プロローグ②
朝になると、アッシュは誰にも告げずに寝床を抜け出した。
昨晩、バカ騒ぎをしていた宴の跡では、どいつもこいつもアホ面を並べて足の踏み場もなかったが、隙間を縫って洞窟の外へと出ていく。
その日は、この上ないほどの快晴で、晴天の空には煌々と太陽が輝いていた。
この天気ならば、半日ほどで魔女がいるという森まで着くことができそうだ。
昨日はあれほど嫌々だったアッシュでも、自然と足取りが軽くなるような、そんな気持ちのいい天気だった。
洞窟を出て一人、歩いても歩いても見渡す限りの木々に山、変わり映えのしない景色を眺めながらひたすらに歩いていた。
昼近くになると、昼食と小休止を兼ねて川で魚を獲って焼いた。
アッシュにとって、自給自足の技術は盗賊団に入ってから手に入れたものだったが、慣れた様子で火をおこし、魚を捕まえた。
魔女がいるという森は、一目でわかるような異様な雰囲気を持った森だった。
生えている木々、その下に自生するキノコ、花や雑草に至るまで周囲の山々と違う生態系を持っていた。それなりに国内をめぐってきた自信のあったアッシュにすら、見たことがない種類の植物が自生しており、それはここに魔女が住んでいると感じ取るには十分だった。
そんな森の中へとアッシュは意を決して一歩踏みだした。
先ほどまで歩いていた場所も同じように自然に囲まれていたが、まったく変わってしまった景色の中は微妙な不安感をあおった。
ふいにガサガサと茂みが揺れる。
反射的にアッシュは飛び退いた。揺れた茂みを睨みつけ、まるで次の瞬間には魔女に襲い掛かられるんではないだろうかという恐怖に額を湿らせた。
再び茂みが揺れる。そして次の瞬間、首を出したのは小さなリスだった。
ふうっという息とともに、張っていた緊張感が抜けていく。慣れない環境の中で、必要以上に緊張してしまっていたと、アッシュは自らを戒めた。
出てきたリスはアッシュと目が合うと、初めて人間を見たせいか、驚愕で体を縮こまらせると、あわあわと慌てて木の幹によじ登って葉の中へ消えて行ってしまった。
リスがいなくなった後も、アッシュはリスの後姿を見つめていた。それは顔を合わせた際に、妙に人間らしい、いうなれば見張っていた相手と目が合ってしまって、反射的に顔を逸らしたような表情に見えたからだ。
「まあ、いいか」
ああいう小動物がすぐに戻ってくることがないことはアッシュも知っていたので、すぐにあきらめ、森の散策へと戻った。
さきほどまでは恐る恐る進んでいたのが、茂みから出てきたリスの姿を見たおかげか、アッシュの足取りは軽くなっていた。
ずんずんと森の深くへと進んでいたアッシュの足がふいに止まった。
「これは、道か?」
急に視界が開け、整備されたであろう地面が姿を現したのだ。
周囲にはなにも見えず、特段なにかあるわけではない。だが、うっすらと残る足跡がそこを通ったものがいることを示していた。
この足跡の先に魔女がいるのだと考えると、恐怖で背中が汗ばむのを感じた。
だが、アッシュはそこで止まろうとしなかった。怖いもの見たさか、それとも森の異様な雰囲気に感覚がマヒしてしまっていたのか、いずれにせよ、アッシュは足跡をたどって歩いた。
それからじきに、人が住んでいると思わしき建物が視界に入った。
木々のない開けた広場のような場所の中央に大樹が立っており、そこのふもとに二階建てのそこそこ立派な屋敷が建っていた。外からでは中の様子はわからないため、家主がいるかどうかはうかがい知れない。
中の様子が分からない以上、このまま屋敷に近づくのは危険と判断し、アッシュは茂みへと身を隠した。そのまま茂みの中を移動し、屋敷の様子をうかがえる場所を探した。
ちょうど窓から中の様子がかすかに見える地点を見つけ、そこから屋敷の中をうかがう。
中ではなにかが動いているようだった。人かどうかすら判別ができなかったが、たしかになにかが動いていた。それだけでアッシュの動きを止めるには十分だった。
