第3話

 リッキーが向かったのは、廊下に出てすぐ、風呂の隣にある部屋だった。つまり、昨日アッシュが屋敷に入ってきた部屋だ。

「失礼します」

 今度もリッキーは器用に扉を開けると、自分だけ先に部屋に入って行ってしまった。

 アッシュは廊下に一人取り残されてしまったが、そのまま立っているわけにもいかないので、一息だけ吸って部屋の中に入った。

「失礼する」

 礼儀として一言挨拶だけして部屋に入ったアッシュはそこで息をのんだ。

 広がっていたのは、絵画の世界。本で埋め尽くされた部屋の中、少しだけ開いた窓から差し込む暖かな光と風が、中央に坐する女性のつややかな黒髪を煌めきとともになびかせている。

 彼女はただ積み上げられた本の山に腰を落として本を広げているだけなのに、それがすごく堂に入っていて奇麗というか、美しかった。それこそ、目を奪われるほどに。

 呼吸を忘れてしまうほどに見入っていると、足元にいたリッキーがトコトコ駆け出したところでアッシュの意識が戻ってきた。

「姉さん、連れてきましたよ」

「そんなのは見ればわかるわ。でも、ありがと」

 本から視線をあげたアリシアはつっけんどんな反応で返していたが、リッキーは意に介していないため、それはいつもの反応なのだろう。

 ぱたんと本を閉じて山の上に置くと、アリシアはようやく腰をあげた。

「よく寝られたみたいね。今日からは私の命令で働いてもらうから。そう、言うなれば下僕、いや奴隷として、ね」

 言い換えるほどに搾取的な言葉になっていることにアッシュは頭痛がしたが、最初の時点で無償の労働力とも言っていたので、何も言うことはしなかった。

「今日は薬の材料集めをするから、あなたは荷物持ちね。リッキーはいつも通り森の警戒。昨日みたいに変なのがやってくるかもしれないからしっかりね」

 じめっとした視線がアッシュに向けられたのを感じ取ったが、変なのと言われてしまえばそうなので反論はできなかった。

 リッキーは元気よく返事をして窓の隙間から飛び出していった。

「私たちも行きましょうか。ついてきて」

 リッキーを見送るとアリシアはアッシュの横をすり抜けて、部屋を出た。ついて来いと言われたアッシュもそのあとに続く。

 廊下に出て向かったのは風呂とは逆側の廊下の角、突き当りの窓だった。窓の前まで来たアリシアはおもむろに壁に掛けられていたランタンを傾けた。すると、ガコンとなにかが動く音がした後に、ずずずっと壁が動き出して階段があらわれた。いわゆる隠し階段だ。

「さすが魔女の屋敷、隠し階段の地下室まであるなんてな」

 アッシュとしては自然と出た賛辞の言葉だったのだが、それを聞いたアリシアは驚愕した顔で彼を見た。

「あなた、窓の外見てないの?」

「えっ?ああ。昨日はすぐ寝ちまったし、さっき起こされたばっかりで外見る時間なんてなかったからな」

 アッシュの返事を聞いたアリシアは、はあっと大きなため息をついて窓を指さした。話の流れから外を見てみろということだと察したアッシュは指さされた窓から外を見てみた。

 覗き込んだ窓からは昨日見た変な森が広がっており、奥には見慣れた山々が並んでいる。そして奇妙な違和感に気が付いた。見える景色が広すぎるのだ。

 違和感の正体を探して、今度は下を見てみた。すると答えは単純だった。

「ここ、二階だったのかよ」

 そう、アッシュたちがいたのは二階だったのだ。裏口から忍び込んだのだから一階だとアッシュは思い込んでいたが、それそのものが間違いだったのだ。

「あの裏口は、二階に直通なの。普通じゃ考えられないかもしれないけれど、この屋敷には普通じゃないから。入り口と出口が地続きである必要もないしね。空間を拡張しているから建物の大きさよりも中は広くしてるわ」

