お狐様……!

あんみつ

第1話

有り金が底をついてしまいました。


私はその糞の役にも立たないスロット台に蹴りを入れます。ああ、またやってしまいました。我が事ながら、酷い癖です。人道に外れたやっては行けないことです。


麗しき民草が汗水垂らして得た”銭”は見事に消え失せました。人の世の、なんと業の深いことでしょう。


私は亜麻色に揺れる狐耳としっぽをしょんぼりとさせるしかありませんでした。私はこう見えても狐ですが、今は人の形をしています。この耳とふわふわの尻尾だけは健在ですが、こんな場所に日がな一日中いぼ痔と闘いながら座っていられるような人間達には私の耳や尻尾などほんの些細な問題に過ぎないのでしょう。


「あと僅かばかりでも”銭”があれば勝算はありましたですのに……」


チカチカと瞬く蛍光色が目に悪く、うざったいことこの上ないのです。


……前略母上様、水蜜桃すいみつとうは生きることに疲れましたのです。次は新台入替の時に来ますかね。私は立ち上がり、景品のお揚げさんを受け取ると、そそくさと店を出ました。


もう日が落ちていますね。


このような時間帯に私のような可憐な娘がほっつき歩いていると、飢えた狼のようなケダモノに狙われるのだとお母さまに聞いた事があります。狼とは、私達狐の一番忌み嫌う種族です。


「―─あ! 水蜜桃だ! 水蜜桃だ、水蜜桃!」


どこからか、郷愁を揺さぶるような懐かしい声がしました。白桃はくとうです。


彼女との仲は数百年にも遡ります。短い者でも数千年は生きると言われている私たちあやかしにとって、数百年来の友というのは、本の仲良しさん程度の物です。


まあ、彼女は私と血を分けた妹ですが。


「おねえ、また打ってたんか?おっかさんからバクチはやめんねってあれだけ言われとうのに」

「お黙りなさいです。水蜜桃はただ、博打で一儲けしてお母さまやお前のような不出来な妹に楽をさせてあげたいだけなのです……よよよ」


じー……。(そんな目で私を見るなです! )


何ですかこやつは。ちっ。本の四百年も前であれば私の常套句に涙さえ浮かべた事もありましたのに。

時の流れというものは全く、本の一介の狐風情の手に終えるものではありませんね。


「このような野蛮な街で生きていくには、”上”に媚びへつらって”コネ”をこねこねするより他に方法がないのです。おねえの苦労も分かりますね……?」

(これはあとひと押しで行けるやつです……! )

「ぐすっ……。おねえは相変わらず優しいとこあるわ」

我が妹ながら愛いやつです。

「それはそうと、おねえ。桃源神社の賽銭箱空やってんけど何かしっとう?」

「持ってけ泥棒ですぅぅぅ!

私は景品の油揚げを妹にくれてやることにしました。

「おねえがあたしに物くれるなんて珍しい事もあるなぁ〜、雪でも降らんといいけど」

「も……もうその話はいいのです!それより……なぜお前がこんな所にいるのです!」


「あ、そうやった! あたしお姉を手伝いに来たんよ。ほら、この神社の守り神はおねえなんやから、毎年お姉が神輿に乗らな始まらんやろ?」


「そういえばそんな事もありましたですね……しかし、よく聞きなさい妹。そりゃあこの世に生を賜って数十年の間は、下界のどんちゃん騒ぎに心も踊ったものです。ですが次第にあの日の感慨も薄れに薄れ、それから四百年余りもの時が経ち、この伝統行事とやらにも飽きが来ましたのです!

水蜜桃は毎年祭りの季節が来るとあの神輿に一日中座っていなければなりません。水蜜桃は腰が痛くなるのはもう懲り懲りなのです!うんざりなのです!」


「まぁまぁそう捲し立てんと……!おっかあがあんまり心配するもんだから、せっかくあたしがお姉の補佐をしにきたんやけど……お姉がそんなに祭りに出るんが嫌やったなんてなぁ……。愛するお姉のためやから、あたしが替え玉になったってもいいけどやな……。それにしても残念や。祭りに行ったらうまい酒がたらふく飲めるっちゅうに。」

