陰陽少属(6)
よく似た兄弟だ。
藤原兼通と面会した晴明は、そう思っていた。
顔などの容姿はもちろんのこと、話し方やその言い回しなども、そっくりだった。
「それで、兼家は何だと言っているのだ」
「いえ、何も言ってはおりません。それどころか、気づいてもおられない」
「なんだと、気づいていないのか、あいつは。子どもの頃から、そういったところが疎いとは思っていたが、まさか己に掛けられた呪に気づかぬとはな」
兼通は機嫌が良さそうに笑ってみせた。
兼家が呪に気づいていないというのは、嘘だった。晴明が気づかせたのだ。だが、呪については口外しないよう口止めをしておいた。そのため、呪について知っているのは、晴明と兼家だけだった。
「道摩法師に会わせてはもらえないでしょうか」
「知っておるのか、あの覆面のことを」
「かつての教え子でした」
「ほう。あやつは、かの有名な陰陽師である安倍晴明殿の弟子であったか」
兼通は驚いて見せる。
「不出来な弟子にございます」
「謙遜をすることはない。あれもなかなかの術師ではないか」
「いえ。優秀なものであれば、こんなにも簡単に呪を見破られることはございません」
「確かにそうかもしれんな」
そう言って兼通は大きな声を出して笑うと、持っていた扇子で自分の膝を叩いた。
「さすがは、陰陽師安倍晴明。どうじゃ、あの愚弟のところではなく、わしのところへ来ぬか」
「私は陰陽寮所属の陰陽師にございます。お声がけいただければ、いつでも参りましょう」
「そうかそうか。それは良いことを聞いた。これからは、お主に声をかけるようにしよう」
「して、道摩法師は何処に」
「そうじゃったな。あれはいま、右京のとある屋敷に住み着いておる。案内させよう」
「ありがとうございます」
晴明は兼通に深々と頭を下げた。
兼通の屋敷を出た晴明は、兼通の家人に案内されながら右京へと向かった。篁の牛車の脇には、渡辺綱も馬で着いている。
同じ洛中であっても、左京と右京ではかなりの違いがあった。人々の多くは左京に住み、左京には多くの屋敷などがあり発展している。それに対して、右京というのは人気もなく建物も少ない。昔、人が住んでいたであろう家などが多かった。なぜ右京に人が少ないのかといえば、原因は右京の端を流れる桂川にあった。桂川はちょっとした雨でも増水しやすく、氾濫が起きやすい川なのだ。そのため、右京には桂川の水が流れ込むことが多く、家々が流されてしまうことがあった。そんなことが何度か続き、人々は右京は住めるところではないと左京へと移転しはじめたのだ。
ただ、右京にもまだ住んでいる人間も少なからずいる。その多くは生活が貧しい者だったり、何らかの理由で左京へ移転することができないような者たちだった。
「この先にある寺に道摩法師がいる。わかったな。案内はここまでだ」
そう言うと兼通の家人は踵を返して、もと来た道を戻っていってしまった。
「どうなさいますか、晴明様」
渡辺綱が問いかけてくる。
「ここまで来たのだ、行くしかあるまい」
晴明はそう綱に答えると、牛車を降りて徒歩で道摩法師がいるという寺へと向かった。
寺に近づいていっても人の気配というものは感じられなかった。
もし、この寺の中に洛外の廃寺のような野武士がいたらどうしようか。晴明はそんなことを考えていた。いま隣を歩く渡辺綱という若者がどのくらい腕が立つのかは知らない。
「先に私が見てきましょう」
綱はそう言うと体勢を低くして建物へと近づいていった。
道摩は一体なにがしたいのだろうか。晴明はそんなことを考えていた。兼家に呪をかけたのは、兼通から依頼があったからという理由だけだったのだろうか。それとも、兼家に自分がついているから、嫌がらせでもしようと思って兼家に呪をかけたのだろうか。もし、そうだとして、なぜ式人を殺さなければならなかったのかということは、晴明も理解ができなかった。
しばらくして、綱が戻ってきた。
「中に一人いました」
「どのような者だ」
「布作面をつけており顔は見えません」
「そうか」
晴明は呟くように言うと、綱と一緒に建物の中へと入っていった。
綱の報告どおり、屋敷の中には布作面を付けた人物がひとり座っており、香が焚かれていた。
晴明は綱に頷きかけると、その布作面の人物に声をかけて近づいていった。
「おい、道真。来てやったぞ」
晴明の声に布作面の人物はビクリと身体を揺らし、晴明の方へと顔を向けた。
布作面の人物はこちらをじっと見ているが、それだけでこの人物が道摩法師であるかはわからない。
「道真、どうした。声がでなくなったのか」
そういう晴明に対して、布作面の人物は身体を横に揺らして何かを伝えようとする。
「晴明様、あの者は縛られているようです」
「なんと」
綱は布作面の人物に近づき、手を縛っていた縄を小刀で斬った。
両手が自由になった布作面の人物は、急いで布作面を脱ぎ捨てる。するとそこに現れた顔は、晴明の知る人物であった。
「お前……」
布作面を着けていたのは、行方知れずになっていた晴明の式人であった。
式人は口も縄で縛られており、声が発せられないようにされていたのだ。
縄をすべて解いた式人は晴明に頭を下げた。
「晴明様、申し訳ございません」
「何があったのだ。話してくれ」
式人によれば、洛中で情報収集をしていたところ、野武士のような連中に襲われて、ここまで連れてこられたのだという。この屋敷の中には葛道真がおり、晴明についての情報を話すよう、しつこく言われたとのことだった。この屋敷にはもうひとりの式人が連れてこられてきていたが、その式人は道真の部下の拷問に耐えきれず口を割ってしまったそうだ。そして、口を割った後、野武士たちにどこかへと連れて行かれてしまったとのことだった。
口を割らなかった式人は、その後も拷問を受けたりしたが、それでも口を割らなかったことで、手足を縛られ、口を塞がれる形で布作面を被せられたという。
「布作面を着けられた時は、殺されるのだと思いました」
式人はそう言ったが、実際には殺されることはなかった。何が起きたのかはわからないが、葛道真たちは姿を消し、二日ほど経ったところで、晴明たちがやって来たのだった。
「口を割った者は、何を話したのだ」
「よくは聞こえませんでしたが、晴明様のご家族についての話をしていたように思えます」
「そうか……。お前は、よく生き延びてくれたな」
「いえ……」
晴明は立ち上がると、渡辺綱に近づいていった。
綱はどうしたのだろうかといった表情で晴明を見つめる。
晴明の顔は暗く、そして、どこか狂気じみているように見えたからだ。
一瞬の隙があった。
後に渡辺綱は、そう主人である源頼光に語っている。
晴明はゆっくりとした動作で、綱の腰に佩いている太刀を抜き取ると、その勢いで式人を斬りつけた。
式人は何が起きたのかわからないという顔をしたまま、床の上に仰向けに倒れていた。
「せ、晴明様」
「これも
晴明にはわかっていた。道真にすべてを吐いたのは生き残った方の式人であったということを。殺された方の式人が口を割らなかったのだ。そして、道真は晴明にこの式人を殺させるために残していった。
晴明は式人たちを雇う契約をする際に、ひとつだけ約束をさせている。それは、決して主人である晴明に嘘をつかないというものであった。契約というものはある意味、呪である。その呪が破られた時、呪は発動するのだ。
「これですべて終わったのだ」
晴明はそう言って血を拭った太刀を綱に返した。
その頬には涙が流れていたことを綱は見逃さなかった。
第八話 陰陽少属 了
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます