第3夜 [キョンシー]

【キョンシー】


「何故だか分からないけれど、ほら、一時期流行っていた、あの……キョンシーが怖かったんだよね」

 閉店後の職場で「子どものころ怖かったモノ」について、とりとめのないお喋りをしていると、傍らで作業をしていた同世代の女性社員がポツリと呟いた。

「あのピョンピョン跳ねてくるお化けが」

「今観たら、怖く感じるかどうかは分からないけれど」

 キョンシーというのは、こういった雑文を読む方には説明不要かもしれないが、東洋版吸血鬼+ゾンビのような存在である。正しく埋葬されなかった、若しくは邪な心を持ったまま死んだ死者が硬直した状態のまま墓場から甦る。

 皆さんの頭に思い浮かんでいるであろう特徴的な衣装は、埋葬する際に死者に着せる伝統的なもの。「化けて出てきた時に悪い意味で映えるような物を着せなくても」と思ってしまうのは現代日本の場合、死者に着せるのがシンプルな白装束だから、だろう。こういった文化の相違によって、余計に死者蘇生時に怖くなるお化けとしては、エジプトのミイラ男という大先輩が居る。閑話休題。

 キョンシーは人の血肉を食らう。嚙まれたり爪で引っかかれたりすると、正しい応急処置を施さない限り、生死を問わずキョンシーになってしまう。行動できる時間が吸血鬼と同様、夜間のみなのが救いである。

 日本では、八十年代後半にサモハンキンポーがプロデュースした香港映画「霊幻道士」がコメディとカンフーアクションの要素を加味したバランスの良さでヒットを記録、ついで台湾で制作された「幽幻道士」が、ヒロインのテンテン(私と同い年で現役の女優さんである)の可愛らしさもあって人気が爆発、二年間ほどキョンシー・ブームが吹き荒れた。粗製乱造の果てに本家「霊幻道士」が主役を交代して現在も継続中である。

 映画内では「呼吸を止めた状態の生者を探知できない」「鶏の血やモチ米に弱い」といったキョンシーの弱点が説明されており、取り敢えず私を含む全国の小学生たちは息を止める練習に明け暮れた。またシリーズが進むと偉大なる先達、ハマープロダクションにおけるドラキュラ伯爵のように「伝承があるのかどうか不明だが、あるとしても明らかに拡大解釈した対処法」が追加されていった。本家「霊幻道士3」で「大釜に油を満タンにしてカラッと揚げれば即座に成仏する」という難易度の高すぎる……というか明らかに失敗ありきの対処法が出てきた時には、さすがにどうかと思った。

 思い出話に花を咲かせていても担当編集さんが困るだけだと気づいたので軌道修正を施すと、実は私も子供の頃はキョンシーが怖かった。今でも少し怖いかもしれない。

 というのも、「霊幻道士」も「幽幻道士」もシリーズ一作目においては「キョンシーになると理屈も何もなく基本的に近親者を狙う」という設定があったからだ。「霊幻~」では埋葬方法を間違えた為にキョンシーとなった祖父が息子を殺し、最後の血族となった孫娘を狙ってくる。本作の場合は、間違えたというよりも、恨みを持っていた人物が故意に埋葬手段を間違えさせたという設定で、襲われる家族に一切の非がないのだから質が悪い。

 また「幽幻~」はキョンシーに殺された親方が、自分が息子同然に育てていた孤児たちを襲うようになるという筋書きで、なんとこの親方、第二作も続いてメインの敵役を務めている。生前の親方が人情味のある好人物として描かれているだけに主人公サイドも終始いやいやながらに戦っており、余計に厭な心持になったものだ。

 生前、特に問題なく付き合っていた親族が、お化けになった途端に敵意を剥き出しにしてきたら誰でも嫌だろう。そういった普遍的な恐怖が、実はキョンシー・ブームの根っこにあったのではないか、と直撃世代である私は思うのである。

 

例えば……。

 O君は「心霊写真を撮った瞬間に削除した」経験がある。

 誕生日祝いに父親を撮影したら、背後のベランダ、干した洗濯物がズラリと並ぶその中に、シャツを被った状態の男性が映り込んでいた。

 右手の平を窓に押し付けていて、それは搔きむしるような形で静止していた。O君は小さく呻いて、即座に写真を削除して撮りなおした。

 「それ、伯父さん……親父のお兄さんなんですよ、絶対。若いうちに亡くなったらしいんですけど」顔は見られなかったが、かつてアルバムで見た若い伯父の姿、その時と同じ古い米国製アニメのシャツを着ていたので間違いないそうだ。

 「自他ともに認める、凄く仲の良かった兄弟だったしいんですけど……」毎年写真は撮っているが、そんな異変は一度だけだという。少なくとも、今のところは。

 Mさんの実家には不自然な物置部屋がある。その部屋は、もともと母方の祖母が暮らしていたのだが、Мさんが小学生の時に肺炎を拗らせて亡くなった。

 一周忌が過ぎてから、その部屋の四隅に祖母が出てくるようになった。隅の方を向いて立っていたり、部屋の中を向いて正座していたり、形態は様々だが、決まって四隅に体の一部を寄せた形で出てくるのだ。

 家族が(誰が見たのか、という点だけ伏せてほしいとのこと。理由は不明)一度だけ、そんな祖母の顔を至近距離で見てしまったことがあったが、それは「激昂する一歩前のような顔」だった。特に生前、家族間でもめ事が無かったものだから、困惑した家族会議が何度か行われた結果、開かずの間にしてしまうのも申し訳がないから必要以上に大容量の物置部屋として使うことになった。

 実家を出て一人暮らしが長いМさんは「まったく化けて出てくる理由がないんですよね」と苦笑して、最後に「隅の方を向いて立っている時に、普通に立っている時と、つま先立ちになっている時があって、何かその差異には意味があったのでしょうか」なんて言うものだから、聞いていた私は首筋がゾワゾワした。

こういった話は他にも幾つか寄せられているのだが、派手に装飾した部分を取り除いたキョンシーの根源的な部分と、何処か共通するものがあるような気がする。

 

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