「ぐっ……」


「それも!祀られる狐は特上の酒を献上されるやろ?」

「そういわれればたしかに毎年祭りには酒が出ますね……いいでしょう。お前は朝まで私とバクチでもしましょう。それが水蜜桃がお前に依頼する手伝いです。それから、今年はつまみもより豪華にするように若衆に申しておきなさい」


「しゃあないなあ。ほんまおねえは妹遣いが荒いんやから……」




✤✤✤

口元に朱を落とし、巫女装束に身を包んだ私は、神輿の上で盃を大量に煽っていました。


日は長くなっているものの、もう西の空は真っ暗闇、そろそろ宴もたけなわです。

若衆たちが引く神輿はカタカタと揺れ、酒もまわり気分も上場。賭博にご馳走の、まさに世は酒池肉林です。


私は、夏の夜のひんやりとした神輿の床板にぺったりとくっつき大層ごろごろとしておりました。


「流石おねえ、伝承に語り継がれる通り、並の酒豪じゃあないね」


「……ひっく。水蜜桃は外の空気を吸いにいくのです。後はお前が何とかしなさい」

「あ、おねえ!もうちっとであたしの勝ちや!掛け金ばっくれる気か!?」

「ほっほっほ!安心せい妹!明け方には戻るのです!」

「あっ、こら!おねえ!……あーあーまんまと逃げられちゃったな」





輿を出た時、なんだか嫌な気配がしました。なんだか変なのです。私がこの神社を守っている限り妙な妖は決壊を敗れないはずなのですが、まあ大方気のせいでしょう。今日はバクチでも負けが続いていて、あまりツキがよくありません。

「やっぱり……ひっ……ちょっど飲みすぎたかもしれないでしゅ……っ」




✤✤✤

ん……。……!?目が覚めると、妙な男が私を覗き込んでおりました。これが、田舎に居た頃母が言っていたケダモノでしょうか……。


水蜜桃はたしかに下界に住む者が目に入れるには尊すぎる存在なので、この男がこれから先どんなに美しいものを見ようとも心のどこかが満たされなくなるという運命に導かれてしまったことには同情の余地がありますが、水蜜桃とて一端の妖。


ここは人間と妖の違いというやつを見せつけてやりましょうか。それにしてもこの男、目元が鋭いです。まるで狼です。


「きみ、大丈夫……か?ああ良かった、目、覚めたんだな。よかったよかった」

「人間、わらわを娶りたいのであれば、正々堂々と向かうがよい!たとえたとえ、人間風情が相手でも、求婚の言葉ぐらいは……聞いてやっても良い。ただし、それが許されるのはわらわの強大な妖力を持って殲滅される覚悟のある者だけじゃ!」


「娶る……?俺は君が酔って倒れていたか……ああ、そういえばこの耳、この神社の……」


「何を独りでぶつぶつと言っておる。わらわはなよなよした輩は嫌いじゃ」

「あぁ、すまない。いや、何でもないよ。そうだな……」

……──。


なっ……。

「わらわの手に気安く触るでない、人間よ」

私が危うく妖力を解放しそうになったまさにその時でした。あろうことかこの人間は、私の手の甲に口付けしやがったのです。


「な、何をする人間!」


「お嬢さん、大変な失礼をお許しください。俺はあなたを好きになってしまったみたいです」


──なっ。


「おや、俺なんかの言葉に照れてくださったのですか?照れた顔もお可愛らしい」


──っ。

爽やかな笑顔でとんでもないことを言うやつです。よくもそんな歯が浮くようなセリフをつらつらと思いつけるものだと逆に感心するのです……。


「そ、それより!即刻この手を離しやがれです!!」

そんな寂しそうな顔をしても私の心は動かないのです!恥を知れです!


「やれやれ、振られちゃったか……冗談だよ。俺はきみみたいな可愛い子にアタックする勇気なんてないさ」

飄々として掴めないやつです……。水蜜桃はこういうヤツは苦手なのです。


──何ですか、この手は。

「だから気安く触れるなと言っておる!」

「ごめん。可愛すぎてつい、ね」

この男……!わざとらしいにもほどがあるのです!!


