第4話 春風ハルオ

 現在。2021年、4月、日本。

「はあ!」春風ハルオは勢いよくベッドから起きた。荒くなった息を整え「夢か……」と頭を抑える。

(……ドラゴン……スライム……思い出せない)

 最近よく夢を見る。内容はいつも、セロニカの冒険談――なのだが、目覚めると同時に内容を忘れてしまう。

「起きるか」

 自室をあとにし、ハルは階段を降りた。


 本人は気づいていないが、春風ハルオとセロニカの顔は同じだ。幼さのある丸っこい目、くせっ毛のせいで少し跳ねた黒髪。違うのは、セロニカの瞳が水色に対し、ハルは黒っぽい茶色。


 リビングに入ると、母がキッチンでフライパンを洗っていた。

「おはよう、ハル」

「おはよう」

 ハルは朝食が用意してある、ダイニングテーブルに座った。メニューはトーストに目玉焼き、ヨーグルトだ。

 フライパンを洗い終えた母が、ハルの正面に座り、リモコンでテレビをつけると――情報番組がやっていて、男性アナウンサーがニュースを読んでいた。

『燃える太陽から未知のエネルギーが放たれ1年。世界中で異常な事件が起きています。血を抜かれた死体。嵐の中を飛ぶ影。赤く染まった海。100メートルを5秒で走る男』

 アナウンサーの言葉と一緒に映像が流れる。

 血を抜かれた死体――水分が完全に抜けたのか、イタリア人女性の死体が、ミイラのように干からびている。

 嵐の中を飛ぶ影――暴風の中、空中に人影が立っていた。人影の背には翼がはえており、映画のワンシーンを思わせる。

 赤く染まった海――青く澄んでいたカリブの海が、赤く汚れている。

 100メートルを5秒で走る男――2020年オリンピック、男子100メートル走、黒人選手が4.97秒のタイムでゴールする。走り終えたあとのインタビューで『なぜ、5秒で走れるのですか⁉』と質問され、『前世の力が戻ったのさ』と選手は答えた。

 画面が男性アナウンサーに戻る。

『本当に前世が存在するのか? この地球で何が起きているのでしょうか?』

「恐いわね」母がテレビを消す。「ハルの学校でも、変なこと、起きてたわよね?」

「ああ、生徒の半分が休んだ事件ね」

「どうして嬉しそうなの?」

 ハルは口元をにやけさせていた。

「ファンタジーの匂いがするからさ」トーストをかじる。「前世、いや、異世界の扉が開いたのかも知れない」

「……今日から高校2年生になる子が、なに言ってるの? そういう妄想は中学生がすることでしょう?」

「分かってないな。母さん」

 目をつぶり、首をふり、得意げな顔でハルは言う。

「ファンタジーな世界に行ってみたい。魔法を使ってみたい。男なら持っていて当然の異世界欲。それが少し、俺は強いだけなんだよ」

「理解できないわ」

 頭痛を抑えるように、母はひたいに手をやった。




 春休みが終わり、今日から学校。

 制服――ワイシャツの上に紺色のブレザー、黒灰色のズボンに着替え、ハルは住宅街を歩いた。晴れた良い天気で、久しぶりに革靴をはくせいか、足が痛い。

 やがて、前方に十字路が見え、正面からたくさんの生徒が歩いてきていた。まっすぐ行ったところに駅があり、電車通学の生徒たちだ。

(ソラさん)

 ドキッ、と心臓が跳ね、鼓動が早くなる。生徒の集団の中に、クールという言葉がよく似合う女子、夏目ソラがいた。

(朝からラッキーだな)

 わくわくと嬉しい気持ちになり、ハルはにやける。好きという訳ではないが、入学式の日からずっと、彼女のことが気になっていた。

 ふと、下を向いていたソラが顔を上げ、目が合う。

 ハルはすぐに、ヤバい! と視線をそらす。

 おそらく、というか確実に、向こうはこちらを認識していない。こっちが勝手に意識して、恥ずかしくなっているだけ。

 なのだが――


(うん? あれ?)

 おどろいた表情で、ソラが立ち止まっている。

(俺のこと見てる?)

 しかも明らかにハルのことを見ていた。

(え? なにこれ⁉)

 突然のことにパニック。

 立ち止まるソラに対し、歩くハル。

 二人の距離が近づき――


「ごめんなさい。知り合いに似ていておどろいたの」

 距離が2メートルになったところで、ソラが視線を外した。

「ああ、そうなんだ」

 ハハハ、とハルは笑う。


 二人は横に並んで歩いた。目的地が同じだから自然とこうなる。

 道路側を歩く彼女は、前を向いて平然とした様子。

 それに比べ、ハルは。

(どうしよう⁉ 緊張する)

 気になっていた人との初めての会話。本来なら喜ぶべきだが、そんな余裕はない。

(なにか話さないと。でも、なに話せば良いんだ?)

 考える。

 考える。

 そして…………



「…………」

 童貞は沈黙した。

(ダメだ! 思いつかない)

 いますぐ逃げだしたい。そんな気持ちでいっぱいだ。

 童貞が何も言えずにいると、ソラが口を開く。

「ねえ、名前、教えて」

「え、ああ、名前ね。春風ハルオだよ」

「そう。私は夏目ソラ。よろしく」

「ああ、よろしく」

 夏目ソラ――あらためて聞くと、良い名前だと思った。学校では、ほとんどの生徒がソラを知っている。一番かわいいと評判で、テストの成績が常にトップだ。

「「…………」」

 会話が続かず、お互い沈黙する。こんな時に限って、車も通らなければ、うるさく笑う生徒もいない。

 その静かさが、ハルには世界の終焉に思え、ほんの少しの勇気を持てた。

(ダメだ。ここで黙っちゃダメだ)

 表情に力が入る。

「さっき、俺が知り合いに似てるって言ってたけど?」

(もしかして彼氏か?)