 少し得意げにアリシアがそう語るが、聞いているアッシュはあまりにも現実味がなかった。

 空間の拡張なんてさすがは魔女の屋敷。アッシュが住んできた世界とは全く違う。初日にしてその片鱗を味わっていた。

「さすが魔女様だな。すげぇわ」

 これもまた自然と出た賛辞の言葉だったのだが、アリシアとしては気に食わなかったようで、言葉を発したアッシュをにらみつけると

「さっきから魔女、魔女言ってくれるけど、私はアリシア。ちゃんと名乗ったでしょ。あなた、人の名前も覚えられないの?」

 その気になれば視線だけで人を殺せそうなほどの鋭い視線にアッシュはたじろいだ。

 アリシアはどうにも魔女と呼ばれるのを嫌がっている節がある。藪蛇になるので今後は魔女と呼ぶのはやめようと心に誓ったアッシュだった。

「悪かった。その……アリシアさん?」

「気持ちが悪いから、さん付けはやめて。その、本当に気持ちが悪い」

「へえへえ、了解したよ、アリシア」

「……まだ気持ち悪いけど、及第点ね。無駄な時間を使ったわ。さっさと下に行きましょう」

 棘のある言葉のわりにふっと柔らかく笑うと階段を下りて行った。その背中を追うようにアッシュも続いた。


 アッシュが階段を下り終わって部屋に入ると、近くにあった棚が動いて階段を隠す壁となった。

 出た先は広い部屋でおそらくダイニングルームだろうか。かなり高価そうな大きなテーブルにイスが並べられていた。のだが、最近使われた形跡はほとんどなく、ところどころに薄く埃が積もっていた。

「————なにこれ。後でリッキーにはお仕置きが必要そうね」

 アリシアがぼそっとつぶやいたその言葉をアッシュは聞かなかったことにした。そして心の中でリッキーに合掌した。あの小さな体で屋敷のすべてをきれいにするなんて無理難題極まりないことだろうに。

「ここ、ダイニングだろ。なんでこんな埃まみれなんだよ。飯食わないのか?」

「食事の概念は、……百年位前には無くなってたわ。必要と思って建てたときに作ったけど、必要ないから結局こうなって……」

 リッキーもずっと掃除をサボっていたわけではなく、ある程度の頻度で掃除はおこなっていた。だが、使わない部屋というのは当然優先度が低くなってしまい、ちょうどそんなタイミングでサボりが見つかってしまったのだ。

 しれっと話しているが、彼女は食事をとらず百年以上は生きている。こうして普通に話していると忘れかけてしまうが、アリシアは本当に魔女なのだとアッシュにも実感させられる。

 ぐーっと間抜けな音が部屋の中に響いた。

「すまん、アリシアは食事をしないかもしれないが、俺は飯食わないと死んじまうんだ」

 申し訳なさそうな顔でアッシュは空腹を訴えた。

「そう、よね。うちには食べ物はないから、薬草を取りに行くついでに魚でも取って食べなさいな」

「そうかぁ、そうだよなぁ。なら、さっさと行こうぜ。腹減った」

 ダイニングを出ると、正面玄関のある廊下へ出た。アリシアはそのまま外へ出るのかと思いきや、玄関近くの部屋に入っていった。

「そこで待っていて」

 アッシュを部屋の外で待機させると、部屋の中でごそごそと荷物を取り出し始めた。

「アッシュは、これとこれと、これもか」

 アリシアが部屋から籠やらなんやらを取り出して、アッシュに渡してくる。アリシア自身もなんだかいろいろ抱えているので、二人そろって大荷物の状態だ。

 薬の材料集めと言っていたはずだが、いったいなにを集めるのだろうとアッシュは訝しんだが、空腹で働かない頭ではそれ以上考えることができなかった。

「じゃあ行きましょ。あなたは私についてきてくれればいいから」

「へいへい」

 適当な返事で返したアッシュを無視して、玄関から外へとアリシアは出て行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る