「……っ!もうよい。わらわはもう大丈夫じゃ。さっさと行け」

「俺は酔い潰れてる女の子放って帰るほど冷たい男じゃないんだけどね」


「ああ!もう良い!好きにしやがれです!」

「あれ、そんな口調だったっけ?」

「もう許さないです!堪忍袋の緒がブチ切れたです!」

「ごめんごめん、お詫びになんか奢るからさ、機嫌直してよ。」

……。

──私の目にうつったのは、赤い宝石……りんご飴……ではなく……唐揚げのガーリック増し増しでした。イカ焼きも捨て難いのです……でもここは……。

「り……りんご飴……りんご飴がいいのです」




✤✤✤

「なかなかうまいですね、りんご飴というやつは……むひゃむひゃ」


「そうだろう。そうだろう!祭りで食べるりんご飴は別格だろ?」

「お前が食べておるのはしゃかしゃかポテトなのです……」

「俺は甘いものは苦手なんだよな〜、りんご飴も君みたいな女の子が食べてくれた方が嬉しいと思うよ」

この人間、口が止まらないですね。妖を誑そうとは……面白い人間もいたものです。


─……─寺くん!

「──小野寺君!」


おや、人間がこちらに向かって走ってくるようです。あれは──


「小野寺くん!はい、焼きそば!」

「お、さんきゅ。祭りの焼きそばって妙にうまいよな」


お前は祭り大好き人間ですか……。って、何なのですかこの女は!!艶のあるアッシュグレーの髪をさらりと流していて、ちゃんと出るとこは出ている……モデルのようなたたずまい……はて……。


私は巫女装束の上から、特に意味はないですが自身の胸元を触ってみました。ない!何がとは言いませんが、この女にあって私にないものがありました。それに、なんとも言えず庇護欲をそそるこの顔つき……。


「あ、それと氷で冷やされてたジュースも買ってきちゃった♪祭りと言ったらこれだよね。あ、そういやその子……小野寺君の知り合い?」

「この子?さっき近くで倒れててさ、女の子があんなとこで倒れてるの見てほっとけな……あ、ちょっと!どこ行くんだ!君!」


────水蜜桃は、水蜜桃は。




✤✤✤

「探したでお姉!どこ行ってた……ん。どしたん。おねえ、なんで泣い……。」

「白桃!これを受け取るです!もう水蜜桃には必要ないですから!」

「え?なんでりんご飴……。あ!え?ちょっと待ってよ!姉ちゃーーーん!!」


水蜜桃は馬鹿です。大馬鹿です。妖狐ともあろう者が、ちょっとばかり褒めそやされたからといってあのようなろくでなしに傾倒するなど……あってはならない事です!


