第1話

「あなた、なにをしにここに来たの?」

 手足を縛られて床に転がるアッシュを見下ろしながら、魔女はそう口にした。だが、両手足に加えて口もふさがれている状態ではアッシュも返答のしようがない。

「ふがっ、ふがが」

 もがきながら声を出そうとするも、やはり声は出せずもごもご言うしかなかった。魔女もそれでしゃべれないことに気付いたようで、

「しゃべれないなら、ちゃんと言いなさいよ。————リッキー!」

 両手を叩くと屋敷を走り回るようなパタパタという音とともに小さな影が廊下に現れた。

 影は目にも止まらぬ速さでアッシュの口を覆っていた布をほどくと、魔女の肩の上に乗った。影の正体は、森に入ったときに茂みから出てきたあのリスだった。

「姉さん、完了しました!」

「ついでに灯りを点けてもらえる?」

「承知しました!」

 リスは魔女の命令を快諾し、今度は廊下の灯りを点けに走った。

 人間の言葉を話すリスにあっけにとられるアッシュだが、魔女たちにはそんなことは関係なく、灯りが点くと同時に最初の質問を再度繰り返した。

「で、あなたはなにをしにここに来たの?」

 アッシュは迷った。ここには盗みに入った。だが、深堀されれば賭けに負けたからという真因を話してしまいそうだ。ゆえに、口に出すかどうかを迷った。

 そんなアッシュの様子にしびれを切らしたのか、

「はっきりなさい!どうせろくでもないような理由なんでしょ!!」

「はい!あの、賭けで負けて、ここに盗みに入りました!」

 魔女の剣幕に押され、アッシュはおもわず本当のことを口にしてしまった。だが、そんな回答も魔女の想定内ではあったようで、呆れたように眉間に手をやって小首を振ると、

「そんなことだろうと思ったけれど、ほんとにしょうもない理由ね」

 もっともすぎる意見に、アッシュはぐうの音も出なかった。

 数秒ほど、魔女はなにかを考えるように動きを止めた。縛られて床に転がっているアッシュは、その顔を見上げているくらいしかできなかった。

「リッキー、あれ持ってきて」

「はい!姉さん」

 魔女がリスに命令して持ってこさせたのは腕輪のようなものだった。何らかの文様が刻まれているのが見えるが、アッシュにはそれが意味するものは分からなかった。

「ここに来た以上、あなたはもう帰れない。ほら、腕を出しなさい」

 そう促されるものの、アッシュは縛られているので腕を出すことなんてできるはずもなく、横っ腹を蹴られて無理やり体の向きを反転させられた。

 縛られた手が魔女の前まで来ると、手に持っていた腕輪をアッシュの右手首につけ始めた。

「これでよし。リッキー、ほどいてあげて」

 命令が出るとすぐにアッシュの拘束はほどかれた。

 ようやく解放された体を起こすと、右手首につけられた腕輪が気になった。軽く触ってみたところ、外れそうにはなかった。無理に外そうとも考えたが、魔女の前で外そうとするのは得策ではないだろう。それにこの腕輪がなんであれ、拘束が解除されたなら女一人と小動物一匹なら無理やり逃げることだってできるだろう。外すのはその後で十分だ。

「ありがとさん。……おまえ、森に入ったときにあったよな」

「お前やない!わしにはリッキーっちゅう姉さんにつけてもらった名前があるんや。それにわしのが先輩やぞ。新人は先輩を敬わんといかんこともしらんのか!?」

 アッシュとしては、リスもといリッキーに拘束を解いてくれたお礼をしたつもりだったのだが、その不遜な態度にそんな気持ちは瞬時に消え去っていた。代わりに言いようのないムカつきと、逃げる前にそれを晴らしておこうという気持ちだけが残っていた。

