真新しい靴がステップ~灰色の習作~

大月クマ

第1話

「ステップが違う……」

 私、ジャン・スミスは演劇シアターが終わり席を立ち、出口に向かおうとした時だ。

 列の端に陣取るように座る老人が、そうつぶやいた。

 事の起こりは、同居人であるアトルシャン・ミックス君が、どこかに出張してしまった事から始まる。共通の居間のテーブルに、とあるシアターのチケットが置かれていた。

 彼の置き土産だろうか。公開日などを確認すると、とある劇場のこけら落としのチケットだ。

 私はあまりシアターを見ないほうだが、その劇団の噂は耳にしている。

 晩さん会などで「あの劇を見たか?」など話題に上がっていたから、興味本位に彼の置いていったチケットを取ってしまった。

 演目の内容について……最初に断ったように、演劇はあまり見ない。私からは感想はあまり述べる気にはなれなかった。

 さらにコメディータッチで殺人事件を扱うなどと、私の趣味ではない。下品な下ネタや女性が並んで足を高く上げるのは……ところどころ、俳優固有の持ちネタのようなのを織り込み、支離滅裂で――早々に立ちたかった。だが、ミックス君の仕業か、指定された席の番号はよりによって真ん中。左右はほぼ楽しんでいる客ばかりで、180センチを超える巨体が彼らの前を遮るのは気が引けた。

 結局、私は最後まで見るしかなかった。

 最後になぜかタップダンサーが出てきて締めくくった。

 まあ、舞台に上がるだけのことはある腕前だった。

 そして、シアターが終わったところで、皆がはけていく。

 ただ、私の列の端、通路側にいた老人が動こうとはしない。ほかの客はいぶかしげに反対に動くか、無理矢理老人の前を通過していったが、私は彼がブツブツ言っていることを耳にした。

「ステップが違う」と――。

 この老人が指しているのは、最後に出てきたタップダンサーのことか。

 何がどう違っていたのかは、判断材料が少なくて判らない。

 老人を観察してみると、杖をしっかりと両手に持ち、目をつぶっている。

「――失礼」

 と、強引に前を横切る人には顔を向けずに、片方の耳を向けていた。

 どうやら目が見えないらしい。

 目が見えないとほかの箇所、例えば耳が敏感になるという。

 老人は、タップダンスのステップの何か、違いを聞き分けられたのだろうか。

「遅れてすみません」

 そして、彼の付き添いらしい者が現れた。


 ――先ほどのタップダンスをした男か。


 いや、違う。先ほどの男は白と赤のストラップの派手なスーツを着ていた。ここにいるのは灰色の地味なカーディガンを羽織り、事務方らしい眼鏡をかけていた。

 ただ顔がそっくりであった。急いできたのか、少々息が上がっているようだが――

 私は声をかけることはなかったが、双子ではないかと思った。


 その日はそれだけ。

 ただ、老人の愚痴だ。別に知り合いでも何でもない――

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