──……。


どこからか、しゃんしゃんという鈴の音が聞こえてきました。鼓太鼓に尺八……どんどん音が大きくなっていきます。雑木林が揺れ、視界が霞み……。


「君、そこから離れなさい!」


私は何者かに背を押され、吹っ飛びました。いったたたた…どこのどいつか知らないですが何しやがるです!!。

気がつくと、さっきの男が頭を抱えて倒れ込んでいました。


「っ……やめ……」

と……吐血……こやつは何故……。


「おい人間、起きるです!!」

「いっ……あた……まがっ」

────。

「どこのどいつか存じませんが、そう易々と水蜜桃の背後を取れると思わないでくださね」

群青に染まる火炎が横凪に空を切ります。


「水蜜桃はここです。妖術を闇雲に使ってかすり傷ひとつ負わせられないようでは、水蜜桃を倒せませんよ」


柳の大木に飛び乗った私は、身体中に獣の性が蘇っていくのを感じました。

ここ数百年、めっきり獣の体には戻っていないのでなんだか全身がバキバキします。

顔を覆うように銀白色の毛が生じ、口元は獣地味たものに変わりつつありました。

月明かりに、獣の毛が影となってはっきりと映ります。


「おや、お前はまた相も変わらず女に守られておるのか。ふっ、陰陽道が聞いて呆れる。しかも今度は女狐ときた。ほんに憎らしいやつじゃ」


奴は姿を現しました。長く伸びる黒髪を腰の辺りまで伸ばした、普通の女に見えます。頭から生える二本ののツノをのぞいては。


「お前が死ぬか、儂が消えるかじゃ。千暁よ。お前が陰陽師である限り、私はお前を殺さねばならぬ」

「この杜を統べる妖が水蜜桃である限り、悪鬼がのさばっているのを見ぬふりは出来ません!」

「今は犬っころに構っている暇はないのじゃよ。悪いが動きを封じさせてもらう」


煙幕が立ち上り、火炎は勢いを増していきました。そこら中薄青い炎に包まれ、木は朽ち、どこからか祭囃子の音が響いてきます。


「ふふっ……お前は相も変わらず愛い顔つきをしておる。」

「ははっ、俺も、久々にお前の顔見れてよかったよ……しかし、君は少し愛情表現が暴力的すぎっ……ぐはっ」




✤✤✤

一方その頃水蜜桃は、煙幕に囲まれ身動きが取れなくなっていました。

炎の影からちらちらと、あの男が血を吐いて倒れながらも鬼娘の手を取っているのが見えました。本当に懲りないですね……。

あんな男に泣かされるのは愚か者のやることです。あの鬼娘、まさかあやつに……。


「ごほっ……こほっ……」

「こんな夜遅くに出歩いているからまた持病を起こすのじゃ。安心して儂に殺されい」

さっきからいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃゃと!!

なんだか分からないですが、無性にむかむかするのは気のせいでしょうか。

──。

「今宵はいいものを見た。お前の苦しむ顔は何にも変え難い。また相まみえようぞ。気が向いたら今度こそお前を殺しに来るやもしれん。精々お前も鍛えておくのじゃな」

いつの間にか鬼娘は消え去り、辺りには炭になった木片が散らばっているばかりでした。


──。

「小野寺くん!急に居なくなって……ほんと心配したんだから!一体今まで何して……」




✤✤✤

「なるほどね……この人、不幸体質っていうか、そういうの引き寄せやすい人なの。それにこのチャラチャラした女泣かせな性格でしょ。陰陽道の家系なのに悪霊に惚れられちゃって、ほんとしょうがない人……」


「それで、貴様はあの男の何なのですか……」


「私?彼女……とは言えないかな。告白したのは私なんだけどね、私、このお祭りが終わったらあの人のこと振ろうと思ってるんだ。

今日はね……あの人のこと諦めるつもりで来たの。あの人のそういうとことか、あの人が誰にも話したがらない昔のこと……全部わかってたつもりだったのに。

あの人は私に、本当の意味で心を許してくれることはないんだって今日のお祭りでそう思えたら、私、諦められると思ったの。

諦めたかった……だってこんな男に惚れちゃったら、結末はバッドエンドだって分かりきってるんだもん」


「安心しなさいです。ああいうのは地獄に落ちるって相場が決まってるです。」


「小野寺君ってば、地獄でも女の子ナンパしては泣かせるんだろうな〜。あいつ、根は腐ってないんだけど、女の子に対して軽すぎるのよね。本気になってたの、わたしだけだったのかな〜。なんかバカみたいだね。

自分より二歳も年下の男の子に告白してさ、こっちがどぎまぎさせられちゃってるの……」


水蜜桃は、気絶している千暁という男を観察してみました。


「貴様は、もうこやつに未練はないのですか?……ないのであれば……水蜜桃が飼ってやってもいいのです。陰陽師は何かと役に立ちますから。」


「私、来月から留学が決まってるの。半年は帰ってこないと思う。もう会うこともないと思ってたけど……この顔見てたらなんか諦めつかなくなってきちゃった。私、帰ってきたらもう一回彼にアタックしてみるつもり」

……。

「おいちょっと待てです!そこは、もう未練はないと言うのが筋なのです!!諦めたいなら潔く諦めろです!水蜜桃はこの男にこれっぽっちも気がある訳では無いですが、お前のような往生際の悪いやつは嫌いです!!」


「ははーん。あなたもあの性悪男の罠に引っかかったってわけね。いいでしょう!私が日本に帰るまで!彼のハートを奪えるものなら奪ってみなさい!これは宣戦布告よ!」




✤✤✤

「水蜜桃、おいで」

着流し姿に扇子を持った男が、またやって来ました。

何故か私のしっぽは揺れ、いつの間にかこの男の隣に座っています。

「おねえ、バクチの続き……」

「なんの事です!凜々蝶は賭け事や酒やつまみのようなおじさん地味た趣向を好んでいた覚えはないのです!」

「完全に手なずけられてるわ、おねえ。ほんまえらいこっちゃ……。」

前略母上様。──水蜜桃は、四百年余りも生きていますが、このような面白い人間を見たのは生まれて初めてです。


























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