「じゃあ、先輩。先輩らしい所見せてくださいよ」

 最低限の理性で拳を振り下ろすことはしなかったが、虫でもつぶすように平手で押しつぶすようにたたきつけた。

 リッキーの大きさは拳よりも一回り大きいくらいだ。そのまま当たればひとたまりもないだろう。だが、結果としてリッキーがつぶれることはなかった。

「いってぇ!!……なんだよ、お前!」

 声をあげたのは、叩いた側のアッシュだった。

 振り下ろされた平手はたしかにリッキーに当たった。はずが、彼の手のひらから返ってきた感触は石を叩いたような鈍い痛みだった。

 慌てて手をどかしてみれば、そこにあったのはリスの形をした石だった。リッキーを叩いたつもりがこの石を叩いていたらしい。

「どや、わしにお前の攻撃なんて効きゃあせんで!」

 声とともに、硬い石が柔らかい毛並みに変わっていった。全身が石から戻ると、どや顔をしたリッキーの姿になった。それをみれば理屈がわからなくとも、リッキーが石に変化する能力を持っていることくらいはアッシュにも理解できた。

「じゃあ、水にでも沈めてやるよ!」

「やってみろや、ボケェ!」

 売り言葉に買い言葉、一触即発状態の男と小動物。

「二人ともいい加減にしなさい」

 魔女の言葉と同期して、アッシュの右手首につけられた腕輪が反応した。同じようにリッキーの毛皮の下に隠された首輪も反応を見せる。

 ピカリと一瞬、光ったかと思うと電撃が放たれた。

「「うぎゃー!?!?」」

 全身を駆け巡るすさまじい電撃により、一人と一匹が床の上でもがき苦しんでいる。

 電撃は数秒間続き、終わったころには先ほどまでの怒りはどこへやら、床から起き上がることさえできなくなっていた。

「これで落ち着いた?」

「……あ、ああ。なんだよ、これ」

 さきほどは外すのを断念した腕輪を今度は無理やりにでも外そうとするが、押しても引いてもびくともせず、アッシュはあきらめて床で仰向けになった。

「それは隷属の腕輪。私が許可しない限り外せないし、私に逆らおうとしたりすれば電撃が放てる便利な代物なの。ちなみに今のは最小出力だけど、最大出力なら簡単に死ねるから気を付けて頂戴ね」

 魔女は冗談でも言うような口調でそんな物騒なことを口にした。だが、その言葉は実に効果的で、アッシュの逃げようという気持ちはなくなってしまった。

「リッキー、あなたはこの人の仲間がいないか周囲の見回りをしてきて」

「……えっ?でも、こいつが一人で来たのは昼のうちに確認済みですよ」

「いいから、……それとも私の命令が聞けないの?」

「……わかりました。姉さん、失礼します」

 魔女の語気に押されて、リッキーはしぶしぶといった様子で屋敷の外へ出て行った。

 その会話をアッシュはぼうっと聞いていた。隷属の腕輪がある以上、抵抗をしようものなら待っているのは死だ。ゆえになすがままの態勢をとっていた。

「で、こんな腕輪をつけて、俺をどうしたいんでしょうか。魔女様は」

「————魔女、ね。あなたたちから見ればそうかもしれないわね」

 不貞腐れたアッシュの言葉に魔女が悲しそうに反応した。その顔は魔女ではなく、まるで人間のようだとアッシュは感じた。

「あなたには私の手下になってもらいます。最初に言った通りにね。……拒否権がないことはわかっているでしょう?……あなた、名前は?」

「————アッシュ」

燃えかすアッシュってほんとうにそれがあなたの名前?」

「そう名乗っているだけだ。個人を識別するためのただの単語だと思ってくれて構わない」

「ふーん、世捨て人ってこと?まあ、私も似たようなものだから深くは聞かないけど。私はアリシア」

 そう名乗っているだけだけど。なんてアッシュと同じように付け加えて、にやっと笑って見せた。その表情は本当に魔女のようだった。


 ————そうして、アッシュの無期雇用契約が決まったのであった。

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