狂人が治癒スキルを獲得しました。

葉月水

第1話 退屈な世界

 ——退屈だ


 月下快つきしたかい。9歳は辟易していた。

 何に?というか、世界にだ。


 何を9歳で大袈裟なと思われるかもしれないが、これは冗談でも子供特有の大言壮語では無い。


 というのも、俺は生まれた時からの記憶を保有している。


 恐らく、幼児期健忘が起こらなかったのだろう。大抵の人間は3歳以前の記憶を憶えていないが、俺はどういうわけか生まれた時からこれまでの事を鮮明に覚えている。


 そのバグの影響か、元々の性質か、理由は定かではないが俺は周りと比べて大分早熟だった。身体的にではなく、精神的な部分においてのみだが。


「はい、皆さーん。ここまでは理解できましたかー?分からない人は手を挙げて質問してくださーい」


 ガヤガヤと全体的に落ち着きのない教室で、懸命に算数の授業を進行する女教師。


 しかし、その懸命さとは裏腹に授業なんて既に成り立っていなかった。その証拠に、説明をしている最中でも問答無用で笑い声や話し声が飛び交っている。


「質問も何も誰も聞いていないだろうに」


 余りの不憫さに思わずボソリと呟くが、その声でさえ周りの喧騒に掻き消されてしまう。


 まぁ、かくいう俺も授業なんて聞いていないのだがな。


 俺の精神は、既に成人した大人と遜色のない程にまで成長している。勉強の進み具合で言っても今すぐ高校受験をしても相応の学校に入学できる程には進んでいるだろう。


 なら、今更小学生の授業を受けるメリットはないに等しい。言ってしまえば時間の無駄だ。


 しかし、現在の学年は小学4年生。いくら精神が成熟していても、身体や年齢はそれに合わせて成長してはくれない。


 フランスやアメリカみたいに飛び級させろとまでは言わないが、授業の免除くらいは考えて欲しいものだ。でなければ、義務教育というガチガチの鎖で繋がれ、少なくともこんな生き地獄が後6年は続く。


 いや、まず間違いなく続いてしまうのだろう。そんな都合良く法が改正されるとは思えない。


 故に辟易している。いや、これはある種絶望してると言っても良いのかもしれない。


 結末が分かっている物語ほどつまらないものはない。中には、楽しめるものも有るだろうが、それは結末までの過程が劇的な場合においてのみ言えることだ。


 漫画やアニメの中では、簡単に劇的な過程が描かれる。だが、現実はそうもいかない。


 俺の場合、進学や就職で四苦八苦する事はないだろう。精々、その先々での環境で揉まれるくらいか。


 ただ、それでも俺には退屈でしかない。いくつか歳上の奴らにいくら理不尽な事で罵倒されようが、微塵も痛くない。むしろ、こちらから煽っても足りないくらいだ。


 俺の人生は、先が見え過ぎてしまっている。故にどこまで行っても想定内でしかないのだ。


 常識の範疇でいう想定外と言えば、不慮の事故か身内の不幸かだろう。だが、どれもこれも起こり得る未来だし想像はできる。


 俺の言う想定外とは、いつ起こってもおかしくない事柄ではなく、起こり得ない事柄だ。それこそ空想のような。


 タイムスリップ、ゾンビウイルスの蔓延、ダンジョンの出現、異世界転移…せめてこのくらい突飛でなければ、俺は驚かないし、本当の意味で想定外とは言えない。


 幸せな人生とはどういうものを言うのだろうか?


 無為に過ごす時間があると、ふとそんな取り留めもない事を考えてしまう。


 受験して偏差値の高い学校に入り、その学歴を武器に給料の高い職に就き、結婚して、子供が出来て、いつしか子孫に看取られて…それが幸せな最良の人生なのだろうか。


 いや、違うだろう。少なくとも俺の感性では。


 ——俺は刺激が欲しい


 ありきたりな未来ではなく、もっとぶっ飛んだ現実。安定、安穏なんて要らない。想定も想像すらも超えるような非日常が欲しい。


 俺はきっと生まれる時代を間違えた。戦国の世なら俺はこんな退屈に嘆くこともなかっただろう。もっと自由に生きられた筈だ。


 腕を切り落としたら、目をつぶしたら、人を殺したら、どんなに心踊るだろう。どんな感触で、どんな感情になり、どんなに刺激的だろう。こんな俺でも罪悪感とか芽生えるのだろうか??


 つまるところ、俺は変化を求めている。自分の人生を劇的に変える。そんな変化を。


 しかし、俺の生きる現実は無情にも人に怪我をさせれば大騒ぎされ、人なんて殺そうものなら即刑務所に連行され、結局は普通に生きるよりもつまらない死に方をする。


 ——窮屈だ


 つまらない、何もかもが。

 時間経過と共に心が死んでいく気がする。


 だが、どれだけ待ち望んでも変化なんて起きてくれない。現に、新学期になってもあまり変わり映えのしない日々を送っている。教室は変わっても去年クラス替えをし、メンバーが据え置きなせいか変化が乏しい。


 唯一変わったことと言えば、今、現在進行形で目尻に涙を浮かべ、てんわやんわしている担任くらいだろう。にしても小さ過ぎる変化だが。


 ——コンコンッ


 俺がそうして教室の窓際の一番後ろ。いわゆる主人公席から、肩肘をついて自分の将来と担任に同情の目を向けていると、教室の前方の扉がノックされ一人の中年の男の教師が入ってくる。


