003:全ては夢の中①
その晩、ピースとスペンサーは向かい合うように設置された合成皮革のソファの上で眠った。
不思議な事に、両者とも寝首を掻かれることは無いだろうと鷹を括っていた。
気にした所でどうしようもない、という諦念も確かにあっただろう。
だが、それよりも彼女達に奇妙な信頼関係を支えているのは、ある種の波長の一致だった。それは直感と言うべきかもしれない。
どうしたって、お互いが相手を悪人だと思えなかったのである。
勿論、ピースは情け容赦無く敵の脳天に鉄筋を打ち込める様な薬物にヤラレた精神設計の持ち主であるし、スペンサーも人の命を犠牲に地位を上げた軍人だ。
とは言え、人の邪悪さ或いは不審さというのは、そう言った言葉だけで言い表せない場所にある。
議事堂を吹っ飛ばす様なテロリストも家に帰れば、子供のやんちゃに困り顔を浮かべる親なのかもしれない。
或いは、国民的英雄と目された将軍は先住民の虐殺で見せた比類ない非情さでその地位を得たのかもしれない。
人はそう単純じゃない。気にし過ぎても杞憂に終わる事が山々だ。
とはいえ、全てが杞憂であると割り切って横になる事は出来ても、スペンサーは意識を手放す事までは出来ていなかった。
今日はあまりに多くの事が有りすぎたのだ。
T-96との交戦。余りに苦しい闘い。敗走。そして行き倒れ、見知らぬ少女に助けられた。
報酬を払うと確約したが、それでも何故、あの時助けてくれたのか、よく分からない。
どうしたって面倒事に巻き込まれるのは分かっていたはずだ。
この全てが危うい世界で暮らす人間は誰だってそういうトラブルを抱え込みたがらないものだ。
スペンサーは今一度、ピースを見た。
薄暗い部屋の中では、1メートル先を見る事も苦労したが、長机一つ挟んだ先のピースの姿は何とか視認できる。
可愛らしい人形の様だ。例え彼女がサイボーグで無くともそう思っただろう。
精一杯に合理的であろうと、その身を無理矢理に捻じ曲げている。
その意味では悲しい。
だが、その健気さは可愛らしくも美しくもある。
そして、同時に余りにも恐ろしい。
そこまでして、生身を機械に、精神を薬に捧げてまで、彼女の手に在るのは余りにも少ない。
歪な破壊兵器と汚染区域のど真ん中にあるちっぽけなガレージだけだ。
思考が堂々巡りを続ける内に、身体は動いていた。
静かにピースの眠るソファへ歩み寄り、彼女の小さな体躯とソファの手摺との間に空いたスペースへ腰を下ろしていた。
すぐ側では、彼女の身体に備わった人工肺の空調音が静かに響いている。
吸う時には低く、吐く時には高く。聞き様によっては、啜り泣いている様に聞こえる。疲れ切った自身の頭がそう勘違いしているだけかもしれない。
義肢の電源は落ちていない様で、ピースが寝返りをうつ。横向きから仰向けに体勢を変える。
どれだけ身体を改造しようと、人間は反射行動から逃れられないらしい。
何処まで行こうと人は人なのだろう。
そのぐらいで変わるなら、遥か昔に恒久の平和は成っている。この小さな少女が斜に構えようと、その可愛らしい仕草を控える事はできない。
訳もなく楽しい気分になり、ピースの端正な顔へ視線を向けた。
窓から注ぐLEDの青白い光が、彼女のシミひとつない完璧な人工皮膚を写し出す。その頬には、薄っすらと跡を引く、一滴の涙が光っていた。
厭に非現実的な衝撃が首筋に走った。
積み上げてきた思考のジェンガを打ち崩される感覚。強烈な既視感。そうだ。初めて前哨基地に配属され、監視塔の頂から第五空白地帯を見渡し覚えたあの感覚だ。
誰しもが体験し、直視出来ない。絶対的無力感。
果たして、彼女を憐憫し助けようとしたのか、自分自身が救いと赦しを求めたのかは定かではない。ただ思わず身体が動いた。
スペンサーはピースの傍に身を横たわらせ、その身を抱きしめる。後先のことなど過りもしなかった。
絶え間ない感情の激流に身を任せ、意識を手放した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます