第4話 ダラダラするだけの話




「で、なんでお前いきなり俺の家に来たわけ?」


 もぐもぐと、パンを頬張っている梨乃に尋ねる。朝食を作ろうと思っていたのだが、冷蔵庫の中は空っぽだった。買い出しするのを忘れていた。というわけで、今朝の朝食はパンにジャムを塗っただけというお手軽なものだった。

 梨乃はごくりと、口内にあったパンを嚥下し、冷たい目でこちらを見た。


「さっき言ったと思うのだけれど。お腹空いたから朝ご飯作れって」

「いやそうだけど、パンしかないし……パンだったらお前の家でも作れるだろ。っていうか花梨ちゃんは?」


 花梨ちゃんというのは梨乃の妹である。高校一年生だが、俺らとは別の高校へ通っているので、最近はあまり顔を見れていない。ちなみに彼女も料理ができない。

 梨乃は、パンを皿に置き、こちらを見た。


「花梨は友達と遊びに行ってるわ。それと、私がトースターを使えると思っていたのかしら?」

「いや、普通に思ってた。ていうかお前、トースターも使えないのか? あんなん特にやることないだろ」

「熱いじゃない」

「ゆとりの悪いとこ出てるぞ」

「あら失礼」


 そこまで言うと、まるでもうこの会話に興味はありませんとでも言いたいばかりに再びパンにかぶりつく梨乃。綺麗な桜色の唇が咀嚼するたびに動くのを見るのは、なんだか心地が良かった。


「口元にパンくずがついてるぞ」

「あら、あなたの分身が出来てしまったわ。ほら、ゴミ箱にお帰り」

「余計な一言が多いんだよなぁ……それで、今日はどうするんだ?」


 俺の言葉を無視し、牛乳をゆっくり飲み始める梨乃。白くきめ細かな喉がごくりごくりと動くのを、俺はぼうっと見ていた。


「どうするって、どういうこと? きちんと日本語を話してほしいわ」

「さーせんさーせん。朝食食ったら帰るのか?」

「別に帰ってもいいけれど……どうせ家に誰もいないし、あなたの部屋で本でも読んでおくことにするわ」

「お前、もう俺の部屋にある本大方読み終わってるだろ」

「あなたには関係ないでしょ」


 朝食を食べ終わったのか、梨乃は立ち上がり食器を洗い場に置いた。


「あ、俺が洗っとくよ」

「やっと自分がすべきことが何なのかを理解し始めたようね。……と言いたいところだけど、さすがにそこまでやってもらうわけにはいかないわ。私がやっておく」


 珍しく、梨乃は自分で皿洗いを始めた。キッチンで彼女の後姿を見ることなんて珍しいことなので、思わずじろじろとその肩甲骨あたりを眺めてしまった。


「……あまり、その気持ちの悪い視線をぶつけないでくれるかしら。クソ気持ち悪いわ」

「女の子がクソとか言っちゃいけません」

「ゲロキモイわ。死ね」

「……あ、はい」


 暖簾に腕押し。馬の耳に念仏。梨乃に説教。

 俺は諦め、テレビを見ることにした。朝のニュースがつまらん食レポをやっているところだった。

 買い出しも行っておかないとなぁなんて考えていた俺は、ふと梨乃に尋ねた。


「なあ、梨乃」

「…………」


 無視。


「梨乃ちゃん?」

「…………」


 無視。


「梨乃さま?」

「…………」


 無視……。


「可愛くて愛らしい梨乃ちゃま?」

「聞こえてるからその気持ち悪い呼び方やめてちょうだい」

「なら返事しろよ!」

「別に気にせず話せばいいじゃない。あと、その汚い声で叫ぶのやめてもらっていいかしら。気持ち悪いわ」


 …………。

 本当にこの幼馴染は毒しか吐かない。まあ別に、もう慣れたことである。

 俺はため息を吐いて、尋ねた。






「最近なんで俺のこと避けてたん?」


 がっしゃーん! 


