第17話 毒舌幼馴染と海②
前回までのあらすじをしよう。
毒舌幼馴染と海に来た。⇒雨が降ってきた。⇒毒舌幼馴染と一緒にお泊りすることになった。
…………は?
控えめに言って意味がわからない。なんでこうなってしまったのだろう。
俺はため息を吐いて考え込んだ。
近くに泊まれる場所があったので来てみれば、そこは旅館のような場所だった。料金やばいのではと思ったが、思ったよりも良心的な値段で一安心したのはここだけの秘密である。
広縁に設置されている安楽椅子に座りながらぼんやりと窓の外を眺める。未だに雨脚は強く、締めきった窓の隙間からざあざあと涼し気な音が聞こえてきていた。
旅館ということもあって、部屋は畳&布団である。ベッドというわかりやすい領域がない分、少し気まずい。緩んできた浴衣の帯を適当に締めた。
梨乃と同じタイミングで風呂に入ったのだが、やはり女は長風呂のようで、俺だけが先に部屋に帰ってきてダラダラしているわけである。泊まる予定はなかったので、やることがない。
布団は既に敷いている。布団と布団の距離がやたら近いので梨乃にそのことを言ったらゴミムシを見るような目で睨まれた。なんとも理不尽な話である。睨まれただけで何も言われなかったのが幸いであった。
「これからどうするかが問題だよなぁ……」
幼馴染という関係上、今までも同じ部屋で寝るという経験は何度か体験したことがある。
しかしそれは子供の時の話だし、その時は親や花梨ちゃんも一緒だった。まさか高校生になって二人きりで一緒の部屋に寝泊りするとは思ってもみなかった。
気まずくないと言えば嘘になる。口は悪いが梨乃は美少女なのだ。そんな幼馴染とあの距離で寝る……いや、無理死ぬ。
やはり布団は少しだけ離しておこう。
俺は部屋の中に戻り、布団を数十センチ離した。これで無駄などきどきは回避できる。
俺が安堵のため息を吐き、布団の上に座ったと同時に、部屋のドアが開いた。
「キッショ」
「なんで開口一番シンプルな罵倒なんだよ」
今までずっと風呂に入っていたからか、梨乃の肌は少し赤らんでおり、いつもは感じれない色気が滲み出ている。だぼだぼの浴衣を身に纏った梨乃は何だかとても可愛らしかった。無造作に持つフルーツ牛乳の瓶がその可愛らしさを後押ししているように思えた。
梨乃はフルーツ牛乳の瓶と肩に下げていた小さなハンドバッグを机の上に置いてから俺をじろりと睨む。そしてそのまま流れるような動作で自分の布団を引っ張り俺の布団に近づけた。
「あなた、お風呂から上がるの早すぎじゃない?」
「男なんてそんなもんだろ。逆にお前が長すぎなんじゃないか?」
ごそごそとハンドバッグを漁り、その中からコーヒー牛乳の瓶を取り出した梨乃が、それを無造作にこちらに投げて来た。
「え、あなた男だったの? あまりにも女々しかったからちょっと言動が気持ち悪い女の子かと思ってたわ」
コーヒー牛乳と共に罵声まで投げてくるとは思っていなかったので、礼よりも先に文句が出る。
「思い切り男湯に入っていくの見てただろ」
「男湯のロッカーに潜りにいってたのかと思って」
「そんなキモイことするわけねーだろ」
「雨、止まないわね……」
「聞けよ……。3時まで止まないらしいからな」
「気持ち悪いわね……」
「……。え、それ俺に言ってんの? だとしたらなんでそんな唐突に悪口言われなきゃいけないの俺?」
悪口を言い終わってすっきりしたのか、梨乃は鞄の中から化粧水やらを取り出して自分の顔に塗りたくり始めた。どうでもいいがとても気まずいので洗面所でやってほしい。
手持無沙汰になった俺は、持っていたコーヒー牛乳の蓋を開けた。そして、まだ梨乃に礼を言ってなかったなと思い直し、飲む前に礼を言っておくことにした。
「これ、ありがとな」
「……ん」
まさか俺が素直に礼を言ってくるとは思っていなかったのか、梨乃は肩越しにこちらを振り返り、すぐにぷいと前に向き直ってしまった。まあ、そんなじろじろ見られると恥ずかしいのでありがたいっちゃあありがたい。
▼
「それで、何するんだ」
「寝るに決まってるでしょ」
布団の上に座った梨乃が呆れた目線をこちらに投げかける。心做しかその頬は少し赤い。
梨乃は寝る前の準備を終わらせたのか、既にその脚を布団の中に入れて上半身だけを起き上がらせている。
「逆にあなたは今から何をするつもりだったのかしら? ああ、言わなくてもいいわよ汚らわしい。その下卑た顔つきから想像出来てしまうわ」
「いや、せっかくのお泊まりなんだし、トランプとかあったらそれで遊ぼうかなーって……」
「…………」
「…………」
沈黙。梨乃の気まずそうな表情が新鮮だった。広縁に続く、閉じられた障子から漏れでる雨の音が心地よかった。
「ま、寝るか」
「…………そうね」
消え入りそうな梨乃の声に、俺は苦笑を浮かべる。
梨乃はそんな俺を鋭く睨み、そのままゆっくりと布団に入っていく。威嚇しながら後ずさる小型動物のようだった。
「てか、布団近くないか? もうちょっと離した方がいいと思うけど」
「じゃああなたが畳の上で寝なさいよ」
「布団の存在意義って知ってるか?」
「むにゃむにゃ、美味しそうなスイカ……」
「宇宙一下手くそな狸寝入りだな……」
暖簾に腕押し。梨乃は全く聞く耳を持たず、布団を動かす素振りすら見せない。俺は諦めて布団に滑り込んだ。暖かな幸せが俺を包む。肺に溜まっていた空気を全て吐き出しぼんやりと天井を見た。暗闇の中にぼんやりと浮かぶ木目が不気味だった。
ふと、梨乃はどうしてるのかと横を見ると、布団から顔の上半分だけを出した梨乃とばっちり目が合った。俺と目が会った瞬間に布団の中へと消えていく梨乃。
構わず梨乃の頭がある辺りの布団を見つめていると、諦めたのかしぶしぶ布団から顔を出してきた。
「……なに」
「いや、目が合ったから」
「目が合ったから何? バトルでもするつもりなのかしら」
「なんでそんな好戦的なんだよ。いや特に理由はないけどさ……」
「理由がないならなんで息してるの?」
「生きることも許されないのか。儘ならん世の中だな」
「ママならん世の中? 世界に向けてのセクハラかしら、気持ち悪いわね」
「毒舌が強引すぎる」
梨乃も眠たくなってきているのか、だんだんと言葉に力がなくなっていき、次第に小声になってきた。暗闇の中にぼんやりと見えるその双眸は、心なしかとろんと眠たそうにも見える。
俺も寝るかなぁなどと思っていると、不意に眩い光が窓を突き抜け、障子の木枠の四角い影が俺の布団の上に浮き出て来た。次いで耳を聾する轟音。
雷だ。
そんなに激しい雨なのかと辟易しながら障子を見る。先ほどの雷光で浮かび上がった恐ろし気な影は既に見えず、大人しそうな表情で広縁を隠している。
「意外と近かったな」
明日には雷も止むだろうと聊か呑気な気持ちで梨乃を見やる──が、先ほど俺を睨んでいた顔が見当たらない。その代わりに見えるのは、不自然に膨らんだ布団のみ。
「……何してんの?」
「そんなこともわからないのかしら」
「……雷が怖いからうずくまってるとか?」
俺の言葉に、梨乃の布団の中からくぐもった嘲笑が聞こえて来た。
「どこをどう見たらそんな間抜けな言葉が出てくるのかしら」
「いやどこをどう見てもそうだろ」
「ヨガよ」
「……あ、そう」
本人がヨガというのなら、それはヨガなのだろう。
俺は寝返りを打ち瞼を閉じた。
すると、俺の背中に凄まじい衝撃が襲う。振り返ると、梨乃の布団から脚だけがにゅっと飛び出していた。はだけた浴衣が何とも扇情的である。
「なに」
「……なに?」
「いや……蹴ったから」
「蹴ってないけど」
「その脚はなんなんだ」
「ヨガ」
「……ヨガなら一人でやってくれ。もう眠いから」
「は? さっきからずっと一人でやってますけど? あなたがいちいちちょっかい出して邪魔してきてるんでしょう?」
「はいはいすんませんね、じゃあおやすみ」
「ちょっと待ちなさい」
再び寝返りを打とうとした俺を、梨乃が止める。しかし、呼び止めたはいいものの梨乃は何も言う気配がない。彼女の瞳には何かを言いたそうな、もどかしさが色濃く映っていた。
「…………」
「…………」
続く沈黙。
──まあしかし、その沈黙の意味くらいはわかる。
布団から腕を出し、梨乃との布団の境目に置く。
「ほら」
「……何その手は」
「ヨガ」
「…………うざ」
消え入りそうな声で梨乃が呟き、そして畳の上に置いた俺の掌に暖かな感触。久々に握った梨乃の掌は笑ってしまうほどに小さく思える。俺が成長したのか、梨乃が縮んだのか。まあ前者なんだろうけど。
そんなどうでもいいことを絶え間なく考えておかないと、少しヤバい。何がヤバいかと聞かれると答えることはできないが、ヤバい。
ため息を吐く。すると、それに答えるかのように雷光がひらめいた。連動するかのように梨乃が俺の手を強く握る。するとその連動にまた連動して、俺の鼓動が早くなる。
「ほんと、儘ならんよなぁ……」
そんな俺の呟きは雷によって消され、その音に怯え強められた梨乃の掌によって握りつぶされたのだった。
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