレビでニュースを流しながら作った料理を平らげて、部屋に戻って服を着る。


 ここまでは理想的なスローライフ。

 23歳のニートにはもったいないほどの人生《ユートピア》だ。




 肩まで伸びた髪を梳かしつつ、時間を確認する。

 6時58分。

 残り2分。


 いつもの準備を済ませ、扉の1m手前に立つ。

 ドアノブはない。

 内側からはただの鉄壁。

 外から私を観察するためのもの。




 チクタクチクタク。

 時計の針が進む。


 1秒、10秒。

 1分が経過して、残り10秒。


 チクタクチクタク。

 時計の針は正確だ。


 チクタクチクタク。

 そろそろ、時計の針より正確な人がやってくる。


 ボォーン。

 7時を知らせる音と共に。


 ジリリリリ。

 ドアベルが鳴らされた。


「どうぞ」


 あどけない声に反応して、鉄扉の小窓が開く。


「…」

「おはようございます」

「…生存を確認。暴走は確認出来ず。対象は安定」


 今日は女か。

 穿つような視線を全身に受けながら、ただそう思った。


「確認事項オールグリーン。帰還する」


 シャッと窓が閉められた。


「…」


 私は人と話すのが得意ではないから、この方が楽だ。

 この方がいいんだ。







 本を開く。

 題名は、「科学のユートピア」。


 今回でこの本を開くのは100回目くらいか。

 もはや序盤だけならそらで言える。


〜〜魔術を科学が凌駕して100年。人類は見果てぬ夢を諦めて、この星を自らの住みやすい世界へと上書きしてきた。

 かつての神秘を蹂躙し、最新の技術でまちづくり。

 息をするのも必死な魔導を眺め、科学は摩天楼の頂上でワイングラス片手に詠っている。

 この世をば、と。

 しかし、それで本当に問題はないのだろうか。

 これからの世界に、魔術は必要ないのだろうか。〜〜


 この本の主張はこうだ。

 曰く、今までの歴史は魔術も科学も両方発展させながら積み上げてきたのだから、今更科学だけに注力するとバランスが崩れる、と。


 わからなくはない主張だが、具体的な魔術の発展方法が書いてない。

 ということは必然、この筆者にはそれがわからないのである。


 近代において、科学が発展した理由は明確だ。


 


