第51話 王城へと赴く王女と領主 (第三者視点)
――ピクトがバーギュ勢を取り込んでからはや一ヵ月。
ガルテニア王国の首都べレインは今なお変わらず繁栄の様子を見せていた。
首都というだけに、べレインの規模は周辺の町や村など比較にもならない。
円状の壁を三重に有したこの街は治安の面でも完璧で、冒険者なども多く抱えていて周辺には魔物どころか狂暴な獣すらいないのだ。
中央には天高くそびえ立つ塔の如き王城。
その周りには城壁と、網のように轢かれた貴族の屋敷の数々。
そのまた外側には貴族の暮らしを守る中央壁と、中~下級市民の家々。
そして外縁部には広大な畑を構え、ここで暮らす人々の生活圏をこの街だけで確立させている。
ただ、街を歩く人々の様子はどこか浮かない。
たとえ世間話をしていたとしてもしきりに周りの目を気にしていたり。
これが普段通りではあるのだが、誰しも外だと落ち着かないといった雰囲気を持っている。
これは単に、行き過ぎた流民制度の結果。
密告すること、されること。それが当たり前になり、常日頃人の目を気にするようになってしまっているのだ。
おかげで街の治安はすこぶる良い。些細な犯罪も起きないくらいには。
だが隣人さえも信用していない。犯罪者の仲間にされないようにと。
二〇年余りの年月がべレイン市民の在り方をここまで変えた。
国王のお膝元ゆえの総監視社会の形成である。
ここと比べれば、王の目が届きにくい遠方の方がずっと生きやすいだろう。
しかしだからといって出て行くことも叶わない。
出て行けば「何かやましいことがあるのでは?」と勘繰られてしまうからこそ。
そう、民衆は既に流民制度の傀儡と化してしまっている。
もう逃げ出すことも叶わないほどがんじがらめに縛られて。
故に人々は心のどこかで願っているのだ。
いつか人を疑わずに済む本当の平穏が訪れることを。
……そんな人々の姿を、人目に付かない場所から覗く目があった。
「実に嘆かわしい。彼らはまるで泣いて歩いているかのよう。これでは奴隷と何ら変わりはないではありませんか」
それはエーフェニミス。
エルフの里の女王である。
人と触れ合うことが久しい彼女でもべレインの惨状はすぐ読み取れていた。
……いや、精神面でより進化している彼女だからこそか。
そんな彼女は今、街の中を走る馬車の中。
黒い箱型の荷台の中で、小さく開けられた穴から外の様子を眺めて一人呟く。
「これが圧政の結果ですか。長い年月を人と共に過ごした時もありましたが、これほど酷い様子を見たのは初めてです。これならばまだ強権の無い時代の方が栄えておりましょう」
「百年前にもエーフェニミス様はこのべレインに来られたと聞き及んでおります。その頃と比べて如何でしょうかな?」
「当時のべレインはまだ王が権威を行使していなかったため、街は自由に溢れているようでした。だからこその活気があったのを覚えています。もちろん治安はそれほど良くはなかったかもしれませんが」
エーフェニミスの前には退屈しのぎの対話役としてバーギュが座る。
今の彼は公用の貴族服を着込み、剣すら所持していない。
もっとも、武具は街へ入る際に貴族であろうとも押収されてしまう訳だが。
「私も幼少期を思い出しますな。四〇年も前になりますが、悪い友人と共に悪戯感覚で屋台の果物を盗んだこともありました。すぐ親にバレてこっぴどく叱られてしまいましたがね」
「ふふっ、それはとてもお悪い。ですが、その御友人はきっとそんな悪事に付き合いたくなるほど仲の良い方だったのでしょうね」
「ええもう。今では肩を並べるほどに信頼できる奴です。近いうちに紹介出来るやもしれません」
エーフェニミスと話すバーギュの表情はとても穏やかだった。
久しくしていない友人の話題というのもあったが、何より今の彼には己を縛る憑き物が何も無かったから。
彼女やピクトが全て拭い去ってくれたおかげだ。
「バーギュ様、間も無く中関門です」
「……わかった」
ただ、御者役のゼネリが小さい窓を開いてこう伝えて来ると、途端にバーギュの顔に強張りが生まれる。
エーフェニミスからも緩ませていた笑顔が徐々に失われていく。
彼らにとっての本番は近い。
それ故の緊張が二人を縛ったのである。
こんな時こそピクトが叩くような軽口が必要なのかもしれない。
だが今、そんな軽口を叩ける人物はこの場にはいなかった。
――そう。
彼はこの馬車どころか、この街のどこにすらも居なかったのだ。
☆☆☆☆☆☆
「よくぞいらっしゃいましたバーギュ侯。お噂は伺っております」
「御託は良い。早急に国王陛下に取り次ぐのだ」
「ハッ、先ほど伝令を送りました故、少々お待ちを」
――城門前。
迎えた門番をバーギュがいつも通りの冷徹な態度で応対する。
彼の強面と強情さはここでも有名。
国王に直訴も可能な立場ゆえに兵たちも緊張を逸せず、手に掴む槍のように体を真っ直ぐと伸ばして佇んでいて。
そんな中、早速と伝令の兵が駆け足でやってくる。
「国王陛下より伝令! 謁見の間にて待つ、とのことです!」
「うむ。では――」
「た、ただし! 通して良いのは女王のみとのこと!」
「ぬぅ!? 何故だ、この私がわざわざ直々に女王を連れてきたのだぞ……?」
「り、理由は聞かされておりません。ですがそうしろとのご命令でして……」
しかしまさかの入城拒否に、バーギュがたちまち怒りの形相を見せつけた。
これには兵たちも揃って狼狽えるばかりだ。
ただ、その表情も「ギリリ」と歯軋りを見せるとすぐに収まっていく。
「チッ、まあいい。おい女王、出ろ!」
「わ、わかりました。ですから乱暴はどうかお許しを……」
そんなバーギュが強引にエーフェニミスの腕を掴み、引きずり下ろすように馬車の外へ引っ張る。
するとエーフェニミスも弱々しい仕草を見せながら彼に追従、今にも泣き崩れて倒れてしまいそうな様子だ。
初めて見るエルフの姿に、兵たちも初めは動揺した。
だが想像よりも弱く見えたからか、顔を引きつらせた片笑いへと変わっていく。
その下卑た笑いを見たバーギュは「ピクリ」と眉を震わせるも表情は変えず。
エーフェニミスの腕を引いて突き出し、伝令兵を睨みつける。
「国王陛下が所望する大切な女だ。丁重に扱えよ」
「ハッ!」
「ただし私が連れてきたことをしっかりと強調して伝えるのだ。よいな?」
「も、もちろんです。では……」
兵はバーギュからエーフェニミスを預かると、彼女の腕を掴んで城の中へ。
そんな様子を前に、バーギュは腕を腰裏に回しつつぼそりと呟く。
「頼んだぞ……」
彼が誰に、何のためにこう呟いたのかは、この場にいる誰もわかりはしない。
だがこの時のバーギュの表情は、兵士たちが見たことも無いほどに澄んでいたという。
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