 俺がそう尋ねた瞬間、梨乃が手を滑らせ食器を落とした。けたたましい音が響く。梨乃の肩がビクンと跳ねた。


「おい、大丈夫か!?」

「ご、ごめんなさい。落とすつもりはなかったのだけれど」

「別にいいよ食器くらい。それより、怪我は?」

「ないけれど……ごめんなさい」

「なんだお前、珍しくしおらしいな」

「……わ、私だって自分が悪かったら謝るわよ」


 しゅんと肩を落とす梨乃は、なんだかいつもより小さく見えて、可愛らしかった。


「割れた食器は俺が片付けとくからさ、梨乃はテレビでも見て早くいつもの毒舌に戻ってくれ」

「……うん。ごめんなさい」

「いや、お前がそんなに大人しいとホントに気持ち悪いから早く元に戻ってくれ」

「わかったわよ……」


 すごすごと、背中を丸めながらソファへと歩いていく梨乃。その背中からは罪悪感が滲み出ていた。

 割れた食器を片付け、冷蔵庫の中身を確認する。すると、後ろから控えめな梨乃の声が聞こえて来た。


「それで、あんたの質問……なんなの?」

「質問……? ああ、なんか二日か三日くらい前からなんか不自然に避けられてたからさ。なんだったのかなって」


 理由はもちろんあの放課後のことなのだろうが、それだと何故俺が無視されていたのかがわからない。よくわからないことを言ったのは向こうなのだ。

 梨乃は、じっと考え込み始めた。心なしか、その頬はほんのりと赤い。


「別に、無視してたわけじゃないけど」

「嘘つけ。いつもは俺を叩き起こして一緒に登校する癖に、ここ数日は一人だったじゃねえか」

「気分転換よ」

「じゃあ教室で俺と全く目を合わせなかったのは?」

「気分転換よ」

「お前の気分の転換の仕方、変わってんだな」

「余計なお世話よ」


 ロボットのように繰り返す梨乃。そっぽを向いているので、その表情は窺い知れない。


「まあそれならいいけど……じゃあなんで今日はいきなり来たんだよ。昨日まで朝食も食ってなかったのに」

「わ、私の勝手でしょ? ……あなたの部屋にある、あの……汚い人形に会いに来たのよ」

「人形? ああ、あのペンギンみたいなやつか。あんなんに会いに来たんかお前」


 どうやら、梨乃は俺の部屋に飾ってある人形のことを言っているようだ。小学生くらいの時から置いてあるので、今では俺の部屋の風景の一つとなっている代物である。

 梨乃はこちらを見て、片頬で笑った。


「あなたよりかは可愛らしくていい子だと思うけれど。ていうか、あの人形に会いに来る以外、あなたの家に入る理由なんてご飯くらいしかないのだけれど」

「人形さんに負ける俺って一体……。ていうか、そんなに可愛いんならお前にやるよ。俺別にいらないし」


 ぴくりと、梨乃の表情が動く。なんだか俺の言葉が気に入らなかったらしい。


「……あなたの部屋の空気がしみ込んだ、汚い人形なんていらないわ」

「お前その汚い人形に会いに来たんだろ」

「……とにかく、あなたの人形なんていらないし、持っていくつもりもないわ。時々見に行くくらいがちょうどいいのだし」

「へーいへい。あ、俺後で買い物に行くから、部屋で本でも読んでてくれな」

「私に一人で暇を弄べって言うの? 随分とまあ甘く見られたものね」

「一人で暇つぶしできないの?」

「寂しくて死ぬわ」

「兎かな?」

「…………」


 じっくりと考えこみ始める梨乃。何やら葛藤しているらしい。

 たっぷり十数秒間ほど考え込んだ梨乃は、不意に顔を上げ、言った。


「私もその買い物についてくわよ」

「……いいの?」

「何が」

「二人で一緒に買い出しって、デートみたいじゃん」

「何意識してんの? キモ。あなたがそんな思春期の男子みたいな反応するなんて予想してなかったからキモさ倍増なんだけど」

「俺思春期の男子だぞ」

「ちなみに今現在私の中のあなたのキモさランキングは暫定三位よ」

「聞いてねえよ。っていうか、あんなに色々言ってたのに一位じゃないのな。なんかそれだけで嬉しくなってくる自分が悲しいわ」

「ちなみに二位はゲジゲジよ」

「ガチのやつじゃん! 俺あの虫と同列って嫌なんだけど!?」

「そして栄えある一位は左隣に住んでるゴミボの男ね」


 左隣に住んでいるゴミボの男? 

 俺は首を傾げ梨乃の左隣の住人を思い浮かべる。


 確か、梨乃の左隣の家って────


「……俺じゃん! 左隣の家って俺の家じゃん! ランキングほぼ独占しちゃってんじゃん! ゲジゲジより気持ち悪い認定いただいちゃったよ!!」

「やかましいわね。買い物行くんでしょ。ほら、さっさと支度しなさいよ」

「ええ……? はぁ、まあいいや。じゃあ用意しとくから外で待っててくれ」

「死ね」

「最近なんか辛いことあったの?」


 相槌代わりに毒を吐く輩なんて初めて見た。

 梨乃は特に何も言うことなく、玄関へと歩いていく。

 俺はその背中を見ながら、大きくため息をついた。



 頭の中に浮かぶ疑問は一つのみ。











「……これ、デートってカウントしてもいいのか?」


 もちろん、梨乃の意見がどうであれ、カウントするつもりである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る