第18話

「あーっ!もう!最っ悪!!」

 部屋を出た瞬間、アリシアは履いていたハイヒールも脱ぎ捨てて、廊下のそこらかしこに当たり散らしていた。アッシュはその勢いに引きずられるままだ。

「なんなの!?お詫びっていって、謝罪の言葉なんて一言もないし!ほんとに意味わかんない!!————アッシュ、あなたもなんとか言いなさいよ」

 廊下にだれもいないためか、八つ当たりの矛先がアッシュへと向かった。だが、まだ茫然自失のままのアッシュは反応も薄かった。

「……ああ、すまん」

 その言葉はどこに謝っているのか。視線は床を向いたままで、謝っている本人すらどこに言っているのかあやふやかもしれない。

「————いい加減にしなさいよ、アッシュ」

 腑抜けたアッシュの姿に今度は八つ当たりではなく、怒りの矛先がアッシュへと向かった。

「さっきも言ったけれど、過去がどうであろうと、今ここにいるあなたはアッシュなのでしょう。だったら、過去のことをとやかく言われたくらいで腑抜けるんじゃありません」

 それはヴラドに対して言った言葉とほとんど同じものだったが、意味は全く違っていた。今回のそれはアッシュに対しての激励の言葉だった。

「わかったなら、さっさと帰るわよ。……帰ったらご飯にしましょう。お腹すいたわ」

「ふふっ、そうだな。すまん」

 アリシアの付け足した緩い一言に先ほどまでの張りつめていた空気が崩れた。おかげでアッシュもようやく自身を取り戻したようだ。

「面倒だから、このまま直帰しましょう。このまま離さないように」

「わかった」

「じゃあ、行くわ」

 瞬間、ぬるりと世界が切り替わり、いつもの森へと戻っていた。



「ただいま」

「ただいま帰りましたよっと」

「おかえりなさい!早かったすね」

 屋敷に戻った時点で太陽は真上にあった。出て行った時は太陽を見上げ始めたくらいの高さだったので、アッシュたちの体感に比べて実際に出かけていた時間は短かったようだった。あるいは長く感じるようなことがあったからかもしれない。

「とりあえず着替えましょうか。ついでにアッシュはお風呂にでも入ってきなさいな。……いろいろあって疲れたでしょう。話はそのあとでいいわ」

 アリシアの優しさに甘えて、アッシュはバスルームに向かった。冷や汗でビシャビシャになった背中が気持ち悪かったのだ。


 シャワーを浴びながら、アッシュはいろいろなことを考えた。

 自身の過去のことを話すべきだろうか。話してしまって大丈夫だろうか。

 ヴラドと名乗ったあの影が言ったことはすべて本当のことだった。

 隠していなかったといえば噓になるが、隠していたかというとそれも真実とは違った。

 二人とも積極的にアッシュの過去を探るようなことはしなかった。アッシュの髪についての知識がなかったからかもしれないが、そのおかげで嘘偽った自分でなく、本当の自分でいられた気がして居心地がよかったのだ。

 だから、本当の自分を突き付けられたときにあんなにも動揺してしまった。


 ————ひどい話だ。


 ぬるま湯に浸かったことで、過去に自分が犯した罪を再認識してしまうなんて。

 ————本当にひどい話だった。


 ぎゅっとハンドルを締めてシャワーを止めると、着替えてダイニングへと向かった。

 ダイニングではドレス姿のままのアリシアとリッキーがなにやら話し込んでいるようだった。

「あっち側って、どんな感じなんすか?あのクマみたいなのがいっぱいいるんですか?」

「あんなのはあんまりいないけれど、もっと、なんていうか、見てられないのはいるわね」

「見てられないって、どういう……??」

 なんだか、ほんわかした、というか緩い会話が繰り広げられていた。

 二人とも、アッシュが近づくなり気が付くと同時に彼の顔を見た。

「出てきたわね。スーツをよこしなさい。このドレスと一緒に燃やすから」

「ああ、それはいいけど、……とりあえずその仮面外そうか」

「……えっ?」

 アッシュの指摘で、自身が仮面をつけたままだったのに気が付いたのか、顔を触ってから仮面を外すと真っ赤な顔をして、

「気づいてたわ!ええ、気づいてたけどつけたままだったのよ」

 必死に弁解をしたが、忘れていたのは誰の目にも明らかだった。

 アッシュとリッキーが生暖かい目で見ているのに気が付いたのか、弁解をやめてツーンと機嫌を悪くしてしまった。

「悪かったよ。————なあ、アリシア」

「……なによ」

 気を取り直してアッシュは真剣な声音にしたつもりだったが、アリシアはまだ機嫌が悪かった。

「リッキーも、聞いてほしい話があるんだ」

 そこまで切り出すと、アリシアも察しがついたらしい。

 リッキーは裏の世界であった出来事を共有してもらっていないらしく、不思議な顔をしている。

「俺の、いや、ミハエル・フォン・ヴァルトシュタインが、————どうしてアッシュになったかを」



————それは、ある青年が燃えかすアッシュになるまでの物語

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