第7話 日向マヒル
二人は廊下を歩いた。
「フレア、どこ行くんだ?」
「本を返しに図書室。量子力学を調べたけど、この世界と前世の世界はマルチバースの関係だと思う」
「マルチバースなら知ってるぞ。映画で見たからな」
図書室につくと、静かな空間に、ひとりだけ生徒がいた。女子生徒がテーブルに座り、本を読んでいる。
人の気配に反応したのか、女子生徒が顔を上げ――ハルと目が合う。ハルはすぐに視線をそらすが、女子生徒は瞳を揺らし、おどろいた様子だ。
「返してくる」
「ああ」
ソラが貸出機の方へ向かう。
なんとなく、ハルは本棚の間を散歩した。本がたくさん詰まり、古い紙の匂いが漂っている。
「あの……」
「うん?」
声をかけられ、振り向くと、女子生徒が立っていた。160ほどと背が小さく、栗色の髪をボブヘアにし、顔に幼さのある、かわいい女の子。
「わたし、1年の
女子生徒――マヒルは顔を赤くし、怯えるように手を握り合わせている。
「違うな」即答する。いまも昔もハルは童貞。子供など、いるはずがなかった。
「え? でも……セロニカ」
「なあ⁉ 俺を知ってるのか?」
「くぅーん。やっぱり、パパだあ」
表情を輝かせたマヒルが、ハルの胸に抱きつき、「くふふ」と赤ちゃんみたいに笑う。
「おい、待て! パパってなんだ⁉ 俺は知らないぞ」
「パパ。わたしが分からないの?」
抱きついたまま、目をうるませたマヒルが顔を上げ、キスの距離となる。
(なんだ⁉ この状況?)首を長くし、童貞は逃げた。
「そうだ」
なにを思ったのか、マヒルが手とひざを床につけ、四足歩行の姿勢になった。
「わたしの背中に乗って」
「なんで⁉」
「早く、早く」
ハルは混乱し、判断能力を失っていた。だから言われるがまま「……じゃあ」と女の子の背にまたがってしまう。
「行くよ」
笑みを浮かべ、マヒルが歩きだす。
(……あれ、なつかしい)
マヒルの茶色い髪の毛、背から伝わる揺れ。なんだか見覚えがあって、馬に乗っている気分。
馬?
「おまえ……ポネか?」
「ああ、やっと気づいてくれたあ」
「ポネ! 人間に生まれ変わったのか」
目の前に影が降り、マヒルが足を止める。
「これは…………なに?」
本を返し終えたソラが立っていて、表情を凍らせていた。ソラからしたら、この状況の意味が分からず、女の子をいじめているとしか思えない。
「いや、違う!」
自分の異常行動に気づいたハルが立ち上がり、言い訳する。
「ポネだよ。ポネ。ポネが生まれ変わって、人間になったんだよ」
「ポネって馬の?」
「そうだよ。そう」
マヒルが立ち上がる。「パパ、この人は?」
「パパ?」ソラが目を細める。
「フレアだよ。フレア。一緒に旅してた」
「え、フレアさん⁉」
3人は、テーブル――ハルとマヒルがとなり合うよう腰をおろし、正面にソラが座った。
「パパ、なでて」
「おお」
マヒルの髪をなでると、やわらかさが指の間をすり抜ける。
じゃれ合う二人を前に、変な気持ちになりつつ、ソラが口を開く。
「日向さん。情報を共有したいから、いつどこで前世の記憶を思い出したのか、教えてくれる?」
「うん。わたしが思い出したのは、3日前、山を登っている時。少し前から夢を見るようになって……山を登っているのにつかれなくて……自分が馬だと気づきました」
ソラがあごに手を当てる。「思い出す時期はランダムね」
「つかれないってことは、馬の力が戻ってるのか。うん? 力が戻ってるってことは……魔法、使えるのか?」
身体能力が前世基準になっているなら、魔法も使える。当然の発想だ。
「いえ。試したけど、使えなかった」
「そうか。俺の力、剣がないと発動しないからな」
ハルは右手を見つめた。手に宿るパワーが熱を発し、存在を訴えてくる。
「パパの力、伝説になってるよね?」
「そういえば、アニメでよく見るな」
「アニメは分からないけど、伝説は有名ね。……前世の記憶が無意識に残っていて、描いたのかも知れない」
ソラの説が正しい証拠に、前世の世界に存在したドラゴンやスライムが、この世界では架空の生き物として登場する。
ふと、ハルの視線が、テーブルの上の本に向く。
HEROES TRAIN。
そのタイトルが気になり、
「ポネ、なに読んでたんだ?」
と聞いてみる。
「昔のファンタジー小説。ここに出てくる勇者と馬がね、かっこいいの」
挿絵を見せようとし、マヒルが本を開くと、挟んでいた栞が落ちた。反射的に腰を浮かせ、ハルがテーブルの下に潜る。
(あれ、見えそうだ)
椅子に座り、スカートをはくソラ。
パンツを拝めるかも知れない。期待で体が熱くなり、栞が床にくっついて取れないふりをしながら、視線を下げていく。
(ダメだ。見えない)
スカートの中に光は届いていなかった。きれいな太ももだけで十分だが、暗闇のおくにある宝箱を開けたい。
ガチャ、と椅子がずれ、ソラの太ももが直立する。ハルが上を向くと――不快そうに目を細めたソラが、こっちを見下していた。
「⁉ 腰が痛くて」慌てて、ハルも立ち上がる。
「詳しくは聞かないけど」ソラが座る。「いまの私は女子だから。変なこと、しないでよね」
「くぅん」
突然、目をこすり、マヒルが泣き出した。
「どうした⁉ ポネ」
(悲しかったのか⁉ 俺の行動が、そんなに悲しかったのか⁉)
ぐちゃぐちゃになった声でマヒルは言う。
「わたし……人間の言葉で、パパと話したいってずっと思ってたから、うれしくて」
「そうなの……」
「パパ、フレアさん。もっと話そう」
「ああ、そうだな」
ハハハ、とハルはぎこちなく笑った。
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