Fallen Angel & saint devil

@child___a

第1話


    水が、氷になるように

    エーテルが凝固していく

    今まで知らなかった感覚

    痛み 暑さ 寒さ 


    今まで解っていたのに

    不意に消える感覚

    空の波長、360度の視界



 物体の感覚はどうして、余計なところにはこんなに鋭敏なのに必要なところではこんなに鈍いんだろう。

 そして実体となった生白い足は地上に立つには弱すぎる。

 ばしゃん。汚泥がしぶきをあげる。私の体に染みつく悪臭。

 やっとの事で近くのゴミ箱を探り当て起きあがる。

「堕ちやがったわね」

 くすくす…と笑う声がして、私は顔を上げる。

「名前は?ああ…言っとくけど、物質界(アッシャー)では、きちんと声帯を震わせないと他人と会話できないからね」

「レ…‥・リ‥エ・ル」

 自分でも驚くほどがさついた声に驚いて私は口をつぐむ。

「夜を司ってたってわけね。

 …でも、その名前はもうアンタの名前じゃない」

 天使の名前は『階級』を表すもので、『個体』を表すものじゃない。私が堕ちたあとはどこかのエーテルが『夜天使=レリエル』の名前を受け継いでいることだろう。

 私はゆっくり顔を上げる。

 汚泥を吸ってくすんだ金髪がもつれ、とても気持ちが悪い。

 右手で髪をかきあげたら、ぐっしょりとべったりの中間のような触感で体中に鳥肌が立った。


 暗闇… 


 物質はこんなとき『目』という器官でしか相手を認識出来ない。それでも何とか目を凝らしてみる。

 闇に溶けるようなシルエット。黒くて長い髪。『あの方』と同じように真っ直ぐのびた背筋。

 黒いゴージャスな毛皮のコート、獣の匂い。

 そして、たぶんこの物質は、『女』の形態をしている。

 女は私に手をさしのべた。

「この辺、天使のゴミ捨て場になってるのよ。年に2~3個は堕ちてくる。

 あたしはゴミ処理屋ってとこかしらね」

 金色の瞳、紅い唇…確かにどこかで見た顔なのだが思い出せない。

 とてもとても、綺麗な顔。

「あんた、ナニしたの?」

「……………」

 不意に問われて私はのばしかけていた手を引っ込めた。

 思い出した。

 この『女』の顔…。

 エーテルの中でもっとも気高く、炎のように美しいもの。

 そして、私はそれに嫉妬してしまったために堕とされた。

「ミ…カ‥エル」

 私の声を聞いて、女はちょっと笑う。

「なんだ、アンタもあいつのせいで堕ちたわけ」

 遙か昔に聞いたことがある。ミカエルと同じつくりのエーテル。

 強い力と美しい姿…そして『個体名』を持つもの。

「ルシファー…なのか」

 路地の向こうを通り過ぎる車…つかの間、ヘッドライトに照らし出される女の姿。

 炎のように傲慢で、ゴージャスで、美しい。

 ルシファーがにっこりと微笑んだ。

「で?一緒に来るんでしょ?」

 私はゆっくりと立ち上がった。

「どこに・・・いくの?」

「アンタのお仲間がいるところ」

「堕天?」

 だんだん声帯がなれてきて普通に話せるようになった。

「そう」

 ルシファーはコートを脱ぐと、私の肩にふわりとかけた。

「みっともない格好の男を連れて歩く趣味はないの」

 言われて、初めて気がつく。

 私は、物質となるとき『男』の形態を願っていたらしい。

 それとも、ルシファーの姿を見たから途中から変化したのだろうか…。

 私のことなどお構いなしに路地の奥へと向かうルシファー。

 細い道を抜け、迷路のような曲がり角を何度も何度も曲がる。

 最後の曲がり角を曲がった。

 大きな道路、向こう側に大きなビルが建っている。

「ルイス!」

 誰かの声が聞こえて、ルシファーが微笑む。ビルの前でルシファーを待ちかまえる美しい男達。

「あれは、全部堕天?」

「そうよ。全部アタシが世話してるの。

 これからアンタも、アタシのことは『ルイス』って呼んでいい。

 …まぁ、アンタにも服とか家とか用意させるから綺麗にして適当に暮らしてちょうだい。

 住み慣れれば物質界も捨てたモノじゃないわよ」

 素っ気なく言って、ルシファーは道路を渡り始める。

 私は、どっと疲労感に襲われた。平等な愛、優しさ、それを支えるだけのカリスマ…。

 私が上で、『あの方』に望んだこと。

 ミカエルにばかり寵愛を注ぐ『あの方』に、面と向かって言ってしまったこと。

 それが今、すべて目の前にある。それなのに、どうして私はこんなに悲しいのだろう。

               ・

               ・

               ・

 ごっ!!ザリッ!ぼぐり!


 流れる車を器用にかわしながら道路を渡っていたルシファーは、背後の物音に振り返った。

 ゴミ収集車がレリエルだったモノを轢いて…一瞬の躊躇もなく走り去っていく。

 その他の車はクラクションをならしつつも、それをよけて走る。

 ルシファーの横を猛スピードでBMWが走り抜ける。

 さらり、と黒髪が風に舞った。

 氷が水になるようにレリエルの体はどろりと溶け、細かな霧となって宙に消えた。

 ルシファーは空を見上げてにっこり微笑んだ後、おもむろにナカユビを立てる。

「物質界に堕ちたとき、女の形になったのはアンタの放蕩息子たちに仕返しするため。

 アンタがお情けで落としてよこしたバカ息子達のなれの果てをしっかりごらんあそばせ」

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