 反対に、魔術が発展しないのは、できる人が限られているからだろう。

 魔術は才能の世界だが、科学は勉強さえすれば誰にでもアクセスできる世界。


 きっとこれからも発展するのは科学だけで、魔術は衰退していつかは消える。


 その頃には、私のように呪われた人間も生まれないはず。


 ならば、その未来は明るいと断言できる。

 呪いなんて無い方が良いに決まっているのだから。







 適当にお昼ご飯を済ませて階段を下る。

 現れたるは仰々しい扉。

 開けた先には、除染室によく似た部屋。用途は知らない。


 入ってきた扉は閉めると自動でロックされ、天井からプシューと何かが噴射される。目的はわからない。


 少し待つと噴射が終わり、ロックが解除されるので、入ってきた方と真反対の扉を開く。

 そこにはテニスコート1面分の広さを誇る、トレーニングルームが広がっている。




 軽い準備運動を終え、深呼吸をする。

 脈打つ心臓を宥めたのち、ゆっくりと瞼を下ろす。


 ここは修行場。

 何をしようと、何が起ころうと、誰にも迷惑はかからない。


 だから好き勝手にやれる。




 ──意識を己の内側に集中。


 視覚──オフ。

 聴覚──オフ。

 嗅覚──オフ。

 味覚──オフ。

 触覚──オフ。


 神経が伝えるあらゆる感覚をシャットアウト。


 体内のどこかに渦巻くそれを、感じないようにしつつも、全力で感じ取る。


 五感では掴めないそれを、第六感で掴み取る。


 ───掴んだ。


 そう確信したならば、次にその掴んだものを全身へ送る。


 胴に頭に腕に足に。


 見えず、聞こえず、感じず、けれど、確かにここにある体、ここに存在する自分に、その摩訶不思議なエネルギーを循環させる。




 間を置いて五感を取り戻す。


 目は光を、耳は換気口の音を捉える。

 全身を巡る血流と、もう一つの流れを感じる。


「…よし」


 体内魔力の励起に成功したので、そのまま次の段階に移行。


 ここからは、傍からすれば単なる運動だ。

 違うのは、全身を流れる魔力の感覚。


 自分の一挙手一投足を魔力でカバーする。

 要するに、脳みそが自動で行ってくれる筋肉の動きを、魔力で意識的に再現するということ。

 失敗すれば魔力が暴走して一気に脱力してしまう。


 それだけで済めばまだいいが、油断は大敵だ。

 10年以上練習してはいるものの、少しでも魔力操作を間違えば、最悪内部から、ボカン、である。







 その後、3時間近くトレーニング、というか、筋トレをしたり、ヨガをしたり、魔術を使ったり、などのストレス発散をして部屋を出る。


 幸いなことに、今日も暴走はしなかった。

 体内魔力は残り1割を切り、純粋な体力も、もう底をつきかけている。

 今夜はぐっすり眠れそうだ。


 汗だくの重い体を、そのまま浴室へと連れていき、疲労を取る。

 頭を洗いながら眠りそうになったが、なんとか眠らずに風呂場のタスクをこなし、ダイニングに向かう。


 昼のうちに作っておいた料理を温めて夕飯にし、ぱぱっと平らげた。


 眠気と理性の攻防戦。

 皿は今のうちに洗っておけ派VSそんなの知るかもう寝ます派。


「うぅ…」


 結果は理性の辛勝。


 残り少ないタスクを終わらせるため、止まりそうな思考と体を動かす。

 しかし、それだけではまだ眠気の残党がゲリラ戦を展開してくるので、さらに口も動かした。


「…魔力は、体力と同じ。

 日頃使わないとどんどん無くなっていく。

 …尽きると、眩暈がしたり、体が動かなくなったり、吐き気がしたりして…最後には気絶する……すぴぃ…」


 口から出てきたのは眠気の言い訳だった。

 誰も聞く人はいないのに、誰に言っているのだろう。


「…終わりまひた」


 誰ともなく報告し、寝室に向かった。


 一転して敗色濃厚な理性が、食べてすぐ寝ると気持ち悪くなるぞ、なんて忠告してくれるも、

 もはやその声は届かない。


「おやすみ…なさい」


 ベッドに潜り込んだ私は、やはり誰ともなしに呟いた。







 朝日より先に目を覚ます。

 カーテンと窓を開けて、森の空気を胸いっぱいに吸い込む。


「……?」


 吸い込んだ空気の中に、普段とは違う匂いが混ざっていたような気がして、ほんの一瞬首を傾げる。


 だが、まだ半分夢の中にいるのだろうと、気にせず部屋を出た。


 洗面所で顔を洗い、軽く髪を整えてキッチンへ。

 やっと出てきた太陽に笑いかけて朝食を作る。

 テレビでニュースを流し…


「…あれ?」


 テレビは砂嵐しか流さない。

 ニュースはおろか、他の番組でさえ、不愉快な音声と画面のノイズのみを映している。

 いや、テレビが壊れただけなんだろうけど。


「この前買い替えたばっかりなのに…」


 仕方なく静かな朝食を過ごし、準備を始める。

 歯を磨いて、髪を梳かし、服を着る。


 いつものように扉の前に待機。

 時刻は6時59分。

 にも関わらず、まだエンジン音が聞こえない。

 今朝はニュースを見ていなかったのに、聞き逃したのだろうか。


「…」


 チクタクチクタク。

 時が流れる。


 チクタクチクタク。

 人が来ている気配はない。


 ボォーン。


「…」


 チクタクチクタク。


 チクタクチクタク。


「…うーん、何かあったのかしら」


 などと独りごつ。

 まだ7時1分で、もしかしたらただの遅刻かもしれない。

 けれど、たったそれだけのミスでも、訝しむには充分なのだ。


 だって、これまでの約18年間、この確認作業が遅れたことなどなかったのだから。




 原因を推理してみる。

 例えば、大嵐で道が崩れた。

 あり得ない。

 ここ1週間はずっと快晴だ。

 道には何の変化もないはず。


 あるいは車に不備があった。

 これもあり得ない。

 彼らは車を、少なくとも二桁は保有している。

 それを日々ローテーションで使っているのだ。

 たかが1台壊れた程度でここに来れないなんておかしい。


 ここに来る途中で事故にあったとか?

 でもそんなニュースは…


「あ」


 そういえばテレビ番組が見れなくなっていた。あれも何かしらの関係があるのだろうか。


「うーん」


 この家に、外部への連絡手段はない。

 出入り口もない。窓を除けば。

 しかし窓から抜け出せば警報が鳴り響くシステムになっているので、実質出られないようなものだ。


 それに、ここを出れば、危険に晒されるのは自分ではなく周囲の人間だ。

 できる限りここからは出ない方がいい。


 だけれども、インターネットに接続する機器なんてないし、ラジオだってない。


 テレビが機能しない限り、私は外部の情報を得ることができないのである。


 私はいったいどうすべきなのか。


「…」


 災害が起きたのか、戦争が起きたのか、はたまた怪獣が起きたのか、いずれにせよ、私にできることはない。


 幸いなことにライフラインはまだ使えるので、しばらく様子を見ようじゃないか。

 まだ、たまたまテレビが壊れて、たまたま今日の観察員が遅刻しただけの可能性もある。

 というか、現実的に見て、そちらの可能性の方が大きかろう。


 だが、どうしてか。

 胸騒ぎがする。

 予感だとか女の勘だとか、そういう不確かなものに過ぎないはずなのに、今日の私にはそれが否定できない。

 いつもは理性が働いてくれるのに、ボイコットだろうか。


 とりあえず日課をこなして心を落ち着けるとしよう。

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