「そうね……」

 困った顔で、彼女はあごに手を当てた。

(なんだ?)

 ソラの表情の変化に意味を感じ、クエスションマークが浮かぶ。

「昔の知り合い……だと思う」

「そうなんだ」

 彼氏ではなかったようで、とりあえず安心する。しかし、歯切れの悪いソラの回答が気になった。



 2年生に進級して、新学期の初日。学校に到着したハルとソラは、廊下の掲示板――クラス替えの結果に目を通す。

「俺、6組だ」

「私と一緒ね」

 階段を登り、2年6組の教室につくと「それじゃあ」とソラが軽く手をふった。

「ああ、うん」

 ハルがうなずいて、二人は解散する。



 *********


 席に座り、フフフ、とにやけるハル。周りはそれを変な目で見ているが、本人は気づかない。

「おはよう、ハル。同じクラスだね」

 友人の入折いおりルカがやってきた。ルカは明るい茶髪で、やさしい顔つきの青年だ。

「ルカ、すごい話がある」

「すごい話?」

「ああ」

 ルカの耳元で、ハルがささやき――

「今日、はじめてソラさんと話した」

「え、どういうこと?」

 今朝の出来事を伝えた。


「よかったじゃないか」嬉しそうにルカはおどろく。

「俺にも彼女ができたな」

「いや、ハル」

「なんだ?」

「朝、少し話しただけだろ? 連絡先も知らない。友達になった訳でもない。これじゃあ、なんの進展もないよ」

 本当のことを言われ、ハルはまずそうな顔になる。

「まあ、そうだけど」

「話しかければ良いじゃないか?」

「それができれば俺は童貞じゃない」

 キンコーン! 9時を知らせるチャイムが鳴り、先生が教室に入ってきた。





 黒板の前に先生が立ち、ホームルームが始まる。

「みなさん、おはようございます。数学を教えていたので自己紹介はいらないと思いますが、私の名前は田村たむらカフェ。このクラスを担当することになりました」

 田村先生は39才の男性で、茶色の髪をオールバックし、四角いメガネをかけている。温厚そうな人で、実際の性格もやさしい。服装は白いワイシャツと黒のズボン。



 *********



 昼休み、カフェテリアのテーブルに向かい合うよう座り、ハルとルカは食事をとっていた。二人とも弁当を持参しているが、去年クラスが違ったため、ここにくるのが習慣になっている。

 ふと、近くのテーブルから、男子二人の会話が聞こえてくる。

「前世? そんなのフェイクに決まってる」

「100メートルを5秒で走る男はどう説明する気だ?」

「おまえ、知らないのか? 始まってるんだよ。人類選別計画が」

「はあ?」

「太陽を利用した兵器で人間の遺伝子を書き換える。それがフェーズワンだ。前世の記憶は副作用によるもの。そなえろ。選ばれた人間だけが生き残る新時代がくるぞ」

「……陰謀論より、前世があるって考えた方がよくないか?」

 差別と陰謀論を愛するのが人間だ。前世を信じる勢力がある一方で、陰謀論を信じる人も多かった。

 いわく、アメリカ軍とNASAが開発した新兵器がある。その兵器は太陽から発生する電磁パルスを増幅するもので、遺伝子の操作が可能。前世の記憶は脳が障害を起こした錯覚。世界中で起きている異常現象の原因は電磁パルス。アポロ計画で月面に降りたのも、兵器の開発のためで、目的は人口の削減。肉体を強化した人間に3人分の仕事をさせれば、人口を3分の1にできるという発想だ。

 男子二人が去り、ハルが口を開く。

「俺の前世は異世界で活躍した勇者だな」

「そんな訳ないだろ」

 はあ、とルカが息を吐く。

「もしかして、死ねば異世界に行けるのか?」

「ハル。本当に異世界があったとして、君がそこの住人でも、主人公にはなれない。モンスターにおそわれることもない。いまと同じように、普通に暮らすだけだよ」

「おい、バカなこと言うな」

「バカなのは君だよ。あれ……夏目さん?」

 ルカの視界に、夏目ソラの姿が映る。

「え、どこ?」

 ハルが振り向くと、15メートル先――カフェテリアの入口にソラがいて、目が合った。ソラはすぐに視線をそらし、販売機の方へ歩いて行く。

「ソラさん。いま、こっち見てたよな?」

「うん」

「…………」

 腕を組み、ハルは視線の意味を考える。

 そして。

「ソラさん。俺に惚れてやがる」

「…………うん」




 ********


 販売機でミネラルウォーターを購入し、ソラは、

(春風くん……セロニカ……)

 と少し遠くにいるハルを見つめた。



 ********



 放課後。席に座ってハルが帰る用意をしていると、ソラが近づいてきた。

「春風くん。一緒に帰らない?」

「え? ……いいけど」突然のことに反応が遅れる。

 そんな光景をながめ(どうしてハルと……)とルカもおどろく。

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