第20話
彼に二つ目の人生の転機が訪れたのは、十歳のころだった。
ミハエルが父と同じ道を歩むために騎士学校への入学を決めたのである。
もともと生まれの関係もあり、ミハエルの周囲には騎士が多かった。そのため彼らの仕事ぶりや活躍を目にする機会も人よりも恵まれていた。国を守り、人を守る騎士たち。それを指揮しているのは自分の父なのだ。
彼が騎士になりたいという憧憬を抱くのは、自然な流れだった。
両親は騎士学校に入ることにもちろん反対しなかった。だが、ただ一人ステラ王女だけは大反対した。
理由は至極簡単で、騎士学校は全寮制のため、騎士団長の息子であろうと簡単には外出できない。加えて、騎士学校は女人禁制で、王女といえど気軽には立ち入ることができない。それが騎士学校にいる間の六年も続くのだから、年頃の娘でなくても耐えられない。ゆえに、王女は反対したのだ。
説得は簡単なものではなかった。だが、最後に一つ約束をしたことで渋々ながらも納得させることができた。その約束とは、
『俺は最高の騎士になる。ステラは素敵な王女様になるんだ。そしたら、ずっと一緒にいられる』
約束というよりも、ある意味では告白に近い言葉だった。
幼い二人はそんな風に思っていなかっただろうが、後から思い出したアッシュは穴に入りたくなるほどに恥ずかしがる程度には恥ずかしい言葉であった。
約束をした日からミハエルが城に通う頻度はぐっと低くなった。今まで使っていたその時間を騎士学校に入るための勉強や訓練にあてるためだ。
そもそも騎士団長の息子であるミハエルが騎士学校へ入るのに、入学試験など受けなくてもいいのだが、実直な彼の性格がそれを許さなかった。
日中は剣を使った訓練など体力づくりをおこない、夜は屋敷にある本などを使い勉強をした。
幸いなことに訓練相手や勉強を教えてもらう相手はごろごろおり、屋敷を警護する騎士たちや父を訪ねてきた上級騎士など日によってさまざまな人に教えを乞うていた。
そして月に一度は城へ出向き、ステラ王女と他愛のない話をした。王女は王女でミハエルが来なくなった分、王族としての振る舞いや知識を習い、約束を守るための努力をしていた。
そんな生活はミハエルが騎士学校へ入学できる年齢になる十二歳まで続いた。
実技・座学の両方で騎士学校始まって以来の好成績で入学試験を突破したミハエルは、問題なく騎士学校へ入学した。
そして騎士学校に入学してすぐ、ミハエルは自身が特別な存在であると認識させられることになった。
彼の周囲によって来る同級生や上級生、加えて教員までがミハエルの父が騎士団長と知っており、その威光のおこぼれを頂くために近づいてくるのだ。それには貴族も平民もなく、位の高い人間に媚びへつらう人間の悪性がにじみ出ていたと、のちにアッシュは語った。
だが、十二歳というまだ年若いミハエルはそうではなく、過去最高の成績とそれをほめたたえる周囲の声に悪い意味で気をよくしてしまった。————すなわち、調子に乗ったのである。
調子に乗ったミハエルは周囲に貴族の子供たちを侍らせ、瞬く間に自身の派閥を作り上げた。
まだ一年生のうちはよかったのだが、二年、三年と学年が上がるごとに実力も伴ってくると手が付けられなくなっていた。
四年時には、剣や槍をつかった模擬戦は同級生、上級生問わず学生では相手にならず、教員相手でも互角以上の戦いができるようになっていた。
おかげで彼に模擬戦を挑んでくるものはほとんどおらず、実技の授業においては退屈をし始めていた。そんな中、一人だけミハエルに挑んでくる生徒がいた。
彼の名はニック。平民の出身で、学業においても実技においても突出した面のない平凡、没個性とまで言ってもいいような生徒だった。
そんなニックが騎士学校一番の有名人であるミハエルに模擬戦を挑んだものだから、訓練場は騒然とした。だが、それもほんの一瞬のことで、すぐに静まった。というよりも絶句したというのが正しい。
模擬戦が始まった瞬間、ミハエルが放った小手調べの一撃でニックがノックアウトされたからである。あまりに一瞬の決着にだれしもが言葉を失った。
見ていた生徒も教員もミハエルを称賛するために駆け寄ってくるが、倒れたニックを心配する者は一人もいなかった。
その数日後、アッシュも覚えていないような些細な理由で、ミハエルは放課後の訓練場を訪れた。
当然、生徒などいるはずもないはずだったのだが、一人だけ誰もいない訓練場で熱心に剣をふるう生徒がいた。————ニックだ。
ニックは一人、何度も何度も体にしみこませるように剣をふるい続けていた。
その姿は、見るものによっては滑稽だっただろう。そのはずなのだが、ミハエルは目が離せなかった。その理由を探すためにニックに声をかけていた。
『そんなに真剣に振って、どうするんだ?』
あまりに集中していたためか、ミハエルが声をかけた瞬間、握っていた剣をすっぽ抜けさせて跳びあがった。
『お、驚いたぁ。いるなら言ってくれよぉ。……騎士になって家族に楽をさせたいんだ。ほら、騎士って給料いいからさ。ミハエルにはわかんないか』
すっぽ抜けた剣を拾いながらニックは疲れたように笑った。けれど、その奥の瞳は強い決意を秘めていた。その瞳がようやくミハエルののぼせ上った頭を覚めさせた。
彼は、騎士になって家族に楽をさせるという夢を持って騎士学校に入学した。
ミハエルが騎士学校に入学した理由はなんだっただろうか。それは人を守る騎士にあこがれたからではなかっただろうか。————それをいつしか忘れていた。
ニックは質問に答えたからか、また剣を振り始めていた。
彼の構えはひどく汚い。剣をふるう際にも無駄な力が入っているせいで、疲れるわりに速度も威力もない。このまま振り続けたところで、きちんとした指導がなければ進歩はないだろう。だが、指導する人間がいれば変わるかもしれない。
そんなことを思ってしまったせいか、ミハエルは自然とこんな言葉を口にしていた。
『剣の振り方くらいなら教えてやろうか』
ニックの剣がもう一度すっぽ抜けた。
それがミハエルとニックの人生を大きく変えてしまう言葉だったなど、その時の二人は知るはずもなかった。
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