どうするべきか、アッシュは考えた。
今回の目的は、魔女の屋敷に侵入し、何かしらを盗んでくること。であれば、ここで無理に屋敷に入る必要はない。寝静まった深夜まで待ち、家主であろう魔女が寝ている間に事を済ませるほかないだろう。
ここまで長丁場になるとは思っておらず、一昨日の自分の適当さを呪った。
日が沈むまで屋敷に動きはなく、大きく変わったことと言えば中の明かりがともったくらいだろうか。
それからさらに時を待ち、屋敷の明かりが消えたのを確認すると、アッシュはようやく動き始めた。
しゃがみながら音を立てないように慎重に茂みから出て、覗き込んでいた窓の下まで移動する。そこで聞き耳をたて、中から音がしないかを探った。
足音のような動きのある音がしなかったことで、家主は眠ったと判断して日中に見つけていた裏口からアッシュは屋敷に忍び込んだ。
明かりはついていないが、月明りが差し込んできているので、夜目の利くアッシュであれば十分に見える明るさだった。
忍び込んだ部屋は、本棚と本で埋め尽くされており、本棚に入りきらなかった本が床に積まれているような状態だった。しっかりとしたフローリングの床は歩いてもきしむ音一つ立てない。
こんな部屋に人がいるとは思っていなかったが、十分に確認したうえでアッシュは本棚を眺めた。ここに特殊な本でもあれば、それだけもらって屋敷を後にするつもりだったのだ。だが、期待に沿うような本はなく、見たところ一般的に売っているような本しか存在しなかった。
仕方なく、ほかの部屋を見に行くことにした。部屋にある扉は二つ、一つはアッシュが入ってきた扉、もう一つはその扉とは反対側にあるため廊下に続いていることは明白だった。
額を拭いながら、アッシュはもう一つの扉に手をかけた。警戒に神経を使っているせいか、玉のような汗が流れている。
ギイっと扉が音を立てながらゆっくりと開く。恐怖もあり、アッシュは扉の隙間から恐る恐る廊下を覗き込んだ。
人の気配がないことを確認し、安心するのもつかの間、足元をなにかが這っているような、なにかが走っているような嫌な感覚がずっとしていた。
悪寒を振り払うように廊下へ踏み出すと同時に窓から差し込んでいた月の光が陰った。光がなくなったところで、なにもない廊下では問題はないはずだった。————はずだった。
暗闇の中、紅いの瞳がこちらを睨んでいた。
ふたたび月の光が差し込むと、美しい女性の姿が見えた。
闇に溶けてしまいそうなくらいの長い黒髪、ルビーをはめ込んだような紅い瞳からはその奥にある不機嫌さを漏れ出させていた。
反射的にこの場から逃げようとしたアッシュだったが、一歩も動くことができなかった。紅い瞳の魔力に凍り付いてしまい、足が石になってしまったように動けなくなってしまったのだ。
「……あなた、だれ?」
女性の問いにアッシュは答えなかった。否、答えられなかった。喉が閉まってしまい、声も出せなかったのだ。
「まあ、いいわ。人手が欲しいところだったの。見た感じ、若くてそこそこ力もありそうだし、見た目も悪くない。カモフラージュにも使えそう。なにより、————無償の労働力って魅力的じゃない?」
そういう口元は小さく笑っていた。
アッシュは、後悔した。
ここへ来たこともそうだが、そんなことを罰ゲームにしてしまった自分の浅慮に。
徐々に近づいてくる女性に、アッシュは逃げることもできず、そのまま立ちすくんで、
「……うわぁああああああ」
叫び声は建物の外、森の中まで響くと、眠っていた動物の瞼をかすかに震わせた。だが、人の耳に届くことはなかった。
————それが彼らの出会いだった
燃えかすと魔女 ~Prologue Fin~
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