第14話-2

 キプチャク草原は、中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの歴史的呼称である。モンゴル帝国のバトゥ・ウルスがキプチャク草原に拡大してここを本拠地とした政権を通称して「キプチャク・ハン国」と呼ぶことになる。


 ヴォルガ・ブルガールへのモンゴル帝国の侵攻により、ビリャルやブルガールいった都市は陥落し、キプチャク草原のポロヴェツ人は包囲殲滅され、カスピ海から北カフカスまでの諸民族が征服・帰順された。


 敵対した都市に対するモンゴル軍の対応は徹底していた。


 陥落した都市の住民は女子供から老人に至るまでことごとく虐殺され、財物は略奪し尽くされ、建物は完全に破壊された。

 この恐怖政策はモンゴル軍の強さの一つでもあった。虐殺と破壊に怯え、モンゴルに服従と貢納を約束し、これを免れた都市もあったからだ。


 キプチャク征服後、バトゥはウラジーミルのウラジーミル・スーズダリ大公国大公ユーリーⅡ世の宮廷に使者を派遣し、モンゴルに服従するよう求めた。


 その一カ月後、モンゴル軍はまずプロンスク公国を陥とし、リャザン公国の首都リャザンへの攻城戦を開始した。六日間に及ぶ激戦の末、リャザンは陥落し、住民は虐殺され、完全に破壊しつくされた。リャザンを流れる川は虐殺された住民の地で赤く染まった。


 ラウラとイゾベルはモンゴル軍を箒に乗って、上空の安全な場所からモンゴル軍を監視していたが、あまりに凄惨せいさんな光景にラウラは胃の内容物がこみあげてくるのを我慢できなかった。


「これ以上無理。ちょっと降ろして」

「ダメだ。奴らに見つかったら同じ目にあうぞ」


「そんなあ」

 ついに、我慢しきれずに箒に乗りながら上空から嘔吐した。一度ならず、二度、三度……胃が空となってもそれは続いた。


 この戦いの知らせを受けたユーリーⅡ世は、諸公の兵力をかき集めるためにウラジーミル大公国の首都ウラジーミルを出てロストフ及びヤロスラヴリを回り、兵を集めた。


 一方、ウラジーミルの町についてはフセヴォロドやムスチスラフら息子に託した。


 その後、コロムナとモスクワを焼き払ったモンゴル軍は、ウラジーミルに対する攻城戦に着手した。「ウラジーミル攻囲戦」である。


 モンゴル軍は、トレビュシェットで巨大な石を城門めがけて発射する。ウラジーミルの兵たちは弓で必死に応戦する。


 三日後、ウラジーミルの城門は轟音を立てて崩れ落ちた。町になだれ込んできたモンゴル軍に兵士たちは次々と倒されていく。


 ユーリーⅡ世の家族は、生神女就寝大聖堂に立てこもり抵抗を続けていた。王の守備隊だけあって抵抗は激しく、しびれを切らしたモンゴル軍は大聖堂に火を放った。

 これにより守備隊に隙が生じ、一角が崩されてしまう。大聖堂になだれ込んでくるモンゴル軍は、中の守備兵たちを蹴散らした。


 ユーリーⅡ世の家族はたちまち捕まった。長男フセヴォロド、次男ムスチスラフと三男ウラジーミルら男は有無を言わさず串刺しにされ殺された。ユーリーⅡ世の妻アガフィヤ、息子の嫁たち、末娘のフェオドラは強姦されたうえ刺し殺された。


 ラウラとイゾベルはモンゴル軍を箒に乗って、上空の安全な場所からモンゴル軍を見ていたが、ラウラは同情のあまり泣き出してしまった。


 ──フェオドラなど、まだ成人前の少女なのに……。


 そのときイゾベルが叫んだ。


「おい。あのフェオドラってやつ、まだ生きてないか? 微かに動いたように見えたが……」

「私、助けに行ってくる。下に降ろして」


「火も回ってきているし、いつモンゴル軍が来るかもしれない。それでも行くのか?」

「行くわ」とラウラは力強く答えた。


「わかった」と言うと、イゾベルは素早くモンゴル軍の死角となる場所に箒を降ろした。建物には既に火が相当に回っている。


「頭から水をかけて!」

「わかった」

 イゾベルは水魔法でラウラを水浸しにした。


 次の瞬間、ラウラは目にも留まらない速さで大聖堂に入っていった。その様子を不安な気持ちで見守るイゾベル。


 しばらくして、ラウラがフェオドラを抱えて走り出てきた。フェオドラを地面に置くと、煙を吸ったらしく、激しく咳込んでいる。イゾベルはフェオドラの胸に耳を付けて心音を聞いてみる。


「ダメだ。心臓が止まっている」

「そんな……」

 悲嘆にくれるラウラ。


 ──こんなとき、閣下ならどうする?


 ラウラは、フェルディナントから習った心臓マッサージのことを思い出した。

「どいて。まだあきらめない」

 ラウラは必死に心臓マッサージを行った。そして心音と呼吸を確認すること数度……。


「やった! 心臓が動いたわ」

 だが、イゾベルが暗い表情で言った。


「でも、その状態では長く持たないんじゃ」

「イゾベル。回復魔法は使えないの?」


「私は魔女だからね。回復魔法は使えないんだ」

「そんな……」

 ラウラは心のなかで叫んだ。


 ──閣下。助けて!


 その時、目の前にフェルディナントが突然現れた。


「えっ! 閣下!? どうしてここに?」

「ローザがすごいけんまくでやって来て、ラウラがピンチだからすぐに行けと」


「そんなことより、閣下。この娘を今すぐ治してやってください」

「ああ。わかった」


 フェルディナントは素早く娘を観察した。胸に深い刺し傷。着衣は乱れており、股間に血のりがついている。


 ──強姦されたうえ刺されたか。なんてひどいことを。


 フェルディナントが無詠唱でハイヒールの魔法をかけると娘の呼吸は落ち着き、顔には少しだけ赤みがさしてきた。引き続き魔法で免疫を強化しておく。


「閣下。ありがとうございます」

 ラウラが勢いよくフェルディナントに抱きついてきた。


「あっ。こいつ。どさくさ紛れになんてことを」とあきれるイゾベル。


「ちょっと待て。まだこれでは十分ではない。こんな状況とは思わなかったから、何も準備してこなかったんだ。この娘は私が責任を持って治療しておくから、君たちは任務に戻ってくれ」

「了解しました。閣下。大好きです」

 鉄面皮のフェルディナントの表情に、わずかなはにかみが見える。


「ところで、この娘はどこの誰なんだ?」

「彼女はフェオドラ・ユーリエヴナ。ウラジーミル・スーズダリ大公国大公ユーリーⅡ世の末娘です」


「そうか。わかった。では、頼むぞ」

「御意」

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