藤原三兄弟(4)

 藤原伊尹これただがこの世を去ったのは、冬にほど近い晩秋のことだった。

 帝は病気平癒を祈り、伊尹のもとへ八〇名ほどの僧を送り祈祷をさせたが、その願いは届かなかった。

 死期を悟っていた伊尹は、病に臥せたことを理由に帝へ摂政を辞する上表をして、それを認められたのだが、その際に兼家と兼通の間でひと悶着があった。

 そのひと悶着というのは、次の摂政を誰とするのかということについての言い合いだった。伊尹の後継は自分である。ふたりは己の主張を唱え、帝の御前で言い合いをはじめたのである。その言い合いは段々激しくなっていき、お互いに罵倒し合い、終いには掴み合いの喧嘩になりそうになったところで、その場に居た左大臣の源兼明と右大臣の藤原頼忠に引き離される形で止められた。

「わしは納得いかんぞ、晴明」

 その翌日に呼び出された晴明は、顔に引っかき傷のある兼家から、その出来事の一部始終を聞かされることとなった。

 星を詠むと、いまは兼家の出る幕ではないということがわかっていた。兼家の星よりも、兼通の星の方が輝きを増しているのである。そのことを兼家に伝えるべきか晴明は悩んだが、それを言えば兼家が激昂することはわかっていたので、あえて口を噤むことにした。

「どうにかして、兼通あやつの鼻を明かしてやりたいのじゃ」

「ここは一度、きちんとした形で兼通様とお話し合いをされた方が、よろしいのではないでしょうか」

「馬鹿なことを申すな。話し合いは、帝の前でしたわ。兼通のやつ、そのような時だけ兄貴面をしおってからに」

 兼家は何か嫌なことを思い出したかのように苛立った表情になり「もう、よい」といって晴明を帰らせた。

 この兄弟にも困ったものだ。晴明はそんなことを思いながらも、伊尹の星が消えていくのを見守ることしかできなかった。

 そして、その日を境に、晴明が兼家から呼び出されることはパタリと無くなった。

 公務が忙しかったということもあり、晴明も兼家のことを気に掛けている暇はなかった。晴明はあくまで朝廷に仕える陰陽寮の天文博士であり、陰陽少属なのである。

 その日は宿直とのいであり、夜中まで陰陽寮で夜空を見上げながら晴明は公務に励んでいた。天文博士の職務には星を読み、何か朝廷に関する星の動きがあれば、その動きを帝に奏聞そうぶんする天文密奏てんもんみっそうというものが存在していた。天文密奏は、星の動きやこれから起こるであろう事柄などを書いた文書を密封し、帝に渡すものであり、それを見ることが出来るのは帝のみと限られている。天文博士という役職は、それだけ帝に近い存在ということであり、朝廷の重要な役を担っている職でもあった。

 陰陽寮の執務室で晴明が筆を執っていると、闇の中から声をかけられた。

 他の宿直の陰陽師たちは気づいていないようだが、晴明はその暗闇の中に顔を布で隠した男が潜んでいるのが見えた。それは晴明の式人であった。

「晴明様、大納言兼家様の屋敷で妙な者たちの出入りが確認されました」

「妙な者とは?」

「獣の面を着けた者たちにございます」

「……詳しく聞かせよ」

 晴明はそう言うと、執務室のすだれを下ろして、式人を中に呼び入れた。

 灯りのある場所に入ってきた式人は、晴明が大耳おおみみと呼んでいる者であった。大耳は内裏や公達きんだちの屋敷などに入り込み、様々な情報を得てくる式人たちを取り仕切る者であり、初老の男であった。大耳の格好は、陰陽寮の事務方である使部じぶと同じ着物姿である。そのため、大耳が晴明の執務室に入り込んでいても、誰も大耳のことを咎めることはなかった。

「東三条邸に入っているからの報告です」

 そう大耳は言うと、兼家の屋敷に出入りをしはじめたという者たちの話を語りはじめた。大耳の言うというのは、晴明の式人のことであり、大耳の配下についている者たちはと呼ばれていた。

「獣の面を着けた者たちは、月の無い夜に東三条邸に入って来ました。その者たちは輿を担いでおり、輿の中には若い女がいたそうです」

「ほう。若い女か……」

 その報告を聞いた晴明には、覚えがあった。

 獣の面を着けた者たちと若い女。かつて、晴明は鴨川の河原でひとりの女童と出会っていた。あの女童の周りには、獣の面を着けた者たちがいたはずだ。そして、女童が若い女になるくらいの年月が経過していることも確かであった。

「あの時のかんなぎであるか……」

「はい。晴明様の思われている通りにございます」

「何のために兼家様に近づかれたのだ」

「それは、まだわかっておりませぬ。現在、その者たちは東三条邸の離れにおり、なかなか近づけない状態にあります」

「わかった。今しばらく監視を続けてくれ。場合によっては私が東三条邸へ赴こう」

「承知しました」

 大耳はそう言って晴明に頭を下げると、執務室から出て闇の中へと消えていった。

 陰陽寮の宿直の者は、誰も大耳の姿に気づくことは無かった。

「巫か。なにやら面倒なことが起きようとしているのかもしれんな……」

 晴明はそう独り言をつぶやくと、夜空を見上げ、兼家の星と名付けている星を探した。

 その星に、特に変化は見られなかった。ただ、すぐ近くにある兼通の星の方が気になる輝きをしていた。

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