「あのー、田中先生。隣も授業をしていますので、もう少し生徒達を落ち着かせて下さいますか?これでは、こちらのクラスの生徒達まで気が散ってしまいます」


「も、申し訳ありません」


「いえ、最初ですからね。まぁ、大変な部分もあるかと思いますが、頑張ってください」


「…はい」


 その男の言葉に、田中先生は申し訳なさそうに顔を俯かせる。

 

 しかし、もはや心の限界だったのだろう。助っ人だと思った同僚からの思わぬ追撃で、遂には目尻に溜まっていた涙をポロポロと溢れさせる。


 ——ガラガラッ


 しかし、無情にもその男は自分には関係ないとばかりに見なかった事にして、そそくさと自分のクラスへと戻ってしまう。


 これが新米教師への教育的指導なのだろうか。大人の男が少しドスの利いた声で生徒達に注意してやればすぐに大人しくなるだろうに…意味不明だ。


 まぁ、大人がガチ泣きしている姿は何だか新鮮で面白いから別にいいか。何ならようやく新学期を感じるしな。


「ねぇねぇ」


 俺がそうしてガチ泣き中の担任の田中先生を観察していると、隣の席の女児から声をかけられる。


「ん」


 反射的にその方向に顔を向けると、そこには知らない顔があった。


 その事実に、去年も同じクラスのはずなのだが…と一瞬困惑するが、思い返してみれば何もおかしいことはなかった。


 単に、俺にクラスメイトの顔や名前を端から覚える気がないから知らないだけだ。


 現に周囲の席の奴等を見渡してみても、全くと言っていいほど見覚えがない。恐らくは、名前を聞いてもピンとこないだろう。


 だが、その女児はそんな俺に構わず、無遠慮に質問をしてくる。


「これ分かる??」


 なにやら算数の問題を指差しているが…これは、四捨五入か。


 はっきり言って何が分からないのかが分からないし、無視してやりたい所だが…まぁ、田中先生とやらに丸投げすればいいか。


「あの人に聞いてこいよ」


「でも泣いちゃってるよ?」


「お前が質問に行けば嬉し泣きに変わるだろ」


 授業崩壊まで秒読みの中で一人でも意欲的な生徒が現れれば残り時間くらいは耐えてくれるだろう。我ながら優等生ムーブが過ぎる。


 てか、泣いちゃってるよ?って、泣かせたのお前らだけどな。物言いが完全に他人事だ。


 いや、待てよ。改めて考えてみれば俺にとっても他人事だな。


 実際、別にこのまま授業崩壊しようが学級崩壊しようがどうでもいい。というか、なんならそっちの方がイレギュラーで面白そうだ。


 気が変わった。少し煽ってみるか。


 俺は、俺の言葉通りに素直に泣いている田中先生の元へ質問しに行こうと席を立つ女児の腕を掴み、再度座らせる。


「やっぱり教えてやる」


「ほんと!!」


「あぁ、四捨五入だったな。4以下が切り捨て、5以上が切り上げだ」


「どーゆうこと??」


「これで理解できないなら、算数っていうか数字を諦めろ。最低限10まで数えられれば生きていける」


 確実に言い過ぎな自覚はあるが、こいつには悪いが泣いてもらう。小学生って泣くだけで馬鹿みたいに盛り上がるからな。周りが騒ぐ起爆剤となれ。


「ちゃんと教えてくれれば分かるもん!!」


「ちゃんと教えただろ」


「…なんで、イジワルするの」


「意地悪してるのはこの程度の問題を理解させてくれないお前の頭じゃないか?自分に意地悪してどうする。バカは大変だな」


「…バカじゃないもん。あたし、バカじゃないもん」


 もうちょっとだな。


「バカじゃないならいじめっ子だな。俺が一生懸命教えているのに、わざと分からないフリして意地悪してるんだろ」


「そんな事してないもん!…でも、バカは嫌。いじめっ子でいい!」


「え、いじめは犯罪なんだぞ?お前、犯罪者だったんだな。犯罪者は刑務所に入って、パパとママに一生会えなくなるんだぞ」


「え、う、うそ…ちが」


「後で警察に電話しとくからな」


 女児、大泣きである。


 その後クラスは、俺の狙い通り増して騒がしくなり、騒ぎを聞きつけた教職員達は場を納めようと必死になって動いていた。


 女児が教師共に俺の名前をひたすらに連呼し続けていたが、「勉強を教えていたら急に泣き出してしまいました。理解できなかったのが余程悔しかったのかもしれません」と、さもありそうな事をいってその場を凌いだ。


 女児はしきりに首を横に振っていたが、証拠もない為、落ち着いて説明していた俺の言い分が通った。ちょろいもんだ。


 ちなみに、田中先生は事態が悪化して女児よりも泣いていた。


 まぁ、程々に楽しめたな。だが、やっぱり退屈なのは変わらない。


 確かにこれも見方によっては非日常なのかもしれない。しかし、暇つぶしにはなったが、俺が求めてるのはこういうのではない。


 この程度じゃ、日常の珍しい一コマでしかない。


 だから、俺は居るのかどうかも怪しい神様に無駄だと分かっていても願わずには居られないのだ。


 面白いものを見せてやるから、いっそ異世界転生でも転移でも何でも良いからやってくれ…と。











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